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国際人権ひろば No.119(2015年01月発行号)
特集 人権保障メカニズムをめぐる国際動向
米州における地域的人権保障制度
杉木 志帆(すぎき しほ)
(公財)世界人権問題研究センター専任研究員
アメリカ大陸には、今日では米州諸国35ヵ国のすべて(キューバ含む)が加盟する米州機構(Organization of American States:OAS)が存在し、この機構の枠内で地域的人権保障制度が確立されている。米州機構は1948年に創設された地域的国際機構であり、その設立文書である米州機構憲章(OAS憲章)には、米州機構の原則の一つに個人の基本的権利が挙げられている。また、この原則を具体化するものとして、人の権利及び義務に関する米州宣言(米州人権宣言)が同年に採択された。さらに、1969年には、法的拘束力のある文書として人権に関する米州条約(米州人権条約)が採択されており、この条約は1978年に発効した。加えて、今日では拷問、人種差別、強制失踪や女性の権利などに関する人権条約が、OASにおいて多数採択されている。これらの適用法規の実効性は、米州人権委員会と米州人権裁判所により主として担われてきた。そこで、以下ではこれらの機関の主たる機能について概観したい。
米州人権委員会の法的地位およびその機能
米州人権委員会は、1959年の第5回外相協議会議において設置が決定された委員会であるが、米州機構において何故にこのような委員会が設置可能であるのかという法的根拠は曖昧なままであった。それにもかかわらず、米州人権委員会はその後、キューバやハイチをはじめとする加盟国の人権状況について現地調査を実施し、報告書を作成するなど積極的な活動を展開する。そして、1967年にはOAS憲章の改正により、委員会はOAS憲章に設立根拠を有する主要機関としての地位を獲得した。このように、米州人権委員会は米州機構における地域的人権保障の実施を徐々に既成事実化することで、米州における人権保障制度の確立を推進してきたといえる。
さらに、1969年に採択された米州人権条約は、米州人権裁判所を創設するだけでなく、既存の米州人権委員会もまたその履行監視機関として位置づけている。したがって、米州人権委員会は、今日ではOAS憲章に基づく米州機構の主要機関であると同時に、米州人権条約の履行監視機関でもあるという二重の地位を有するといえる。また、米州人権条約の履行監視機関としての米州人権委員会の地位は、その後米州機構において採択された人権条約においても準用されることがある。
米州人権委員会の任務のなかで今日最も重要と考えられるのは個人請願の処理であるが、米州人権委員会の二重の地位は、個人請願の処理においても表れている。米州人権委員会は個人請願を処理する権限を有しており、いずれの人(非政府団体も含まれる)も米州機構加盟国による米州人権宣言や米州人権条約等に規定される権利の侵害を申し立てることができる。米州人権委員会は、米州人権条約締約国に関する請願については米州人権宣言および米州人権条約を適用し、他方で米州人権条約非締約国に関する請願については、米州人権宣言のみを適用する。また、米州人権委員会による個人請願の処理は、当事国の受諾を必要としない点で特徴的である。これは、米州人権委員会が人権の遵守と保護を促進する米州機構の主要機関であるため、その活動については原則として加盟国の特段の同意を要しないという論理に基づくものと考えられる。
加えて、米州人権委員会は、米州機構加盟国の国別人権状況調査を行い、報告書を作成する権限を有する。米州人権委員会は創設以来、キューバ、ドミニカ、ハイチをはじめとする多くの加盟国について国別調査を積極的に行ってきた。また、これらの調査を行う際には通常、米州人権委員会は当該国を訪問し現地調査を行っており、この点に米州人権委員会による国別調査の特徴がある。一般に、国際人権保障制度の課題は、審査機関が審査対象国の実際の人権状況に関する情報をどのように入手するかという点にある。米州人権委員会自らが被審査国の情報収集を行うことは、国別調査をより現地の実情に即したものにすることを可能にするといえよう。
さらに、米州人権委員会は、1990年代以降から米州機構加盟国に共通する人権問題についてテーマ別報告書を作成してきた。これまで扱われてきたテーマは、女性、移民労働者、先住民、テロリズム、情報への権利など多岐にわたる。また、2014年に作成された直近の報告書は、米州における真実を知る権利に関するものである。1960年代以降、多くの中南米諸国では長期軍政による権威主義開発体制が敷かれ、その間、強制失踪をはじめとする多くの人権侵害が発生した。だが、1980年代以降は軍事政権が崩壊し、これらの諸国は平和構築と再民主化への道をたどる。上記報告書では、再民主化後に各国においてなされてきた法整備や真実和解委員会の活動等を評価しつつ、真実を知る権利の発展を概観し、そのさらなる保障のための勧告を行っている。また、以上のような歴史的背景から、中南米諸国の市民社会では自らの力で人権保障を勝ち取ろうとする傾向が特に強い。その傾向は、1994年になされた人の強制失踪に関する米州条約(米州強制失踪条約)の採択や、次に述べる米州人権裁判所判決にも如実に表れている。
米州人権裁判所の機能
米州人権裁判所は、上述のように米州人権条約の履行監視機関として創設された。また、今日では米州人権委員会と同様、米州機構において採択されたそのほかの人権条約の履行監視機関としても用いられる場合がある。米州人権裁判所は、第一に、争訟事件について法的拘束力のある判決を下す権限を有する。ただし、米州人権条約の締約国であっても、米州人権裁判所の管轄権を受諾していない国については、米州人権委員会が米州人権条約の解釈適用を行う。また、米州人権裁判所に事件を付託することができるのは、当事国と米州人権委員会のみであり、個人は提訴することができない。この点、ヨーロッパ人権裁判所では、今日ではいずれの個人も締約国による欧州人権条約違反を申し立てることができ、米州人権裁判所制度とは一線を画する。
1980年代以降の真実和解プロセスとの関連では、米州人権裁判所は、1988年にヴェラスケス・ロドリゲス事件判決において、強制失踪を生じさせたホンジュラス政府の行為を米州人権条約違反と認定し、高い評価を受けた。また、ラテンアメリカ諸国では長期軍政が終了する際に、政権側の主導により、過去に生じた人権侵害に関与した軍、警察および市民への恩赦法が制定されることが多かった。その主たる目的は、とりわけ政権側の加害者による人権侵害行為が民政移管後に法的に裁かれない国内法制度を構築することにあり、不処罰を許容するこのような制度の存在は、大きな社会問題となってきた。しかし、米州人権裁判所は、2001年のバリオス・アルトス事件において、ペルーで施行された恩赦法が米州人権条約に違反するとの判決を下し、旧政権側への責任追及に道を開いた。このように、米州人権裁判所もまた、締約国における人権状況の改善に大きく貢献してきたといえる。
第二に、米州人権裁判所は勧告的意見を出すことができる。勧告的意見とは、条約の解釈適用について裁判所が専門的観点から述べる法的拘束力のない意見であり、米州機構加盟国と米州機構の主要機関が裁判所に意見を求めることができる。この制度は米州人権裁判所の創設以来、積極的に利用され、これまでに21の勧告的意見が出された。また、扱われる問題も、条約の留保といった理論上の問題から、死刑、人身保護令状、児童の権利などの具体的な権利に関する問題まで幅広い分野にわたる。
米州人権保障制度の課題
以上のように、米州人権委員会および米州人権裁判所は、米州機構加盟国における人権状況の改善に積極的に取り組んできた。ただし、北米二ヵ国は米州人権条約を締結しておらず、米州人権条約は中南米諸国のみが締約国となっている状況である。さらに、米州人権条約には廃棄条項があり、これまでにトリニダード・トバゴとベネズエラが当該条約を廃棄した。これは、廃棄条項がなく条約の廃棄は原則認められないとされる市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)とは対照的である。米州人権保障制度においては、当面、米州人権委員会により大きな役割が期待されるといえよう。また、米州機構それ自体の問題であるが、米州機構は米国の影響下で冷戦構造に組み込まれていたため、1962年のキューバ革命の際には米州機構はキューバの参加資格を剥奪した。2009年になりこの措置は解除されたが、キューバは米州機構への復帰に否定的であり、依然として同国への対応は地域的な課題となっている。