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国際人権ひろば No.130(2016年11月発行号)

特集 台湾の人権とエンパワメントに出会う旅・報告

人権抑圧の歴史と国家人権博物館

橋本 義範(はしもと よしのり)
NPO法人 おおさかこども多文化センター事務局長

 台湾の戦後の人権抑圧と「国家人権博物館」

 

 台湾は女性の蔡英文氏が総統に選出されるなど、今や「世界で最も自由に発言し、行動できる場所の一つになった」(野嶋剛『台湾とは何か』ちくま新書)と評価されている。しかし、そのような台湾で、今からは想像すらできないほどの政治弾圧が行われていたことを、日本ではどれほど認識されているだろうか。今回、台北近郊の「国家人権博物館」を訪れ、台湾政府が凄まじい人権抑圧を行っていたことを知り、自分があまりにも無知であったことに恥ずかしく思った。

 第2次世界大戦の終了後の台湾の政治情勢は、この号の阿久澤報告に詳しいが、日本軍に代わり進駐した国民政府による圧政が展開された。1947年の「2.28事件」に始まり、49年の戒厳令施行後はますます、その強権政治は苛烈になった。国民政府はこの間、国内の民主人士を不当に逮捕、監禁した上、公正な裁判もせず、自由のみならず生命すら奪った。その受難者は16,132人にも及び、そのうち1,226人が処刑されたという。

 「国家人権博物館」はこの非人道的歴史を後世に残すため、「白色テロ」の現場の保存、資料、文物などを収集、研究などを目的として設置されている。「博物館」は2箇所にわかれ、「景美人権文化園区」には、台湾警備総司令部所属の軍事裁判所拘置所などが設置されていた。さらに今回訪問できなかったが「緑島人権文化園区」には戒厳令下、保安司令部や受難者を収監、刑を執行した刑務所も置かれていた。

 

 受難者蔡焜霖先生のお話

 

 戦争・政治的弾圧等における民衆の被害を後世に残すには、当事者の生の証言ほどリアリティがあり、聞く者の心に訴えるものはない。今回もまさにこのことを証明するかのようであった。

 案内してくださったのは今年85歳の蔡焜霖先生。読書家であった蔡先生は高校在学中、担任の勧めで「読書会」に参加したという理由だけで、20歳になった1950年、突如として投獄された。そのあと10年もの長きにわたり政治犯として緑島の刑務所に収容された。

 いくつかお話しいただいたエピソードの一部を紹介したい。

 刑務所には狭い部屋に多くの政治犯が収容されていたため、寝るときはまるで鰯の缶詰のような状態だったという。蔡先生は投獄された当時、同室の仲間内で最も若かったため、収容部屋にあった便器のすぐそばで寝なくてはならなかった。夜中に収容者が用をたす時、便器からの跳ね返りを防ぐため、タオルを顔に被せて寝たという。

 さらに収容者の中で恐れられていたことの一つが、看守による朝の点呼だった。当日、処刑される者の名前が告げられ、その場で処刑場に連行されるという。当然、収容者全員がそれを知ることになる。ある日、呼ばれた名前は収容者仲間から慕われていた高校の校長だった。まもなく校長が連行される時、一部の収容者たちが自分たちの思いを伝えるため、校長の好きだった「幌馬車の歌」を歌い始め、それが次々に各部屋に広がっていったという。蔡先生はその場を思い出されたのか言葉を詰まらせながら語られていたことが印象に残っている。

 次のような話もあった。ある医師は自らの処刑を想定し、懐妊中の妻などに宛てた遺書を何通か残した。しかし当局は処刑後も、それを遺族に渡さないままで隠していたという。約50年後、その当時、母のお腹にいた娘の子(医師からは孫)がその遺書を発見した。医師の娘は、自分の父親について全くまったく知らされていない中で父の遺書の内容を知り、思わず号泣したという。

 

 近代では世界のどの地域でも、権力を持つ者がその気になれば、無慈悲かつ残酷な弾圧を行うことができる一方、民衆は常に悲惨な被害者になりうるということは十分知っていたつもりである。それでも今回の「人権博物館」を見学しながら聞いた蔡焜霖先生のお話は、その認識を超える驚きと権力者への怒りを感じた。

 台湾であった悲惨な出来事は決して「過去のこと」として葬り去ることはできない。現在の政治情勢を考えると、いわゆる民主主義国家と考えられている国でも、もちろん日本でも起こりうるものだと考えた。

ひろば130号p.9 「美麗島事件」の写真パネルを説明する葬先生.jpg

「美麗島事件」の写真パネルを説明する蔡先生