ヒューライツ大阪は
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国際人権ひろば No.115(2014年05月発行号)
人権さまざま
市民力
白石 理(しらいし おさむ)
ヒューライツ大阪 所長
世界人権宣言
第2条
1.すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。
第21条
3.人民の意思は、統治の権力の基礎とならなければならない。(略)
日本国憲法第38条
2.強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、 これを証拠とすることができない。
3.何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。
人権に関わるニュース3件。これらから読み取る共通課題は、人権に対する敏感な意識を高めること、人が大切にされる社会実現のために市民の力をつけることである。
「Japanese Only」
2014年3月8日Jリーグのサッカー公式ゲーム。埼玉スタジアム内に浦和レッズサポーターによる「Japanese Only」と書かれた横断幕が試合終了まで掲げられ、撤去されなかった。これに対しJリーグは、差別的内容の横断幕が撤去されなかったことに対し浦和レッズの責任は重大として「けん責」と「無観客試合の開催」の制裁を科した。
当の浦和レッズサポーターは、横断幕の内容が、差別的であるという認識はなかったと言い、それに理解を示す意見もあったという。問題に直ちに対処できなかったのは、サッカークラブとサポーターだけの意識が低いためなのか。それだけではないと思う。
これと対照的な出来事があった。2013年1月イタリアで、あるサッカーチームの黒人選手が一部の観客から浴びせられた侮蔑的なヤジに、直ちに試合から離れてグラウンドを去った。それに続いてチームメートも次々と彼と行動を共にした。その黒人選手は、2か月後、国連の人種差別撤廃国際デーのイベントに招かれ、人種差別撤廃を訴えた。
ヨーロッパではこれまで、サッカーの試合で人種差別事件が選手間でも起こり、観客の一部が人種差別的、侮蔑的なヤジを特定の選手めがけて連発することもなくなっていない。2013年5月、国際サッカー連盟(FIFA)総会は反人種差別決議をし、各国のサ
ッカー協会に対処を求めた。浦和レッズに対する制裁措置は、この決議に沿ったものであろう。
大阪市長選挙
2014年3月に行われた大阪市長選挙。投票率は23.59パーセント。再選を果たした新市長の得票は、37万7472票。白票を含む無効票は6万7506票。新市長の有権者数に占める得票率は17.8パーセントである。2011年11月の大阪府知事と大阪市長を選ぶいわゆるダブル選挙のときには、投票率は60.92パーセント。そのときの、市長の得票は75万813票。同じ人物に対する評価が変わったのか。「民」の期待が失望に変わったのか。2年半足らずの間に激変する「民意」。
「人民の意思」は民主主義における「統治の権力の基礎」であるという。衆愚政治に陥らないために、民意を表明する有権者の力が問われる。
袴田事件の再審開始決定
2014年3月、1966年に静岡県清水市で一家4人が殺害された事件で、1980年袴田巌さんの死刑が確定したことに対し静岡地方裁判所が再審開始を決定した。刑の執行と拘置が停止され、袴田さんは釈放された。決定は、証拠のシャツについていた血液のDNA型が犯人とされた袴田さんのものと一致しないとの鑑定結果を受けて、捜査機関によってねつ造された疑いのある証拠によって有罪とされ、死刑の恐怖の下で拘束されてきたとした。48年間も身柄拘束された挙句の再審開始決定である。静岡地方検察庁は決定を不服として即時抗告した。
袴田さんは、当初犯行を否認していたが、勾留期限3日前に一転して「自白」、起訴された。公判では一貫して起訴事実を否認。事件発生から1年以上たってから「証拠」が発見されたという。この事件もまた冤罪か。
冤罪を防ぐために、これまでいくつかの提案がなされてきた。取り調べの全面可視化、代用監獄の廃止、検察による証拠の全面開示などである。自白を重視する捜査の見直しも考えられているというが、自白が唯一の証拠である場合は有罪とされず、刑罰を科されないとする憲法の規定は、実際にどうまもられているのか。起訴された刑事事件が裁判で99パーセントの有罪率というのも、国際社会からは日本の裁判所の役割に疑問が呈されている。マスメディアの事件報道も、「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」という原則(世界人権宣言第11条、市民的及び政治的権利に関する国際規約14条)を尊重したものとは言えない。逮捕された時点からの罪人扱い。これも冤罪を作り出すのに影響しているのではないか。これまで日本社会は、例外的な事例はあっても、警察と検察に多大の信頼を置いてきた。「お上による裁き」意識は今も残る。
世界人権宣言第10条は、「独立の公平な裁判所による公正な公開の審理を受ける」権利を人権として掲げる。裁判に求められるのは、事実と真実を明らかにすることであり、被告人の人権はそのためにも尊重されるはず。しかし、ここでも現実とのずれがある。
ニュースから見えてくる社会の問題。不条理な現実を変えようとする力、それが市民力である。自由に、自分で考える、判断する、決める、そして行う。自分の行いには責任を持つ。人権が保障される社会では、当たり前のこと。それが難しい現実である。