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国際人権ひろば No.131(2017年01月発行号)

じんけん玉手箱

「ホロコーストは殺害から始まったのではありません。言葉から始まったのです。」

阿久澤 麻理子(あくざわ まりこ)
ヒューライツ大阪所長代理

 アメリカ大統領選挙後の2016年11月8日からほんの10日ほどの間に、マイノリティに対する侮辱や脅迫など、ヘイトに基づくハラスメントは同国で867件も報告され、その数は今も増え続けています1。それらはスーパーマーケットや学校、路上などの、日常の生活の現場で起きています。安心して暮らす、というあたりまえの市民生活の根幹が揺るがされているのです。

 もちろん、これらのすべてがドナルド・トランプ氏の支持者によるわけではないでしょう。しかし、大統領候補者が選挙期間中に、特定の人種や宗教、移民を排斥する言説を繰り返したことが、ヘイトに基づくハラスメントの増大につながったことは明らかです。「大統領候補者が公言しているのだから、自分だって言ってもよい、やってもよいのだ」という感覚が社会に浸透し、さらにトランプ氏の勝利によって、「自分たちの考えが主流なのだ」との考えが急速に広がってしまいました。これ以上、ヘイトが社会に浸透しないように、今、一つひとつのヘイト事象を問題にし、非難しなければなりません。

 

 「ホロコーストは殺害から始まったのではありません。言葉から始まったのです」という言葉は、ワシントンDCにある、ホロコースト記念博物館が、2016年11月21日に出した声明の一部です。その2日前、同じワシントンDCの、同博物館からそれほど遠くないエリアで、オルト・ライト(オルタナ右翼)の集会がありました。白人至上主義、反ユダヤ主義、反移民による「強いアメリカ」を掲げるその集会で、若手のリーダーが「ハイル(万歳)トランプ! われわれ万歳! 勝利万歳!」と叫ぶと、参加者の一部はナチス式敬礼でそれに応えました。声明文は、この出来事に対する、同館からの強い意見表明でした。なお、同博物館は、ホロコーストによる600万人を超えるユダヤ人とその他の多くの犠牲者を悼み、その事実を伝えるための施設です。その開館に向けた協議会の設置は、1980年のアメリカ議会において、満場一致で採択されました。館はその後、十数年の準備を経て、1993年に開館に至っています。

 

 さて、オルト・ライトは、「マイノリティに対する差別や偏見を言葉や態度で示してはいけない」という「タテマエ」(ポリティカル・コレクトネス)の存在が不自由の源であって、自分たちの差別的な言説は、表現の自由であり、人権の行使である、と主張します。また、「マイノリティが特権を享受しているがゆえに、自分たちこそ権利を侵害された被害者である」という、強い被害者感情の表出も、かれらの主張の特徴です。「ハイル・トランプ」を叫んだオルト・ライトのリーダー、リチャード・スペンサーは38歳、まさにアファーマティブ・アクション政策の全盛期に学校教育を受け、そこで反人種差別の理念を学習した世代でありながら、反差別教育の論理を逆手に利用し、それをマイノリティ排斥の論理に置き換えているのです。彼らが、自らを「犠牲者」に模し、白人の優位性を叫ぶ背景には、白人としてのアイデンティティが、公民権運動の主張や、多文化主義によって脅かされているという不安があるのではないかとの指摘もあります。

 また、彼らは旧来の保守政治家を「カッコウ保守主義者」とあざけります。保守でありながら、グローバリズムを支持した政治家は、自分たちを守ってくれない「裏切り者」だということを、カッコウの托卵(たくらん)を比喩に表現し、自分たちこそ、オルターナティブな、新しい保守主義なのだと言うのです。

 ところで、彼らは主流のメディアを「マイノリティを擁護するばかりで、自分たちの声には耳を傾けない」と非難します。それゆえインターネットを通じて、情報と主張を発信し、その信奉者もネットを介して広がりました。

 これらはアメリカの事象ですが、上記の文章の主語をいくつか入れ替えると、日本にもあてはまることだと、感じるのではないでしょうか。グローバルなレベルで、同時多発的に起きている出来事に、日本の私たちも向き合うことが、今、求められていると痛感します。

 


1 人種差別についての調査やヘイトグループの監視を行っている「南部貧困法律センター」(Southern Poverty Law Center)による。

2 https://www.ushmm.org/information/press/press-releases/museum-condemns-white-nationalist-conference-rhetoric (2016.11.5アクセス)