特集 3.11から4年-復興が不可視化するもの
2011年3月11日に発生した福島第一原発事故から4年8ヶ月以上が経過した。しかし、被災者を取り巻く現状は依然として厳しい。事故の収束が見通せないまま、今も放出され続けている放射性物質は、事故後避難を余儀なくされた人々や周辺地域に住む住民に健康へのリスクを及ぼし続けている。一方、政府や自治体は、人々の健康への被害を最小限にする取り組みを行っているとは言い難いのが現状である。
福島第一原発事故に伴う健康被害に関わるこのような状況を打破し、国際人権の視点から政府の対応に抜本的な見直しを求めるのが「国連グローバー勧告」である。
「国連グローバー勧告」の正式名称は、「『達成可能な最高水準の心身の健康を享受する権利(健康に対する権利)』」に関する国連人権理事会特別報告者アナンド・グローバー氏・日本への調査(2012年11月15日から11月26日)に関する調査報告書」である。「健康に対する権利」に関する国連特別報告者は、国連人権理事会より任命される独立の人権専門家であり、その主な任務は、健康に対する権利の侵害が懸念される地域や国で現地調査を行い、調査結果を国連総会と人権理事会に報告し、権利侵害の状態を改善することを勧告することである。国連の特別報告者によって出される勧告は、国連人権メカニズムの特別手続きとして実施さされる重要かつ権威あるものであり、勧告を受けた国や地域は誠実に履行することが求められる。
福島第一原発事故後に伴う周辺住民の健康に対する権利の実態調査は、2012年11月に10日間余りにわたって行われた。グローバー氏は、来日中、東京、福島県福島市、郡山市、南相馬市、宮城県仙台市などを訪れ、各関連省庁、福島県庁、福島県立医科大学、自治体、東京電力、地域住民、市民団体、NGO・NPO、及び原発労働者などにインタビューを行うとともに、モニタリングポスト周辺や学校、周辺住民の居住地域などで線量測定を行った。
そして、これらの調査と日本政府の反論を踏まえ、グローバー氏は、2013年5月、第23会期国連人権理事会に調査報告書を提出し、健康に対する権利の保障の観点から日本政府の対応の転換を求めた。その内容は、初期避難時の緊急対応、健康管理、子どもたちの甲状腺がんリスク、低線量被ばく、原発労働者の健康リスク、情報提供能力の欠如などの問題など多岐にわたる。
例えば、健康管理については、日本政府に対して、年間 1mSv 以上のすべての地域に居住する人びとに対する健康管理調査を実施することを求めるとともに、すべての避難者及び地域住民、とりわけ高齢者、子ども、妊婦などの社会的に脆弱な立場にある人が、メンタルヘルスの施設、必要品やサービスを利用できるようにすることに求めている。また、避難区域、及び放射線の被ばく量の限度に関する国家の計画を、最新の科学的な証拠に基づき、リスク対経済効果の立場ではなく、人権を基礎において策定し、年間被ばく線量を 1mSv 以下に低減することなどを勧告している。
一方、この勧告に対して、政府は、グローバー勧告を「非科学的」とし、勧告の受けた箇所については「対応済み」であるなどとして受けいれない態度を明確に示している。
今回の健康被害拡大の要因の1つは、原発事故に対する放射線量の基準について、政府が事故直後に国内法と国際基準を大幅に緩和し、なし崩し的に年間被ばく線量20mSvとした点である。この基準は、グローバー勧告を含め、国内外からの非難を受けてもなお依然として維持されている。この点、「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」及び同法施行令や、労働安全衛生法、及び労働安全衛生法施行令の規定に基づいて定められた「電離放射線障害防止規則」をはじめとする国内法は、いずれも年間被ばく線量1mSv 以下と規定している。
また、1986年に発生したチェルノブイリ事故では、旧ソ連政府は、1991年に方針転換し、自然放射線を除く年間被ばく線量が最大5mSvを超える地域を移住区域とし、1mSv を超える場合には、住民に避難の権利を認め、避難のための財政的支援や情報提供を行うことを国家の責務とした。この方針は、その後、後継国(ロシア、ベラルーシ、ウクライナ)に引き継がれている。
一方、2012年6月に成立した原発事故子ども・被災者支援法は、その8条で、「支援対象地域」を「その地域における放射線量が政府による避難に係る指示が行われるべき基準を下回っているが一定の基準以上である地域をいう」と規定しているが、具体的な基準は規定していない。グローバー勧告や既存の国内法に従うとともに、チェルノブイリの先例を参考にした対応が求められる。政府はこれまでの方針を抜本的に転換し、年間被ばく線量が20mSvという非常に高いレベルではなく、年間被ばく線量1mSv を基準として、影響を受けているすべての人に対して支援を実施すべきである。その際、低線被ばく量の影響が否定できない以上、妊婦や子どもなど、社会的に脆弱な立場にある人の影響を考慮に入れた政策が不可欠である。
最後に、グローバー勧告の実施に関連する国連の動きについて概観したい。まず、2012年11月2日に国連人権理事会で行われた定期的普遍的審査(UPR)では、第2回日本政府報告書の審査が行われた。審査の結果、福島第一原発事故に伴う放射線による健康被害について、福島県住民の健康を保護するための適切な措置と、2012年11月に来日した「健康に対する権利」に関する国連特別報告者が被災者(県外避難者含む)や、市民団体等に会えるように保障すべきであるとの勧告が盛り込まれた。
次に、人権条約機関での審議としては、社会権規約委員会第3回政府報告書審査(2013年5月)と、自由権規約委員会の第6回政府報告審査(2014年7月)がある。
2013年の日本審査では、社会権規約委員会は、災害救援や復興において、人権を基盤とするアプローチをとることなどを含め、グローバー勧告の実施を日本政府に求めた。なお、この審査の前年の2012年5月には、同委員会の会期前作業部会で、日本の政府報告書に対する非政府組織(NGO)の情報を考慮しつつ、質問事項のリストが作成され、2013年5月の本審査では、日本政府にこの質問事項への回答を求める形で審議が進められた。福島第一原発事故に伴う被災者の健康被害に関しては、被災者の生活支援や、避難・再定住計画における、高齢者や障害のある人、妊婦、子どもなどの特に影響の受けやすい人びとに対する配慮、原子力発電事故の防止などについて、事故の影響を受ける被災者の健康に対する権利の保護に関する情報の提供を求める内容となっていた。
2014年の日本審査では、自由権規約委員会は、日本政府が「福島に許容する公衆の被ばく限度が高いこと」や、「数か所の避難区域の解除が決定され、人びとが放射能で高度に汚染された地域に帰還するしか選択肢がない状況に置かれていること」に懸念を表明した後、次のような勧告を行っている。すなわち、日本政府は、「福島原発事故の影響を受けた人びとの生命を保護するために必要なあらゆる措置を講ずるべきであり、放射線のレベルが住民にリスクをもたらさないといえる場合でない限り、汚染地域の避難区域の指定を解除すべきでな」く、また、「締約国は放射線量のレベルをモニタリングし、こうした情報を時機にかなった方法で、原発事故の影響を受けている人びとに提供すべき」である。
2016年2月には、女性差別撤廃委員会で日本の人権状況に関する審査が行われる。福島第一原発事故に伴う被災者、特に女性の健康被害等の現状と課題について、同委員会へ情報提供を行うとともに、政府に対して、引き続きグローバー勧告の実施を求めていきたい。