肌で感じたアフリカ
DPI日本会議の女性部会で代表を務める藤原久美子さんに、2015年6月に参加された中央アジア実地調査のツアーについてお話をうかがいました。藤原さんは2016年2月の国連女性差別撤廃委員会による日本審査にも、障害女性を代表して参加します。(編集部)
ウズベキスタンの障害児社会適応センターを訪問して(右から2人目が藤原さん)
Q:中央アジア訪問の目的は?
JICA(国際協力機構)が行っている「中央アジア障害者のメインストリーミングとエンパワメントコース」において、現地に赴きプログラムの効果をモニターすること、障害者はどのような環境で生活しているのかを見ることが目的でした。私自身はこのプログラムに関わってきたわけではないのですが、訪問団に女性がいないのでお誘いをうけました。JICAの職員、プログラムの実施をJICAから委託されているDPI北海道の理事とその介助者、私、そして通訳の5人の団でした。
Q: どのような旅程でしたか?
成田からトルコ航空に乗りイスタンブール経由で行きました。中央アジア4か国から研修生を受け入れていますが、現地JICA事務所がないなどの理由で、今回はウズベキスタンとタジキスタンだけでした。全部で14日の旅でしたが、移動日があり、実際はウズベキスタンに4日、タジキスタンに5日滞在しました。障害者の施設を視察したり、障害者団体の方たちと会ったりしました。
Q: 現地では何語で交流されましたか?
日本からベテランのロシア語通訳者が同行してくれました。この研修はロシア語を話せることが受講の必須条件になっています。両国とも以前はソビエト連邦の一部だったので、多くの人がロシア語を使いますが、旧ソ連の時代からすでに時間がたっているため、若い世代はロシア語を話せない人もいます。その時は、タジク語やウズベク語からロシア語に通訳をしてもらい、そこから日本語に訳してもらいました。
Q:障害者の人たちはどのように暮らしていますか?
どちらの社会も基本的には大家族です。日本では障害者の自立生活が提唱されてきましたが、向こうでは、障害のあるなしにかかわらず、大人になっても親たちと暮らすのが一般的です。だから日本のような自立=一人暮らしというのはイメージしにくいのです。また年金はありますが十分ではないため、自立したければまず仕事に就かなくてはなりません。旧ソ連時代は障害者の作業所に、例えば軍服を作るなど、国からの仕事が多かったようですが、今はなくなったようです。
障害者団体も古くからある団体もあり、80年、90年経つところもあります。そうした団体は、“政府が何とかしてくれ”という意識があるようです。どちらの国でも弱い立場の人たちは保護の対象です。障害者に対して優しいけれど、決して対等ではありません。私も歩いていたら、さっと手が差しのべられたりしました。
Q:障害者の人口に占める割合はどうでしょう?
信頼できるデータがありません。また、これはどこの国でもそうですが、何をもって障害とみなすかによって数字は変わります。欧米諸国は15パーセントと言われているし、障害者手帳を発行している日本は6%程度と言われていますが、障害の定義によって数字は異なります。タジキスタンやウズベキスタンでは四肢を骨折しただけで切断に至ったということもあるそうで、欠損の人が多かったです。
Q: 障害児は普通校に行くのですか?それとも特別な学校に?
タジキスタンでは日本のNGOの支援を受けてインクルーシブ教育を実践している学校も視察しましたが、学校に行けない障害児も多いようです。普通校に行けるようになれば学校に通える子どもが増えるかもしれません。障害をもつ子どもの支援は基本的に親が行なっているようです。障害をもつ子が生まれたら、母親を中心に家族が皆でみる。旧ソ連時代は施設、今は家族のようです。
施設ももちろんありますが、訪問はしませんでした。盲人村、ろうあ者村のようなものがあり、視察してきました。寮のような施設で暮らしており、村の中で生活のすべてが完結しているようです。
家族で生活する場合もこのような施設で生活する場合も、外へのアクセスが保障されていないことが大きな問題です。シルクロードの中心地であり、歴史的なたたずまいがたくさん残っています。階段に絨毯が敷かれていてつまずきそうになりました。急こう配もあるし、道は平らではありません。広い道路にも陥没のようなものがありました。
Q: 障害者の人たちからバリアフリーを求める声はありますか?
日本で研修を受けた人たちは、日本のアクセシビリティに一番驚くようです。彼らの中には母国に帰ってすぐに政府に働きかけをして、バリアフリーができたという成果を語ってくれる人もいましたが、規模や範囲は分かりません。ウズベキスタンもタジキスタンも大統領の力が強大です。大統領の通る道だけは舗装されてきれいになっていることもあるようです。
ウズベキスタンは障害者権利条約に署名しました。JICAスタッフの協力により、ウズベキスタンでは諸団体が垣根を越えてつながり、条約批准に向けての動きがあるようです。
Q: 障害をもつ女性の状況はどのようなものですか?
男性の障害者は結婚している人も多いですが、女性の障害者の結婚にはストップがかかると聞きました。
知り合いの障害女性が帝王切開で出産したとき、生まれた子どもに障害はなかったが、それはたまたまだったとされ、彼女に何も知らされないまま子宮を摘出されてしまったそうです。私にその話をしてくれた女性は、それを問題だと考えているから私に話してくれたと思います。しかし問題意識は個人レベルにとどまっていて、皆と共有というところまではいっていないようです。以前日本でも、手術したついでに盲腸を切るということがあったと思いますが、同じような感覚でしょうか。優生保護法のような法律はありませんが、障害女性の子宮摘出は問題だという意識はないようです。
Q: 障害女性の運動はあるのでしょうか?
ウズベキスタンの障害児社会適応センターで会った障害女性は、これから会を作ろうと、申請中だということでした。またタジキスタンでは日本で研修を受けた人のセミナーを受講した後、仲間とともに会を立ち上げてピアカウンセリングや、政府へのアドボカシー活動、啓発活動を行っているそうです。もうすぐ地方組織もできるそうです。いろいろな団体の方と会いましたが、彼女が一番エンパワメントされているように感じました。国からの援助ばかり求めるのではなく、自分たちで自立していかないといけないと語ってくれました。
Q: 障害者団体が掲げている課題はなんですか?
先ほども言いましたが、皆さん口をそろえてアクセスビリティを言います。もちろんそれも大事ですが、障害者権利条約は医学モデルではなく社会モデルを唱えています。権利がベースです。今後どういう風に運動を組み立てていくか、どのようにリーダーを育てていくのかが重要です。
JICAが行っているこの研修には年齢制限があり、40歳以下となっています。現地の人に年齢で差別するべきではないと言われました。日本では生活の基盤があるので若い人も運動に専念できます。向こうではある程度生活基盤がないと運動できません。40歳以下の研修生が日本で学んだことがなかなか広がらない、活かせない。そうした年齢制限をとっぱらってほしい、中高年の私たちが研修を受けて、若い人を育てることができる、そう言っていました。
Q.最後に旅のエピソードを聞かせてください。
タジキスタンの地ビールがおいしかったです。私はアルコールが苦手ですが、おいしくて買って帰りました。ペットボトルにビールが入っていて珍しかったです。ハチミツもおいしかったです、日本は養蜂で砂糖水を飲ませるところが多いようですが、向こうは本物の花を与えます。行く前は不安なこともありましたが、行ってよかったです。また訪ねてみたいです。
ウズベキスタン、シルダニア州副知事との会食
じゅうたんを敷いた階段