じんけん玉手箱
マイノリティ集団を差別・排除するよう、不特定多数の人びとを扇動するヘイトスピーチ。その行為が、マイノリティの当事者にもたらす心理的被害の大きさは計り知れません。「自分のアイデンティティを明らかにすれば、自分にも攻撃が向くかもしれない」という、「相手が見えない」恐怖に直面し続けねばならないからです。日本の裁判所は、京都朝鮮第一初級学校の前でヘイトスピーチを繰り返した在特会の会員らに、損害賠償の支払いと街宣活動の差し止めを命じましたが、在特会の行為が一人ひとりの子どもらに与えた心理的被害は、とうていそれだけで解決されるものではありません。
このような「ヘイト」行為は、この10年ほどの間に日本社会の中で顕在化し、蔓延した重大な社会問題です。不特定多数への差別の扇動が、このような「見えない恐怖」を生むことの重大性には、もっと関心が払われるべきでしょう。
ところで、上記のヘイトスピーチに対する裁判所の判断が確定したのは2014年12月9日のことでしたが、その4日前にも、最高裁が別の裁判で重要な判断を下しています。同和地区の所在の特定につながる情報公開の是非をめぐる判断です。
ある人物が滋賀県に対して、同和地区名やその区域を特定する諸文書―同和対策事業にかかる推進計画や事業実施区域を示した地図、地区内で隣保事業を実施する施設の所在地情報など―の情報公開請求を行いましたが、県はこれらを非公開としました。なぜなら、地名や所在地は単なる符号ではなく、住宅地図等と照合すれば、そこに暮らす人びとが特定され、重大な人権侵害につながる可能性があるからです。また、県では日頃から市民や県内の事業所等に対して、人権教育・啓発、指導等を実施していますから、差別につながる情報公開は、行政のこうした取り組みにも矛盾してしまいます。
県の条例には、情報公開を制限する条件の定めが設けられており、上記の理由はそれぞれ、「公にすることで個人の権利利益を害する恐れがある」情報、行政の「事務の円滑な実施を困難にする情報」(=情報公開は、教育・啓発等の事業に支障をきたす、という意味です)にあたるという理由で、県では非公開を決定しました。
最高裁も、これらが非公開情報にあたるという判断を下しました。ですが、問題は、裁判や判決とはかかわりなく、この人物が関わるグループが、同和地区の特定につながる情報をインターネット上で拡散していることです。今年の2月には、政府がかつて実施した全国部落調査の情報を「著作権保護期間が切れているため自由に配布することができる」として再刊を公表し、ウエブ通販会社を通じて予約販売を始めるという事件が起きました。販売中止を要請する多数のメールが通販会社に寄せられたため、サイトはすぐに削除され、また、出版・販売に対しては、横浜地裁により禁止の仮処分が下されたところです。
この人物やグループが行っている情報の拡散は「マイノリティの排除を不特定多数に対して扇動する」蓋然性が高いという点で、「ヘイト」行為であると私はとらえています。いや、直接にマイノリティの排除を路上で呼びかけるようなことはせず、マイノリティを特定するためだけの情報を公開するやり方は、さらに悪質かもしれません。
不特定多数に対する差別の扇動は、それを規制する法がない日本社会の間隙をついて起きており、今こそ法の整備と市民運動の強化が求められているのですが、広く呼びかけることが難しい…と多くの人が「思わされてしまう」ところにも、実は大きな問題があります。インターネット上の差別情報を問題にし、語れば語るほど、そうしたサイトを見る人が増え、差別情報を拡散するのではないか、との恐れがあるからです。メディアが取り上げようとしない背景にも、同様のことがあるでしょう。現代の深刻な差別・排除である「ヘイト」に向き合うため、このことを問題提起したいと思います。