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国際人権ひろば No.120(2015年03月発行号)
人権の潮流
アフリカにおける地域的人権保障の実施
杉木 志帆(すぎき しほ)
(公財)世界人権問題研究センター専任研究員
アフリカにおける地域的人権保障のための取組みは、ヨーロッパや米州と同様、地域的国際機構の枠内でなされてきた(※編集注)。アフリカ大陸では、1963年にアフリカ統一機構(Organization of African Unity: OAU)が設立され、この機構は2002年にアフリカ連合(African Union: AU)に発展改組された。アフリカ連合は、モロッコ以外のすべてのアフリカ諸国が加盟する地域的国際機構であり、54の国と地域(サハラ・アラブ民主共和国を含む)で構成される。
アフリカ統一機構は、1981年に人及び人民の権利に関するアフリカ憲章(バンジュール憲章とも称される)を採択した。当該憲章は1986年に発効し、南スーダン以外のアフリカ連合加盟国すべてが批准をしている。さらに、2004年には人及び人民の権利に関するアフリカ裁判所(アフリカ人権裁判所)の設立について定めたバンジュール憲章の議定書が発効し、この裁判所は2006年に開所した。上記議定書には、26ヵ国が批准をしている。加えて、1999年には児童の権利及び福祉に関するアフリカ憲章が発効し、その履行監視機関である専門家委員会も設置された。さらに、2000年代には、女性の権利について定めたバンジュール憲章の議定書や、アフリカにおける国内避難民の保護及び援助に関するアフリカ連合条約がそれぞれ採択され発効した。
このように、アフリカにおける人権保障は、バンジュール憲章を中心として制度化されている。他方、この憲章が採択された背景には、設立当初、脱植民地化の文脈でのみ地域的人権保障に取り組んでいたアフリカ統一機構の限界があった。
バンジュール憲章採択以前の地域的人権保障
アフリカ大陸は、アラブ諸国で構成される北アフリカと、ブラック・アフリカとも呼ばれるサハラ砂漠以南の地域とに大別され、両者の間には大きな文化的差異が存在する。しかしながら、アフリカ諸国・地域のほとんどは、ヨーロッパ諸国による植民地支配の歴史を共有しており、このような歴史的背景から1963年にアフリカ統一機構が設立された。
アフリカ統一機構の主たる目的は、いかなる形態の植民地主義をもアフリカから根絶することにあった。そのため、当該機構では、脱植民地化による自決権行使や南アフリカ等におけるアパルトヘイト政策批判が喫緊の課題とされた。加えて、アフリカでは脱植民地化の過程で多くの難民が発生し、アフリカ諸国における政情不安の要因ともなっていた。そのため、1969年にはアフリカにおける難民問題の特定の側面を規律するアフリカ統一機構条約(アフリカ難民条約)が採択された。
他方、アフリカではとりわけ1970年代に、中央アフリカ、赤道ギニア、ウガンダの各国政権による深刻な人権侵害が発生していた。それにもかかわらず、アフリカ統一機構では、内政不干渉原則に基づきこれらの人権侵害を不問とする傾向にあった。このように、アパルトヘイト政策を批判しながら、そのほかの人権侵害を黙認することは、二重基準(ダブルスタンダード)であったといえる。加えて、アフリカ統一機構では人権問題を扱うための専門の委員会が設けられておらず、このような制度的不備も、当該機構が加盟国国内の人権問題に有効に対処し得なかった要因の一つであった。
以上のような状況の下、1970年代、NGOはアフリカにおける地域的人権条約の必要性を訴える活動を特に積極的に展開し、国連もまたそれらの活動を支援した。その影響を受けて、遅ればせながらアフリカ統一機構でも地域的人権条約起草のための審議が行われ、バンジュール憲章が採択されることとなった。
バンジュール憲章の特徴
バンジュール憲章には、人権及び基本的自由の保護のための条約(ヨーロッパ人権条約)や人権に関する米州条約(米州人権条約)と比しても、地域的価値観がより強く反映されている。憲章名にもあるように、バンジュール憲章は人だけでなく人民の権利についても複数の規定を有している。とりわけ1970年代後半以降、国際社会では「発展の権利」といった、特に発展途上国において新たに問題とされるようになった人権について、これらを「第三世代の人権」と位置づけ、市民的・政治的権利や経済的・社会的権利と対比させる議論がなされた。バンジュール憲章は、自決権のほか、富及び天然資源に対する権利、発展の権利、平和と安全に対する権利などの新たに主張された人権についても、これを人民の権利として規定する。
また、バンジュール憲章は、ヨーロッパ人権条約や米州人権条約が市民的・政治的権利についてのみ規定するところ、経済的・社会的権利に関する規定もいくつか有している。加えて、経済的・社会的権利の保障について、代表的な普遍的人権条約である経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約)では「漸進的に達成」するよう規定されるが、バンジュール憲章はこのような規定ぶりを採用しておらず、この点も当該憲章の特徴といえる注。
さらに、バンジュール憲章は、個人が家族、社会、同胞などに対して義務を有することも定めている。もっとも、このような規定が有する法的効果は、極めて限定的であると考えられる。実際、締約国がアフリカ人権委員会に提出する国家報告書においても、個人の義務の履行は特に重要な法的効果を生じさせる問題として扱われてはいない。
バンジュール憲章に基づく人権保障制度
バンジュール憲章はその実施機関として、人及び人民の権利に関するアフリカ委員会(アフリカ人権委員会)の設置を規定する。また、実施措置として、第一に、国家通報制度を定めている。これは、締約国が他の国による憲章違反についてその国の注意を喚起し、または直接、アフリカ人権委員会に事案を付託する制度である。1999年にコンゴ民主共和国は、隣国諸国が自国領域内で大規模な権利侵害を行ったとして通報し、これについてアフリカ人権委員会は憲章違反を認定した。また、第二に、締約国以外からの通報についても規定がある。これに基づき、アフリカ人権委員会は個人通報制度を設けており、2013年11月から2014年5月までの期間では87の通報がかかっている。加えて、第三に、国家報告制度が定められており、締約国は2年ごとにバンジュール憲章の実施状況について報告する義務を負う。1990年代までは締約国の半数近くが報告書を一度も提出しなかったが、今日ではそのような国は7ヵ国にまで減った。もっとも、締約国の多くは依然として、遅延のため不定期に報告書を提出している。
また、アフリカ人権裁判所には、アフリカ人権委員会や、アフリカ人権委員会に付託された申立の当事国等が事件を付託することができる。さらに、締約国が宣言を行った場合、アフリカ人権委員会のオブザーバー資格を持つNGOおよび個人は、当該裁判所に直接事件を付託することができる。これまでに、アフリカ人権裁判所には29の事件が付託された。加えて、7の勧告的意見も要請された。
アフリカ人権保障制度の課題および展望
以上のことから、バンジュール憲章に基づく地域的人権保障制度は、今日、概ね安定的に運用されているといえる。だが、その将来的な発展については課題が残る。第一に、アフリカ人権委員会はかねてより予算不足を主張しており、今なお解消されていない。アフリカ人権委員会の活動については、アフリカ連合の内部機関との連携が不十分であることが指摘されており、予算不足はアフリカ連合と当該委員会との間の距離感を端的に表しているといえる。また、第二に、アフリカ連合では、その主要機関として設立が予定されていたアフリカ連合司法裁判所について、財政上の理由などからこれをアフリカ人権裁判所と統合した上で設立することを予定している。だが、仮にこの統合が実現した場合、アフリカ司法及び人権裁判所(統合裁判所)が、アフリカ人権裁判所と同程度の役割を人権保障分野で果たし得るのかについては疑問がある。
ただ、アフリカ連合では、アフリカ開発のための新パートナーシップに関する活動のなかで、アフリカにおける相互審査システムを実施している。この審査の主眼は民主主義や経済的発展の促進にあるが、地域的人権保障の発展にも寄与することが期待されている。さらに、アフリカ諸国間では複数のアフリカ地域経済共同体が設立されており、共同体のなかには裁判所を有するものもある。西アフリカ諸国経済共同体裁判所をはじめとするこれらの裁判所は、人権侵害に関する事件についても管轄権を行使しており、今後、地域的人権保障への貢献が一層望まれる。
注:バンジュール憲章に基づく経済的・社会的権利の保障については、申惠?「社会的及び経済的権利活動センター並びに経済的及び社会的権利センター対ナイジェリア【判例紹介】」青山法学論集第45巻第4号(2004年)220頁以下を参照。
編集注:ヨーロッパ、米州の地域人権制度については本誌、大塚泰寿「ヨーロッパにおける人権保障システム」(117号、2014年9月)、大塚泰寿「ヨーロッパ人権裁判所の活動」(118号、2014年11月)、杉木 志帆「米州における地域的人権保障制度」(国際人権ひろば119号、2015年1月)を参照。https://www.hurights.or.jp/archives/newsletter/