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国際人権ひろば No.112(2013年11月発行号)
人権さまざま
ランペドゥーザ島 - アフリカからヨーロッパへの危険な旅 -
白石 理(しらいし おさむ)
ヒューライツ大阪 所長
世界人権宣言
第14条
1すべて人は、迫害を免れるため、他国に避難することを求め、かつ、避難する権利を有する。
難民の地位に関する1951年の条約
第1条[難民の定義] A (2)
…人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができない者またはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者、…。
2013年10月3日、イタリア南部、地中海に浮かぶランペドゥーザ島の沖で500人以上のアフリカからの「密航者」を乗せた船が沈没、300人を超える死者が出た。船に乗っていた人の多くが、エリトリアやソマリアからの人だったという。エリトリアもソマリアも極めて貧しい国である。11日には、地中海の島国マルタ沖で250人以上が乗る船が転覆して30人以上の死者が出たという。近年地中海沿岸のヨーロッパ諸国は、北アフリカから押し寄せる「難民」や「不法移民」の数に対処できないと欧州連合(EU)が対策に取り組むことを求めてきた。イタリアとマルタでは2013年1月から9月までにこの様な「密航者」がすでに3万人以上にのぼると国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は見ている。
これらの人々は出身地での武力紛争や貧困を逃れ、どう資金を準備できるのかわからないが、運び屋に法外な代金を払って危険を冒しても海を渡ろうとする。航海に耐えられないような老朽船に、息も詰まるばかり人を満載するのが当たり前。沈没の危険性は当然高い。悲惨な結末もしばしばである。たとえ危険な旅を生きのびて、目指す「豊かな」ヨーロッパに入り込めたとしても、いつ「不法移民」として送還されるかとおびえながら劣悪な生活環境に耐える。国元では家族が送金を待っている。働かざるを得ない。ヨーロッパの国々では、これらの難民や「不法移民」を受け入れる余裕はないとして、厳しく監視し入国に規制をかける。同時に経済不況がナショナリズムやレイシズム(人種差別)と結びつくことによって外国人排斥の動きが強まる。
かつて1970年代の後半から、ベトナムから「ボートピープ
ル」として逃れ、太平洋を漂流した多くの人が「難民」として世界各地で受け入れられた。難民受け入れのニュースが呼び水となり、さらに多くの「ボートピープル」を生むことにもつながった。しかし、海上で救助されずに命を落とす事例が後を絶たなかった。そこで、国連難民高等弁務官事務所が移民受け入れを先進国に働きかけて、「秩序ある出国」キャンペーンに力を入れた。安全にそして合法的に移民として国を出るという「ボートピープル」対策である。
貧しい国から豊かな国への人の流れは、それ自体が国際的な問題となりうる。移民政策はそれぞれの国が決めることであり、ほとんどの場合、人が自由に入り働くことを厳しく制限している。世界人権宣言は、難民として庇護を受ける権利を認める。また、市民的及び政治的権利に関する国際規約は、「すべての者は、いずれの国(自国を含む)からも自由に離れることができる」とする。しかし、自分が望む国に自由に住むことを人権として認めているわけではない。そこで、移住に解決を求めるのではなく、国外で生きることを求めなくてもよいように、移民の出身国の社会、経済状況の改善のために、開発政策の強化と支援を国連などが各国に訴えてきた。けれども、これもすぐに効果が出る解決策ではない。
世界では常に10億人が飢えに苦しみ、そのうち毎年4万人が亡くなるという。その7割は子ども。グローバル化し情報が飛び交う世界では、飢えている人びとの目に、豊かな国での飽食と消費文明のあり様が映る。「密航者」といわれ、「不法移民」と拒否される人たちが、危険を冒しても、豊かな国で機会を求めようとするのはむしろ当たり前。けれども、豊かな国で待っているのは多くの場合苛酷な現実である。
社会的、経済的に豊かな国と貧しい国の間の格差。一般人が犠牲となる武力紛争。「難民」ではなく「不法移民」とされる多勢の人たち。弱い立場に置かれた人に対する搾取、差別と排斥。ランペドゥーザ島の悲惨な事故は、今の国際秩序が抱える矛盾に国も国際社会も対処できていないということをあらわにした。世界は、この深刻な事態にもはや目を背け続けることはできない。
多くの人にこの現状を知ってほしい。弱い立場に置かれている人を「人として大切に」し、その人たちのニーズに応えるという人権のアプローチをとるにはどうすればよいか、「豊かな国」に住みながら、すぐに答えることができない私である。