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国際人権ひろば No.117(2014年09月発行号)

人権の潮流

ヨーロッパにおける人権保障システム

大塚 泰寿(おおつか やすひさ)
甲南大学非常勤講師

 ヨーロッパ地域においては、世界的にみてもっとも実効性が高いと評価されている人権保障システムが存在している。このシステムは、1950年にヨーロッパ評議会(Council of Europeヨーロッパ審議会とも訳される)において採択され、1953年に発効したヨーロッパ人権条約を根拠として成立したものであり、条約の締約国は2013年末現在で47ヶ国、ベラルーシを除くほぼヨーロッパ全域をカバーしている。
 ヨーロッパのシステムが高く評価されている最大の理由は、条約によって設立されたヨーロッパ人権裁判所の存在である。フランスのストラスブールに所在するこの裁判所は、締約国による条約に定める権利の侵害の被害者であると主張する個人からの申立を受け付けている(条約第34条)1。これら申立を行う個人の中には、各国の最高裁判所において救済されなかったが、実際には被害者である人たちが相当数いるが、これらの人たちは、ヨーロッパ人権裁判所によって救済を得ることができるのである。
 ヨーロッパ人権裁判所に対する信頼は絶大で、全ヨーロッパから申立が寄せられており、2013年末には約99,900件の事件が係属中である2。しかし皮肉なことに、この成功が、システムの実効性にとって重大な障碍になっている。多様な法体系を持つ国々から寄せられてくる多数の申立を、裁判所が迅速に処理できなくなっているという問題である。
 本稿では、このヨーロッパのシステムについて、条約の成立過程とその内容、裁判所の手続、今後の課題、以上の点を概観することとする。
 

 ヨーロッパ評議会とヨーロッパ人権条約

 
 第2次世界大戦前の全体主義国家による甚だしい人権侵害と引き続いての戦争の惨禍は、人権は国内問題であるという従来の世界の認識を変えた。西欧においても、ナチズムの出現とその暴力に蹂躙された記憶は生々しいものであり、人権問題を国内にとどめることはもはやできなかった。また冷戦下における東西対立の状況下において、共産主義陣営に対抗する価値観としても、人権が強く意識されていた。
 このような流れのなかで、ヨーロッパ統一という目的のために、人権の維持とよりいっそうの実現のための共同行動を追求することなどを掲げたヨーロッパ評議会が、1949年に西欧諸国10ヶ国を加盟国として成立した。ヨーロッパ人権条約は、このヨーロッパ評議会を母体として作られたものであり、従って条約に参加できるのは、国家としてはヨーロッパ評議会の加盟国だけである(条約第59条)3。評議会は成立後次第に加盟国を増加させ、とくに冷戦終結以降に多数の中東欧諸国を受け入れ、現在は47ヶ国から構成されている。つまりそのすべてがヨーロッパ人権条約の締約国なのである。
 ヨーロッパ人権条約の保障する人権は、その採択以降も、議定書で追加されてきた。それらの人権は、例えば生命の権利(第2条)、表現の自由(第10条)、財産の保護(条約の第1議定書第1条)など、すべてがいわゆる自由権に関するものである。なお「戦争その他の生存を脅かす公の緊急事態」において、国家は条約上の義務を免脱する措置をとることが認められているが(条約第15条)、そのような措置は、あくまで緊急性が必要とする限度内であって、国際法に基づき負う他の義務に抵触してはならない。たとえ緊急事態であったとしても、生命の権利(合法的な戦闘行為による死亡を除く)、拷問の禁止(第3条)、奴隷の禁止(第4条1)、罪刑法定主義(第7条)などの権利を停止することは許されていない。
 

 ヨーロッパ人権裁判所の手続

 
 ヨーロッパ人権保障システムの要石であるヨーロッパ人権裁判所は、国家からの申立も受け付けているが、その活動の中心は個人申立についての審理である。もっとも1950年採択当時の条約では、裁判所に直接個人が申立できる権利は認められていなかったし、また裁判所以外にも様々な機関が関係する複雑な体制をとっていた。その後、選択的に裁判所への個人申立が認められる改革などがあったが、最終的に条約の実施機関が裁判所に集中され、また、個人の申立の権利を全締約国に義務づけたのは1998年のことである。
 ここで、個人申立の手続について大まかに紹介しておこう。ヨーロッパ人権条約は、国内救済手続がすでに完了していることなど、申立が受理されるための一定の基準を規定しており、申立がこれらの基準を満たしているかどうかが審査される(受理可能性審査。第35条)。圧倒的多数の事件がこの段階で不受理とされ、手続は終了する。もしも申立の受理が可能である場合には、主張された侵害行為について条約違反があったか否かについての検討が行われる(本案審査)。受理可能性と本案の審査は並行して行われる場合も多いが、いずれにせよ受理可能な事件については、最終的に本案についての判決が下される。
 ヨーロッパ人権裁判所の裁判官の数は、締約国数と同じで47人であるが(第20条)、裁判官全員で判決を下すことはない。条約の解釈適用に関する、事件の基礎となる問題が判例で十分に確立している事件については、審理を簡潔に行うため、裁判官3人からなる委員会によって判決が下される(第28条他)。それ以外の事件についての判決は、7人の裁判官から構成される小法廷によって行われるが(第42条他)、この判決に不服があった場合は、17人の裁判官から構成される大法廷によって再審理され、改めて判決が下される場合もある(第43条他)。
 判決では、条約違反があった場合にはその認定が行われるほか、同時にないしは後日に「公正な満足」という判決が出されることもある(第41条)。これは具体的には、被害者に対する損害賠償の支払いや、あるいは何らかの具体的措置をとることを命じるものである。ヨーロッパ人権条約の締約国は、これらの判決に従うことを約束しており(第46条1)、実際に判決はよく守られているが、判決の不遵守の場合に対処するために、ヨーロッパ評議会の閣僚委員会が判決の執行の監視の任にあたっている(第46条2)。
 なお、2013年には裁判所は3,659件の申立に関して916件の判決を出したほか、総合して93,397件の申立について決定を行った。
 

 ヨーロッパ人権保障システムの課題

 
 以上に概観したように、ヨーロッパにおいては実効性の高い人権システムが存在している。しかし、この成功はヨーロッパ人権裁判所に対する個人申立の急増を招き、結果としてその処理能力を超え、事件の積み残しや手続の長期化を招く事態となってしまった。その兆候は80年代初頭から現れていたが、中東欧諸国の加入により加速することになった。
 このような状況が続けば、遠からずヨーロッパ人権保障システムへの信頼は失われることになる。そのため、裁判所は機構・手続改革などを行ってきたが、予算や人材面での制約もある。そこで現在とくに強調されているのは、「補完性の原則」である。人権の保障は一義的には締約国自身にあり、ヨーロッパのシステムはそれを補う役割を果たすという考え方である。各国の最高裁判所等の要請に基づいて、ヨーロッパ人権裁判所が条約上の人権の解釈適用に関する原則問題について勧告的意見を与えることができるようになる予定など(2013年採択の第16議定書による。未発効)、人権システム側からのサポートも整えられつつあり、状況は改善の傾向にあるが、条約で規定された人権を実現するよう、締約国になおいっそうの努力が求められているところである。
 
 
(注) 
 紙幅および本稿の性質上、参考文献をすべて挙げることはできないことをお詫びしたい。とくに有用な日本語文献として、戸波江二・北村泰三・立石真公子・小畑郁・江島晶子編『ヨーロッパ人権裁判所の判例』(信山社、2008年)を挙げておく。
1: 条約の邦訳については、田中則夫・薬師寺公夫・坂元茂樹(編集代表)『ベーシック条約集2014』(東信堂)を参考にした。
2: 本稿で挙げた統計については以下の文書を参考にした。The ECHR in facts & figures 2013(http://www.echr.coe.int/Documents/Facts_Figures_2013_ENG.pdf 2014年7月31日閲覧)。
3: 国際機構としての欧州連合も加入することができる。