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国際人権ひろば No.124(2015年11月発行号)

じんけん玉手箱

人権教育と道徳教育

阿久澤 麻理子(あくざわ まりこ)
ヒューライツ大阪所長代理

人権教育及び研修に関する国連宣言は、その一条で、人権と基本的自由について知ることはすべての人の権利である、と述べている。だが、人権を学ぶとは何を学ぶことなのか。人権があいまいにしか理解されていない社会では、人権教育の中身もまた、あいまいにならざるを得ない。

 自分が人間としてどんな権利を持っているのかを知ることは、最も基本的なことである。権利を学ばない人権教育なんて「あんこのないまんじゅう」である。

 だが、教員や市民を対象にした人権研修の場で、「人権とは何ですか、あなたの言葉で定義してください」と尋ねてみると、最も頻繁に返って来る回答の1つは、「おもいやり・やさしさ・いたわり」である。人権は、human right“s”(英語では、「数えられる」名詞が複数になるとsがつく)であるが、数えられるほど具体的な権利としてより、抽象的で、心情主義的な価値観として、人権は捉えられているのではないか。

 もっとも、権利を知ることが基本だからと言って、憲法や人権条約に記された諸権利を、ただ知識として知ればよいわけではない。諸権利にはそれを裏付ける価値があり、価値と共に学ばなければ血が通った学習とはいえない。歴史の中で、そして現代社会の中で、人としての矜持、人間の尊厳を保ち続け、差別や抑圧に抗した人びとの声と行動を知ることは、人間の尊厳、公平、公正、正義といった価値を学ぶことにつながる。

 ただし、価値の学習には注意すべきこともある。アジア・太平洋地域の学校では、人権教育を価値教育や道徳教育に統合して実施してきた国が少なくない。人権を独立した科目にして、学校・教師の負担を増やすより、既存の科目に統合することは現実的な選択であったが、人権の基盤となる価値や態度を教えるだけで、権利そのものの学習が低調となってしまっては、本末転倒である。

 そもそも、市民が自らの権利を学び、権利の主体として意識を高め、その実現を国に対して求める力をつけることは、民主主義の基盤を強固にすることである。しかし、体制側からみれば、そのような教育は、市民の要求を刺激し、国家に対する批判的意識を強めるものだとの警戒も生む。公教育(学校)が、権利を教えることに消極的になり、価値教育や道徳教育が人権教育に読み替えられやすいのも、そこに同根の問題があるからだろう。

 ところで、戦後の日本では、道徳は戦前の修身の復活、国家による個人の内面への統制につながるとの批判もあり、正式の教科として実施されてこなかった。1958(昭和33)年、小中学校に「道徳の時間」が特設されるが、教科外活動であった。それが2015年3月の小・中学校の学習指導要領一部改正によって、「特別の教科 道徳」として教科に格上げされることになった。移行措置を経て小学校では2018年度、中学校では2019年度から完全実施される。

 特設道徳の時から、同和・人権教育と道徳教育の関わりは深く、道徳の時間に人権・部落問題学習が行われたり、時には道徳が人権・部落問題学習の時間そのものになることもあったから(中野陸夫「同和教育と道徳教育」部落解放・人権研究所編『部落問題・人権事典』、解放出版社、2001年、718頁)、正式教科となった道徳に、人権をどう位置づけるのか、関係者の関心は高い。中にはこの2つの接合を先取りし、「道徳・人権教育」といった表記を行う教育委員会も見られるようになった。だが、まずは人権教育が価値や態度のみの学習に安易に置き換えられることがないよう、注意深く見守る必要があろう。

 さらに教科化によって、検定教科書が使用され、評価が始まることにも注意が必要である。同和・人権教育を通じて作られてきた地域教材、手法などが活かされる余地はあるのか、また、一律に教科書を使うとなると、同和問題、在日外国人、女性、障害者・・・など、マイノリティの権利を学ぶ時間が取れなくなるのではないか、と危惧する声も聞こえ始めている。

 今回の指導要領の改訂は、「いじめ問題」への本質的な解決として、「心と体の調和の取れた人間」を育成する道徳教育の教科化を、教育再生会議が提言したことから急速に進んだ。だが、いじめは個人の資質や内面だけに帰する問題ではなく、貧困・格差、地域や家族、対人関係の変化など、社会にも深く関わる問題ではないのか。人権教育という社会にアプローチする学びと実践の場を、学校に確保し続けることがいま、一番大きな課題に思えてならない。