ヒューライツ大阪は
国際人権情報の
交流ハブをめざします
国際人権ひろば No.121(2015年05月発行号)
人権さまざま
人が大切にされる社会をめざして - 退任によせて -
白石 理(しらいし おさむ)
ヒューライツ大阪 所長
アジア・太平洋人権情報センター(ヒューライツ大阪)の理事・所長を今期限りで辞することになった。私なりに「時のしるし」を読み取り、そのようにお願いした。これからは、国連に奉職していた頃に居を構えたスイスのジュネーブに戻ることになる。
2006年5月、何もわからずに来た大阪。それからの9年間は新たなことへの挑戦と学習の時であった。国際基準の人権が日本社会で理解され、受け入れられることを目指して奮闘し、あがく日々。やりがいがあった。苦労を重ねる中で、素晴らしい人びととの出会いがあり、しばしば助けられた。わずかでも良い結果がでると互いに喜び合える仲間を得ることもできた。失敗と挫折の中でも悲観的にならないで来られたのは、様々な形でいただいた支えと励ましのおかげである。
かつて聞いたことである。「人権の仕事は海の水をストローで飲むようなもの。終わりが見えない」。大阪で、そして日本社会でも、人権の仕事に終わりはない。これからは、私と志を同じくする人々に、信じて望みを託すほかはない。ただ、心残りがないと言えるほど悟りの境地に達しているわけではない。後ろ髪を引かれる思いもある。その一つを述べたい。
国境なき記者団という国際NGOがある。それが出した2015年「報道の自由度ランキング」で、日本は180ヶ国中61位、5年前の2010年の173ヶ国中11位から大幅に後退した。ちなみに東日本大震災が起こった2011年、日本はランキングの対象とはなっていない。日本のランクがこれほど下がったのは主に、福島第一原子力発電所の事故にまつわる報道と特定秘密保護法など安全保障法制の推移に関わる報道に関して、限定的な情報公開、自由な取材活動と報道に関して問題ありとされたということである。
けれども日本社会の現状は、それだけにとどまらない。
多数派とは異なる意見表明に対する熾烈な攻撃、インターネット上での常軌を逸した匿名の脅迫、主要報道機関の社会的役割を放棄するに等しい「自己抑制」などが「異常」ではなくなる。自由に情報を伝え、受け取ることができるという言論、表現の自由、その一部である報道の自由、それが脅かされる状況を危惧するのは、日本ペンクラブ会長だけではなかろう。
世界的にみても、報道の自由は脅かされている。誘拐されるジャーナリストは、しばしば生命の危険にさらされる。紛争地域で、取材活動をするジャーナリストを狙った攻撃。偶発的ではなく、初めから定められた標的。戦禍に苦しみ、暴力と不正の犠牲にされている人々の状況を伝えるジャーナリストの現実である。
2015年2月、モスクワで プーチン政権を批判してきた野党の活動家、ボリス・ネムツォフ氏が暗殺された。これまでもプーチン政権を批判してきた活動家やジャーナリストは、言論統制が強まるロシアで脅迫され、暴力にさらされ、そして殺されてきた。2006年10月にはアンナ・ポリトコフスカヤ記者、2009年1月にはアナスタシア・バブロワ記者。いずれもプロの殺し屋による犯行とみられたが真相は解明されていない。言論統制の下で、圧倒的な支持を受けているとされるプーチン政権を批判すること自体、身の危険を伴う。殺害された人たちは多数派から「売国奴」、「裏切り者」となじられていたという。
言論、表現の自由、報道の自由は民主主義社会の要である。自由に情報を伝え、受け取ること、これは人権である。この人権が保障されなければ、民主主義市民社会は育たない。多数派が、少数派の異論を力と恐怖で押さえつける。こんなことは決して許されないはず。それが起こる。
日本も戦時下、厳しい言論統制を経験した。「戦争遂行のため」として、異論は許されなかった。翼賛体制である。「非国民」とか「国賊」とか呼ばれた途端に迫害の日々が始まった。特別高等警察や憲兵の監視、尋問、拷問。記録に残る歴史である。こんなことが繰り返されないために一市民として何ができるのか。何をすべきなのか。
一人の例外もなく、人が人として大切にされる社会。人と人の絆が社会を紡ぐ。日本がそんな国であるように、希望を失わず訴え続けよう。
長い間お付き合いいただいた方々に言葉では尽くせない感謝の念をお伝えし、繰り返しこのコラムで掲げてきた「人権の真髄」をここで引用して、「人権さまざま」を終えたい。
世界人権宣言
第1条
すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。
第2条
1.すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。