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国際人権ひろば No.110(2013年09月発行号)

アジア・太平洋の窓

ニュージーランド・オークランド市の太平洋の祭典(パシフィカ・フェスティバル)

山本 真鳥(やまもと まとり)
法政大学経済学部 教授

 第二次大戦が終わるとまもなく、ニュージーランドは工業化に向けて動き出した。農村地帯に住んでいた先住民マオリ人が都市へと移動を始めて労働者となったが、それでもまだ働き手は不足していた。その空隙を埋める形で太平洋諸島から人々がやってきた。自給自足経済のもとでイモやバナナの栽培と魚獲りを行ってきた島々の経済にも次第に現金経済が忍び寄りつつあった。

 当時ニュージーランドは、南太平洋の諸島群、クック諸島、ニウエ島、トケラウ諸島を領有し、国連信託統治領として西サモアを統治していた。また、独立王国トンガからも人々はやってきた。最初の3つの諸島からは無制限に移民が可能であったので、今日ニュージーランドに住む人口の方が諸島の人口よりもずっと多くなっている。1962年に独立した西サモア(現サモア独立国)やトンガ王国からの移民はやがて制限を受けるが、もともと自然増加率も高いため、今日ニュージーランド国内の太平洋諸島出身者は2006年国勢調査では26万6000人を記録し、全人口の6.6%を占めている。2020年までには10%を越えることが予想されている。そのうちの3分の2は北島の最大都市オークランドに居住しており、オークランドは先住民マオリ人人口も合わせ、ポリネシア人人口において世界最大の都市となっている。

 工場労働者が一般的で、不法滞在や若者の暴力沙汰などが問題となり、差別を受けてきたポリネシア人であるが、現在では大学進学率も増えつつあり、他のエスニック集団との通婚も多くさまざまな分野に進出し、エスニック・コミュニティとしても成熟の度を増しつつある。

 

 太平洋諸島出身者の祭典

 

 そのオークランド市で1993年から毎年、3月の第二土曜日に開催されているのが、パシフィカ・フェスティバルとよばれる太平洋系の人々の祭典である。ウェスタン・スプリングス公園を使うのが恒例となっており、21年目の今年の3月は例年になく、8日・9日の2日開催となった。

 付近の空地という空地や学校の運動場、袋小路などすべて駐車場となるが、それでも早くでかけないと駐車スペースに困る。付近を通る市バスも満員である。観客はもちろん、太平洋系の人々が多いが、それ以外の中国系、白人系、インド系などいろいろな顔の人々が家族連れ、友人同士で散歩がてら訪れてくる。中には観光客の姿も見える。

 ウェスタン・スプリングスは動物園も併設されている自然豊かな公園で、真ん中にある池ではアヒルや白鳥の悠々と泳ぐ姿も見える。オークランドの3月は夏の終わり、まだ日差しは強く、人々は思い思いにサングラスをかけたり帽子をかぶるなどしてさわやかな風をほほに感じている。池を取り巻くように、諸島毎に文化村が配置されている。アオテアロア村(マオリ村)、クック諸島村、フィジー村、キリバス村、ニウエ村、サモア村、タヒチ村、トケラウ村、トンガ村、ツバル村の10のそれぞれの文化村があり、それぞれにステージをもち、お国自慢の歌やダンスを見せてくれる。混合のステージも2つあり、エスニック横断的なイベントが行われている。

 これらのエスニック集団は、キリバスがミクロネシア、フィジーがメラネシアである以外は、すべてポリネシアに属する。キリバス、ツバル、フィジーの人々は、他に比べると近年に移住してきた関係で人口もまだ少ない。タヒチ人は人口統計にも表れない程少ないと思われるが、村を維持しているのは、観光開発との関係だろうか。

ニュージーランド(1).jpg

ツバルのダンス・グループ

 

 ポリネシア文化のショーケース

 

 先住民マオリ人は、全人口の15%ほどを占め、オークランドの人口が13万7000人に上る。先住民として移民の太平洋系とは距離を置いていた時代があるが、近年は共に行動するチャンスが増えた。同じポリネシア系であるが、他のポリネシア人たちの生態環境が熱帯や亜熱帯であるのに対して、温帯に住んだために、利用する動植物が違うために異なる文化の味付けがありながら、言語的には近いものをもち、音楽やダンスなど共通する部分もある。植民地化により、多くの土地を奪われ、差別を受けてきた歴史があるが、世界的な先住民運動の流れの中で、アイデンティティや土地権の回復、自文化の復興や新たな展開と近年は勢いがある。マオリ語復権運動はよく知られていて、現在は大学教育は無論のこと、博士論文までマオリ語で書くことが可能となっている。

 移民の太平洋系で最も多いのはサモア系であり、ほぼ半分を占める。太平洋系の中では最もエスタブリッシュした感がある。ニュージーランド信託統治領だったが、第二次大戦後の1962年に独立した。旧宗主国のニュージーランドには、独立後も多くの移民がやってきている。ラグビーのニュージーランド代表にはサモア系が多い。また、音楽タレント、俳優、プロデューサーなど芸能界にも進出が著しい。多くのカルチュラル・グループが参加して、伝統的な歌やダンス、現代的なアレンジのポップス、ラップ音楽(ニュージーランドではこの道でメジャーである)、ジャズと幅広い演技があり、またゴスペルも演目の一つだ。ポリネシアの慣習であったイレズミ(タトゥー)は、キリスト教などの影響で廃れた島々が多かったが、サモア諸島ではずっと保持されており、1980年代からポリネシア中のリバイバルを迎え、ますます盛んとなった。サモア村の近くではいつもイレズミ師の実演がある。

 その次に多いのは、クック諸島人である。ニュージーランドの保護領だったクック諸島は、ニュージーランドの自由連合国として自治を行うようになった。クック諸島人はクック諸島市民であると同時にニュージーランド市民でもあるので、ニュージーランドには出入り自由である。アップテンポの激しいドラム音にあわせたクック諸島のダンスは人気である。また、宣教師の妻が持ち込んだキルトの手法はティバエバエとよばれるこの島独特の手芸品となり、現在に至っている。ティバエバエの作品が展示され、販売されている。

 トンガはイギリスの保護領となり外交権を預けながら、太平洋で唯一国内的に独立を保持していた王国である。70年には完全独立を達成したが、アメリカ領サモアを通じての合衆国への移民、また英連邦の一国としてオーストラリアやニュージーランドへの移民の送り出し国となっている。サモアなどと共に、移民の送金はトンガ国内の親族の懐を潤すと同時に、貿易収支の改善にもつながっている。トンガ村ではタパ(カジノキの皮を伸ばして作る和紙のようなもの。彩色が施されている)やゴザ(パンダナスの葉を細かく裂いて作る)、ウチワ、ランチョンマットなどの土産物を満載した店が数多く出店している。トンガからそれらを持参してフェスティバルめがけてやってくる人々もいる。また、お目当ての品を探しに大勢のトンガ女性が訪れている。ここでは優美なトンガのダンスも見ることができる。

ニュージーランド(2).jpg

コミュニティの作品や島の物産を売る

 

 ポリネシアン・グルメや特産品も

 

 その他の村々も、やや小さいものの、同様の特産品の店がたち、パフォーミング・グループが演技をしている。出店はお土産品だけでなく、食べ物も豊富で、バーベキューのにおいが充満する中、ムール貝フリッター(ムール貝入りのお好み焼き)や、アイス入りフルーツなどを買い求めることができる。ボックスランチを買うと中には島料理の定番のゆでタロイモや、春雨の炒め物などが入っている。その他に、サモアのオカ(ココナツミルクに浸したサシミ)、フィジーのカレーなども楽しみの一つだ。

 各村の舞台には、本国からフェスティバルのために訪問してくるパフォーミング・グループの姿もある。そのほかに今回は、ハワイからフラのグループが公式訪問してきた。世界中でフラ教室を主宰しているこのグループは、オークランドにも教室をもち、その生徒さんの発表会も兼ねて、師範格の人々がダンスを披露した。

 併せて20万人を越える来場者がいるこのイベントもすばらしいが、この後3月後半には、オークランド中のカレッジ(高校)の太平洋系生徒のクラブが伝統的ダンスや演説などのコンテストを行うポリフェストというイベントが控えている。生徒の父母や親族を集めるこのイベントもまた圧倒されるほどの迫力がある。自分たちの文化遺産を磨く努力には著しいものがあり、そうした移民のアイデンティティ維持の祭典を助成する政府の姿勢もすばらしいと感じた。(いずれもyoutubeでハイライトを見ることができる。)