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国際人権ひろば No.112(2013年11月発行号)

移住者の人権

チャーター機によるフィリピンへの75人の集団送還を検証する

藤本 伸樹(ふじもと のぶき)
ヒューライツ大阪研究員

初めての航空機での集団送還

 
 法務省入国管理局が2013年7月6日、「不法滞在」(超過滞在)などの理由で東日本入国管理センター(茨城県牛久市)、東京入国管理局(品川)、同横浜支局などの入管施設に収容中、もしくは仮放免中であったフィリピン人合計75人(男性54人、女性13人、子ども8人)を、「出入国管理及び難民認定法」第52条を根拠に退去強制を執行した。チャーターした航空機で成田空港からマニラ空港に向けて国費送還したもので、こうした集団送還は日本で初めてのことであった。
 送還は、翌日の報道によって一般に知られることとなった。とはいえ、大半が小さな扱いにすぎなかった。7月9日に行われた記者会見で谷垣禎一法相は、チャ-ター機による送還の理由として、「チャーター機を使うことによって、送還を忌避する人を安全かつ確実に送還することができる」、「費用について、個別的に実施する場合と比べて、ひとり当たり3分の1から4分の1の経費」と費用対効果を説明した。また、法相は、「入国管理局が人道的な観点にも配慮した上で適切に執行」したと述べたのである。
 フィリピン人が対象となった理由として、「フィリピンは退去を忌避している人が多く、入管収容6カ月以上の人が多い」とされている。入管の推計では、13年1月1日現在の「不法残留」のフィリピン人は5,722人で、韓国15,607人、中国7,730人に次いで3番目に多い。
 そうしたなか、マニラに到着した被送還者たちから突然の送還を伝える声が日本に住む家族や支援者のもとに届きはじめたのである。果たして、この送還において人権が守られるとともに、人道的な配慮が行われたのだろうかという疑問がわき上がってきたのである。
 

 送還された人たちを追って

 
 そのような懸念を受けて、「日本カトリック難民移住移動者委員会」と「移住労働者と連帯する全国ネットワーク」は共同して、集団送還の全体像を明らかにすることを目的に9名で構成する実態調査団を組織し、8月17日から27日にかけてフィリピンに派遣したのである。筆者はそのメンバーに加わった。
 本稿では調査の概要と導き出される課題を述べたい。滞在中、地元の教会組織から数々の協力を得ながら、子ども1人を含む合計26人、すなわち被送還者75人の3分の1にあたる人たちと直接面談して聞き取った。
 
<対象者の属性・背景>
・26人の内訳:男性21人、女性4人、男児1人
・年齢(送還当時):
  男性 20代2人、30代7人、40代5人、50代7人
  女性 30代1人、40代2人、50代1人
  子ども 5歳
  (以下は成人のみ)
・滞在年数:20年以上13人、10年~19年3人、
                 5年~9年8人、5年未満1人
・事実婚の相手がいる:11人(男性9人、女性2人)
・実子と引き離された男性:6人
・日本での主な職種:
  男性 建設・建築、解体、溶接、鍛冶屋、水道、工場など
  女性 バーなどの飲食店
・居住地:東京、千葉、神奈川、埼玉、群馬
 
①入管施設での収容
 大半が観光目的の短期滞在の資格で来日し、09年~12年にかけて超過滞在を理由に摘発され収容されていた。収容後に申請が許可され一時的に「仮放免」されていた人もいたが、再収用されるというプロセスをたどっている。女性や子どもは送還前日まで仮放免されていた。一方、幾度も仮放免許可申請をしたが、すべて「不許可」となり2年以上も収容されていた人が複数いた。
 「退去強制令書」の発布を受けて、弁護士に依頼し「退去強制令書発布処分取消等訴訟」を提起し在留特別許可を求めたものの敗訴した人、あるいは訴訟の準備をしていた矢先に送還されてしまった人たちがいた。「退去強制令書」が発布されてから6カ月以内に取消訴訟を起こすことができる。しかし、調査を通して、6カ月以内に送還された人がいることが判明したのだ。「不法滞在者」に対しては、司法へのアクセスという権利を尊重しない入管の姿勢が浮かび上がる。
 
②7月5日=送還前日
 各入管施設において、送還日前日の午後から夜半または6日未明にかけて、多数の職員が収容者の部屋に入ってきて送還を通告し、送還対象者をインタビュー室に連行した。拒否すると、多数の職員が担ぎあげて移動させたケースもあった。
 送還を告げられた収容者たちは、家族や恋人、友人、依頼している弁護士や行政書士などに電話連絡したいといくら訴えても誰ひとりとして聞き入れられなかった。
 
③7月6日=送還日
 早朝、護送車に分乗し成田空港に向かった。すべての男性には、入管の部屋を出るときから手錠がかけられた。機内では、男性は昼食時も、トイレに行っても手錠をかけられたままで、個室のドアは完全には閉められず、入管職員の監視下に置かれた。女性と子どもには手錠は使用されなかった。
 
④マニラ到着
 到着後、75人はマニラ空港の近くにある社会福祉開発省の施設に移送され、職員から帰省先などについて個別インタビューを受けた。時間制限はあったものの、家族などに無料で電話をかけさせてくれた。そこで初めて第三者に送還を伝えることができたのである。
 
⑤帰国後の状況
 長年離れていた家族と再会できた安心感や歓びがある一方で、定住できそうな「居場所」がないことの不安を語る人たちがいた。日本で長年就労し、習得したとび職、大工、塗装、鉄筋、解体、溶接関連の技能を活かせる仕事がフィリピンで見つけられず、起業するにも資金やノウハウがないという。
 
DSCF0908フィリピン関連省庁と対話p13.jpg
マニラの教会施設で外務省、社会福祉開発省などフィリピン政府関連省庁と対話する調査団(筆者撮影)

 調査を通じて浮かび上がった人権・人道的な問題

 
 実態調査は、集団送還がもたらしたさまざまな人権・人道的な課題を浮き彫りにした。なかでも次の二点を強調したい。
 
①手錠(戒具)の過剰使用
 男性は、入管施設を出るときから、マニラ空港に到着する30~40分前まで連続して8~9時間のあいだ手錠をかけられた。手錠は、逃走、設備の破壊、自損などを防止する目的で使用されたとされるが、食事やトイレの際にもはずさなかったのは、日本も締約国になっている「拷問等禁止条約」が禁止する公務員による「非人道的な又は品位を傷つける取扱い」に該当するのではなかろうか。
 
②家族の分離‐事実婚夫婦と子どもとの離散
 証言を得た25人のうち男性9人、女性2人に事実婚の妻あるいは夫がいたのである。男性の相手は、在留資格「永住者」、「定住者」のフィリピン女性、女性の相手は日本男性であった。いずれのカップルも法律婚を望んでいたものの、在外フィリピン人の再婚手続きが近年複雑になったことから、いずれも法律婚の成立に至っていなかった。事実婚で同居するなか、超過滞在している一方が送還されてしまったのだ。
 また、事実婚の相手との間に実子がいる男性が21人中6人もいた。子どもとの離散は、当事者にとって深刻な問題である。それゆえ、家族の離散は、強制送還の「暴力性」を如実に象徴している。入管担当者は、審査のプロセスでどれだけ精査し、人権・人道的感覚をもって考慮したのか極めて疑わしいのである。
 「家族の結合」は、日本も批准している「自由権規約」および「子どもの権利条約」によって保障されている。しかし、日本政府はこれに係る「子どもの権利条約」第9条・10条について、「入管法が優先する」という解釈宣言を頑なに固持しているのである。
 

 突き付けられた課題-「排除」か「統合」か?

 
 調査団は、送還を必死に忌避したのは、何年も日本で暮らし、働き続けていた人たちであったこと、また多くが家族を形成している人たちであったことを確認した。彼ら/彼女たち、その家族だけが日本での生活を望んでいたわけではなかった。彼らの雇用主もまた、日本で習得した建設や溶接の業務をはじめとする技能に期待し、彼らの滞在を望んでいたのである。雇用者が入管あてに仮放免に必要な書類を提出したり、「寛大な措置」を求める嘆願書などを提出したりしているのである。
 今回の集団送還は、2012年7月から導入され1年を経た「新しい在留管理制度」のもとで、入管が非正規滞在の移住者の排除を内外に「毅然」とアピールするために、被送還者の法的権利を強引に抑制し、尊厳を打ち砕きながら執行した非人道的な入管政策のパフォーマンスではなかったのか。そのような「意図」が透けて見える。
 いま、法務省-入管がまず取り組むべきは、彼ら/彼女たちが必死に集めた書類や資料と再度真摯に向き合って、送還で分離された家族の再結合の可能性を検討・再考することではなかろうか。退去強制された日から5年間は上陸拒否期間として再入国できないと入管法は定める。「5年ものペナルティは長すぎる」。子どもと引き離された男性が肩を落としながら話した光景が筆者の目に焼き付いている。