特集 難民問題を考える
これほどまでに日本のメディアを「難民」という文字が飾った時代はないではなかろうか。きっかけは、言うまでもなくちょうど1年前の2015年9月初めに、トルコからギリシャにボートで渡ろうとしたシリア難民家族の男の子の遺体が、岸に打ち上げられた映像からだった。これに対し、シリア難民を受け入れようという動きは、いわゆる先進国を中心に世界中に広がり、シリア危機が深刻化する以前の十数年のあいだ、世界で難民受け入れが縮小してきた状況を一気に変えることになった。
本稿では、おもな先進国の受け入れの特徴、および、とくにここ10年難民受け入れが縮小してきていたが2015年10月の政権交代で難民政策を一変させたカナダに着目して、世界の最先端で起きていることと、これから日本が取りうる政策について論じたい。
シリア難民の子どもの溺死事件が報道される少し前、ドイツのメルケル首相が80万人のシリア難民受け入れを表明していた。難民受け入れの大きな流れが周辺国からヨーロッパに向いた矢先の出来事だったこともあり、各国の反応は早かった。
それまでどちらかというとシリア難民の受け入れには消極的な対応だった英国は、すぐに1万人の受け入れを表明した(のちに2万人に上方修正)。それまで具体的な受け入れ数値目標を発表していなかった米国も、1年間で1万人の受け入れを表明するなど、多くの国で新たなシリア難民受け入れが表明されることになった。
そうしたなか、国際社会に押されるかたちでインドシナ難民を、20数年間で11,000人以上政策的に受け入れた日本は、今回の「戦後最大の人道危機」に関しては、まったく世界の潮流に背を向けるように、難民受け入れには口を閉ざした。
そんな世界の状況を一変させたのが、2015年11月13日に発生したパリ同時多発テロだ。当事国のフランス、ベルギーだけでなく米国でもいくつかの州の知事や議会は、「受け入れ反対」を表明したり議会で議決したのである。それ以外の国でも、少なくない政治リーダーが現状維持を表明する一方で、世論の反対を受けて、受け入れを一時凍結する措置が相次いだ。
そうした一気に冷え込んだ世界のシリア難民受け入れへの対応に、ひとり気を吐いたと思われるのがカナダだ。2015年10月19日の総選挙で、シリア難民25,000人受け入れを公約に選挙を戦い、約10年ぶりの政権交代を果たした自由党のトルドー首相は、パリ事件を受けて2ヵ月開始期間を延長したものの、その人数を維持し実現させた。
カナダも多くの難民受け入れ国がそうであるように(日本も同様)、自力でたどり着いた庇護希望者のための難民認定申請制度と、出身国以外の地域に逃れている難民を受け入れる第三国定住を実施しているが、上記25,000人のシリア難民は、後者の第三国定住によって周辺国から呼び寄せるかたちで実現した。
カナダの第三国定住は、政府による受け入れと、カナダ独特の特徴である民間による受け入れとに大別され、その他政府と民間の共同プログラムもある。この民間による受け入れが、カナダで特徴的に発展し、とくにここ数年、各国から大きな注目を集め、「カナダに学べ」という流れができている。多くの国が、既存の政府受け入れ(通常の第三国定住)をこれ以上増やせないと考え、民間の資金や施設を活用できる民間による難民受け入れを魅力的ととらえているようだ。
2014年のカナダの難民の受け入れ数は、合計で23,286人だったが、そのうち難民申請により認定された人が7,749人、第三国定住(政府受け入れ)が7,573人、第三国定住(民間受け入れ)が4,560人、 家族呼び寄せが3,227人、その他177人だった1。
カナダの民間受け入れを通じた難民の受け入れは、1978年、ベトナム戦争により大量にカナダに流入したベトナム難民の受け入れ時に始まった。
民間受け入れ団体は、1年間難民を支援できる費用を事前に用意しておく必要がある。難民1人を受け入れる場合は12,600カナダドル、難民2人の場合は21,200カナダドルなど、団体が事前に用意すべき金額は政府により決められており、原則無償で提供される語学研修と医療費を除いた家賃や生活費等の費用に充てられる2。
民間による受け入れは3種類あるが、その最も典型的なかたちは、移民・難民・市民権大臣と合意書を締結した政府公認の民間スポンサー(SAHs)である。2016年7月時点で、105団体がカナダ全土でSAHsとして認められている。信教に基づく団体(FBO)やカナダ在住の移民・難民が組織した団体、人権団体が多い。
SAHsの主な役割は、受け入れる難民の選考、および選ばれた難民とConstituent Groups(CG)と呼ばれる草の根組織とのマッチング、マッチングされた難民の移民局への申請などである。またCGは、住居を探したり、子どもたちが通う学校を手配したりと、入国後1年間の実質的な支援を行う。
難民支援協会のスタッフがトロントに訪問した当時(2016年1月末)、毎晩のようにSAHsによる「難民説明会」が行われており、NGOが主催したいくつかの説明会に参加する機会を得たが、どのセッションも、主催者の想定を遥かに上回る参加者で非常に盛況だった。
また、こうしたセッションに参加しているボランティアの中には、難民としてカナダに来た方々もおり、自らの経験を次の世代に提供するという好循環を生んでいることも目の当たりにできた。
イラク人が多く集まる教会での「難民説明会」のようす。
日本は、自力でたどり着いた庇護希望者に対する難民認定制度では、その著しく低い難民認定率で知られるが、第三国定住に関しても年間30人、対象もミャンマー難民に限られる「難民受け入れ小国」である。いま、シリア難民の各国受け入れに関して、対応を話し合う国際会議が“Responsibility Sharing”(「責任の分担」)の名のもとに断続的に開催されている。おりしも、2016年5月下旬に開催されたG7伊勢志摩サミットでも、シリア人道危機はみなで解決すべき問題と認識され、そのサミットを前に、日本政府もついに「5年間で最大150人のシリア人留学生の受け入れ」を表明した。
これは、国際社会で共有する「シリア難民受け入れ国」のリストに、少なくともJAPANの名が刻まれたという意味でも大きな一歩と捉えているが課題は多い。留学後の帰国もそんなに簡単ではない現状に鑑みて、実質的には難民受け入れと考えて、彼・彼女らがスムーズに日本社会に受け入れられる「社会統合政策」が不可欠であろう。
また、カナダ、米国のような移民国家でもなく、日本より経済規模も小さないくつかの国が表明している受け入れ数と比べても、日本の受け入れはまだ見劣りする。G7の一角を占める「リーダーとしての経済大国日本」が、そこに目をつぶったまま、期待される応分の責任を果たさぬまま、現在の国際的な地位を維持できるのか、また名乗っていていいのだろうか?
現状、受け入れ態勢が整っていないというのは事実であろうが、それを整えていく「意志」なしにただ待っていても、何も道が示されるわけではない。またそうした「意志」は、政治的なリーダーにもちろん求められるものだが、実際に地域社会で受け入れるのは市民社会であり、受け入れを実現させるためには、政策(企画立案)レベルでも、運用(事業実施)レベルでも、市民社会と政府・自治体との協働が不可欠であり、すぐにでも協議を始めるべきと考える。
カナダのように、熱狂的に迎え入れる準備がまだできていないとしても、強い意志をもった市民社会が今こそ必要とされている。
難民申請不認定となったシリア難民。在留は許可されるが、日本での家族呼び寄せに2年半を費やす。政府が提供する難民認定者向けの定住支援は受けられない。
注
1:http://www.cic.gc.ca/english/resources/statistics/facts2014/permanent/02.asp(カナダの移民・難民・市民権省の入管統計に関する英語サイト)
2:http://www.cic.gc.ca/english/pdf/kits/forms/IMM5373AE.pdf 各スポンサーが移民・難民・市民権省に申請する書類には、事前に用意しておくべき金額が示されている。難民入国後の定住プランや経済的支援に関する方針を提出することが求められている(英文)。