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国際人権ひろば No.118(2014年11月発行号)

人権の潮流

ヨーロッパ人権裁判所の活動

大塚 泰寿(おおつか やすひさ)
甲南大学非常勤講師

 前回(「国際人権ひろば」117号 (2014.9)「ヨーロッパにおける人権保障システム」)はヨーロッパ人権条約に基づく人権保障制度について、ヨーロッパ人権裁判所を中心にして概観した。裁判所の活動はすでに60年を越えており、判例も十分に蓄積されている。今回は、それら判例のうち、その特徴とされる解釈手法を採用しているものや、日本の裁判所の判決と関係した事例について紹介する。
 

 発展的解釈

 
 1972年に、イギリスの属領であって広範な自治が認められているマン島に住む、当時15歳の少年が、暴行傷害の罪を犯したかどで有罪を宣告され、イギリス本国では廃止されていたがマン島では残されていた体罰刑に処せられた。棒で叩くというこの刑罰が、ヨーロッパ人権条約第3条で禁止されている「品位を傷つける刑罰」に当たるか否かが問題となり、当該体罰刑はその程度に達しているとして、同条違反が認定されたのが1978年のタイラー判決(Tyrer v. the United Kingdom, 25 April 1978, Series A no. 26)である。
 ヨーロッパ人権裁判所は、この判決において、後に発展的解釈とよばれる解釈手法を初めて表明した。裁判所によれば、ヨーロッパ人権条約は「今日的条件に照らして解釈されるべき生きている文書(a living instrument)」であり、「ヨーロッパ評議会加盟国の刑事政策の分野における発展及びそこで広く受け入れられた基準に影響を受けないわけにはいかない」という。つまり発展的解釈とは、条約が採択された1950年の時点ではなく、現時点でのヨーロッパ社会全体の変化や発展をふまえて解釈していく手法である。この解釈手法はヨーロッパ人権裁判所で発展してきたもので、その判例の特徴の1つとされる。このような手法を用いると、条約批准時に国家が想定していたこととは異なる解釈がなされるという批判もあるだろう。しかし人権の保護という条約の目的の観点から、条約は過去だけではなく将来起こりうる脅威についても予定していたと考えられているのである。
 発展的解釈はこののちも、ヨーロッパの共通基準の存在の有無を考慮しながら、現代社会において考え方の変化が見られる事例で採用されている。例えば婚外子差別などがその例である。1979年のマルクス判決(Marckx v. Belgium, 13 June 1979, Series A no. 31)では、ベルギーにおけるはなはだしい婚外子差別が問題となった。当時のベルギー法では、婚外子は認知されなければ母子間で親子関係が成立せず、しかも認知があっても、婚外子と母の家族(母方の祖父母など)との親族関係は認められなかった。また母の死による財産相続に際しても、婚外子は例外相続人として位置づけられ、もしも相続できたとしても嫡出子の相続分の4分の3と差別されていた。母親と婚外子が養子縁組をするならば母子関係は嫡出子と同等の扱いとなるが、それでもなお、婚外子は母の家族の相続親族とされないなど、婚外子は著しく劣悪な地位におかれていた。
 裁判所は、親子関係の確定の問題についての議論のなかで、条約起草時にはヨーロッパの多くの国で嫡出子と婚外子の区別は認めていたが、条約は今日的条件に照らして解釈しなければならないものとして、ヨーロッパ評議会の大多数の加盟国における国内法の発展という事実を無視できないことを述べた。また、親子関係の確定に関する伝統的構造の変更と嫡出子・婚外子の完全な同権の達成に向けての改善措置が、ヨーロッパの多くの国でみられることも指摘している。最終的に判決では、婚外子の親子関係の確定の方法、婚外子の親族関係が限定されること、相続権の差別問題などについて条約違反(第8条「私生活及び家族生活の尊重についての権利」、第14条「差別の禁止」、ほか)が認定された。これをうけて、ベルギーは国内法の改正に踏み切ることになるが、それだけにとどまらず、なお婚外子差別を残していたヨーロッパの各国も順次その廃止に向かうこととなった。
 この問題に関しては、2013年に至るまで、日本が婚外子の相続差別を残していたことは、付言しておかなければならないだろう。民法第900条第4号但書のうち、嫡出でない子の相続分を嫡出である子の相続分の2分の1とする規定を、最高裁が憲法第14条第1項の違反とする決定を下し(最大決平25年9月4日、判時2197号10頁)、これを受けてようやく昨年12月に民法改正が行われたことは記憶に新しいところである。
 

 日本の裁判所とヨーロッパ人権裁判所の判例

 
 ヨーロッパ人権裁判所の判決は、ヨーロッパ人権条約の締約国ではない日本の裁判所には直接には無関係であるようにみえる。例えば、先に紹介した婚外子の相続差別に関する昨年の最高裁決定においても、このような決定を下した理由として、諸外国の立法のすう勢や、日本が批准した人権条約の諸規定及び自由権規約委員会や児童の権利委員会の最終見解からの指摘などは挙げられているが、ヨーロッパ人権裁判所の判例についての言及はない。
 しかし受刑者接見妨害事件の高松高裁判決(平9年11月25日、判時1653号117頁)においては、ヨーロッパ人権裁判所の判決は自由権規約の解釈基準として考慮できるものとして、積極的に言及がなされている。この事件は、刑務職員から暴行を受けたと主張する受刑者が、国に対する損害賠償請求を起こすにあたり、訴訟代理人である弁護士との接見を刑務所長から制限されたことが違法ではないかとして争われたものである。その争点の1つは、これらの措置が自由権規約第14条第1項でいう「公正な裁判を受ける権利」に違反するかどうかであった。高松高裁は、ヨーロッパ人権条約が自由権規約草案を参考にして作られており、そして接見妨害に関するヨーロッパ人権裁判所の判例には、自由権規約第14条第1項に相当するヨーロッパ人権条約第6条第1項の違反が認定されたものがあることに注目した。そしてこれらは自由権規約第14条第1項の解釈基準として用いることができるとして、同条項は、民事訴訟における受刑者と訴訟代理人たる弁護士との接見の権利を保障していると述べた。
 高松高裁が参照したヨーロッパの判例は、1975年のゴルダー判決(Golder v. the United Kingdom, 21 February 1975, Series A no. 18)他1件である。ゴルダー判決は、民事訴訟を提起しようとした受刑者が弁護士との接見を拒否された事例である。ヨーロッパ人権裁判所で争点の1つになったのは、ヨーロッパ人権条約第6条第1項は、訴訟における裁判の公正な運用のみを求めるだけなのか、それとも明文上規定されていないが、民事上の権利の決定のために裁判に訴えようとするすべての人に対して、「裁判所に対してアクセスする権利」を保障しているかどうか、であった。ヨーロッパ人権裁判所は、条約の趣旨及び目的を考慮して、後者の解釈を採用してアクセス権を認めるとともに、接見の拒否によってその侵害がなされたと判示した。
 

 おわりに

 
 以上にみたように、ヨーロッパでは発展的解釈などの手法を用いて意欲的な判決が出されている。これらが日本の裁判所にとって、国際人権の動向を把握するために、また日本が批准した人権条約の解釈基準として大きく参考になるものであることは、疑いのないところである。下級審とはいえ、解釈基準として参照した事例がみられるのは評価できるが、より一層の活用が望まれる。
 
 
 
本稿ではとくに戸波江二・北村泰三・立石真公子・小畑郁・江島晶子編『ヨーロッパ人権裁判所の判例』(信山社、2008年)を参考にした。同書のうち、発展的解釈については江島晶子「ヨーロッパ人権裁判所の解釈の特徴」29-30頁。タイラー判決については門田孝「発展的解釈」134-138頁。ゴルダー判決については北村泰三「裁判所に対するアクセスの権利」275-280頁。マルクス判決については井上典之「非嫡出子」362-368頁。