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国際人権ひろば No.118(2014年11月発行号)

特集 国際基準にてらした日本の人権状況

自由権規約委員会による日本報告の審査に参加して

黄 希奈(ファン・フィナ)
朝鮮大学校政治経済学部4年

李 京柱(リ・キョンジュ)
朝鮮大学校外国語学部日本文学ゼミ4年

 
 
 市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)に規定される権利の実施状況に関する日本の第6回報告が2014年7月15日と16日にジュネーブのパレ・ウィルソンとパレ・デ・ナシオンで行われた自由権規約委員会で審査された。審査に向けて日本のNGOなどから60人以上が参加し、委員に対して情報を提供した。その中から、朝鮮学校の高校無償化からの排除について伝えるために初めて委員会を訪れた学生二人に寄稿いただいた。(編集部)
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自由権規約委員に情報を提供する筆者たち
 
 

朝鮮学校の子どもたちは差別されている

-高校無償化からの朝鮮学校排除を国際社会に訴えて
 
黄 希奈(ファン・フィナ)
朝鮮大学校政治経済学部4年
 
 「高校無償化制度」
 私はこの四年間、何度この言葉を聞いたのだろう。
 2010年度からすべての高校で施行された高校無償化制度、がしかし朝鮮学校だけが政治的問題を理由に制度から除外された。
 当時私は高校3年生だった。
 その時から今まで、当事者である高校生たちが勉学や部活に励む時間を削ってまで、署名活動やビラ配り、要請活動など、力強く活動を行っている。
 そんな中無償化適用を求める活動が裁判へと移行したと聞いて、黙ってはいられないと、私たち朝鮮大学校の学生たちは毎週金曜日を文科省前活動の日と定め、活動を行ってきた。
 1年以上続けてきた、この「金曜闘争」を糧に、2014年スイス・ジュネーブで行われた国連自由権規約委員会に学生代表を送ることにしたのだ。
 私はその代表として、審査に参加することになった。
 朝鮮学校に通う高校生はもちろん、多くの同胞が無償化適用を求める活動に積極的だった分、本当に私でいいのか、高校生や多くの同胞の期待に応えられるかどうか、とても不安だった。
 不安もいっぱいだったが、日本政府によって朝鮮学校だけが高校無償化制度から除外されているという事実は明らかな差別であるという事を、そして無償化適用を求める運動が正しいという事を、当事者としてアピールしてこようという決心を胸にスイス・ジュネーブへと旅立った。
 英語が出来ない私は最初、気持ちが伝わるかどうか不安で積極的にロビイングが出来ずにいたが、日本で活動を行っている高校生や大学生、多くの同胞たちの応援が背中を押してくれたおかげで、とにかくがむしゃらにいこうと、ロビイングを積極的に行った。
 朝鮮大学校の学生たち自身が作成した高校無償化に関するパンフレットを胸に、委員たちへ駆け寄り、読んでくださいとお願いした。
 委員たちは快く受け取ってくれて、必ず読むと言ってくれたし、高校無償化制度から朝鮮学校だけ除外されているという事実に驚きを隠せなかったように見えた。
 また、日本のNGOの方々も、たくさん応援してくださった。
 ランチタイム・ブリーフィングでのリ・キョンジュさんの発言を聞いて感動した、審査の時も質問が出なかった時は、まだ出ないね、と心配もしてくださった。
 日本にいる時、無償化適用を求める活動に一心だったあまり、周りに同じ志を持って闘っている仲間がいる事に気が付かなかったことに、とても後悔したし、気付いたいま、なによりも心強かった。
 日本審査が延長に入った時、ロビイングをしたある委員が無償化問題について日本政府に質問した。
 質問では「朝鮮学校の子どもたちは差別を受けているからである」という言葉が出た。
 委員の口から「差別を受けている」という明確な言葉が出たこと、また審査で無償化に対する質問が出たことが、とても嬉しかった。
 委員からの無償化問題に関する質問、そして審査最後の議長の発言を聞いて私は、日本は先進国であるが、人権の面では後進国だという事、また日本で行っている無償化適用を求める活動は正当であり、また応援してくれている人が多いという事を痛感した。
 スイス・ジュネーブでの日々は、多くのことを学び、感じたそんな日々だった。
 これからは学んだ事をしっかりと活かして、またこの経験を糧に高校無償化適用を求める活動をより一層力強く行っていこうと思った。
 これからも諦めず、日本政府に立ち向かっていく。
 
 
 

初めて国連の委員会に参加して

-国連自由権規約委員会第6回日本審査傍聴記
 
李 京柱(リ・キョンジュ)
朝鮮大学校外国語学部日本文学ゼミ4年
 
 スイス・ジュネーブでの活動が終わり、もうすでに2ヶ月もの月日が流れた。しかし時が経っても、むしろ経てば経つほど、国連の勧告を受け入れようとしない日本政府に、自分たちと同じように自由権規約委員会に参加し、政府の方向性を支持するような右翼の団体に、そしてなにより、具体的な決定打を出せていない自分に怒りを覚えている。
 7月15、16日にかけて行われた国連自由権規約委員会第6回日本報告審査に、私は初めて参加した、2010年4月から施行された「高校無償化」制度から除外された当事者として。国連の委員会に参加することなんて体験することもないだろうと思っていたが、朝鮮大学校の中から自分が代表に選ばれ、そのまさかが現実となった。「高校無償化」実現のために尽力されたすべての人の思いを直接とどけようと決心し、多くの助けに感謝し、海を越え、ジュネーブへと発った。
 今回の審査前に行われたNGOが主催するランチタイム・ブリーフィングで、私は一分半の間スピーチすることになった。2013年に行われた社会権規約委員会では、朝鮮学校に通う学生たちのオモニ(母親)たちが、これ以上子どもたちが差別されるのを見たくないと、悲痛の思いでロビー活動を行ったという話を聞いた。「高校無償化」制度から高校3年生の時に除外された当事者として、そして、卒業式の度に在校生に「すまない」と涙を流す朝鮮高校卒業生の先輩の一人として、スピーチに臨んだ。スピーチ全文を覚えていたつもりだったが、いざ自分の番が来ると頭が真っ白になってしまい、何度もカンペを見てしまった。それでも委員たちの目をみて、この問題に関わるすべての思いを、すべての痛みを伝えようとした。ランチタイムミーティングが終わり、私は思いを届けることができたのかと不安になった。しかしその後、NGOの方々が私のスピーチを聞いて感動した、委員の何人かも涙を流していたと話してくれたのだった。たとえお世辞であったとしても、その言葉を聞けて、私はようやく安心することができた。そして審査の合間を縫って、一緒に行った黄希奈(ファン・フィナ)さんと共に、精力的にロビー活動を行った。その結果、見事に質問を引き出すことが出来たのだった。
 ジュネーブで思ったことはこれだけではない。なによりも、種々の人権問題に対し不誠実な対応をする日本政府に抗うために、多くのNGOの方々が共に闘っているということを学んだ。審査が始まる前には「お互い頑張ろう」と声をかけてもらい、日本審査一日目が終わると「明日も頑張ろう」と鼓舞してもらい、どれだけ心が休まったのか分からない。聞いた話では、「高校無償化」問題についてロビー活動してくださった方もいた。ある方は、朝鮮学校に関する質問が出たあとに真っ先にこちらに来てくださり、手をとって喜んでくださった。彼女が委員に訴えかけた「君が代・日の丸」問題は質問には出なかったのに、これほどまで喜んでくださるとは想像もできなかった。
 今回勧告には直接言及されなかったが、8月に行われた人種差別撤廃委員会では、無償化問題だけではなく、朝鮮学校に対する補助金支給停止に関しても勧告があった。これからも色々な方々と連帯し、在日朝鮮人の諸問題を解決すべく、あきらめることなく声を上げていきたい。
 まだまだ問題は山積みである。委員会の審議の場で右翼の団体が現れたように、弱者を一層隅においやる風潮は依然変わらない。このような場合にこそ、目標に向かって、真の連帯をしていくことが大事なのではないか。私たちが変えなければ、後世が同じ問題で苦しむ。その負の連鎖を切りたい。私はジュネーブで得た経験を今後も活かし、日本のみなさんと共に変えていきたいと思う。