特集 働く人の人権
近年、安倍政権は「女性が輝く社会」をスローガンに「女性活躍」を成長戦略に位置づけ、2015年9月には女性活躍推進法を成立させた。しかし100位近辺をさまよう世界経済フォーラムのジェンダーギャップ指数ランキングは改善されず、2016年は111位にまで落ち込んだ。日本は今や世界有数の男女格差大国である。しかし近年盛んに論じられる格差・貧困問題において女性はどれほど注目されているのだろうか。本稿では見えにくい女性の状況の中でもとりわけ目を向けられにくい世帯内の女性の状況について独自調査データ分析を紹介しながら考察したい。
「格差」拡大が論じられるようになったのは90年代後半期からである。金融機関が倒産する大不況の発生と労働の規制緩和拡大による雇用の非正規化の進行以前には、国内問題としての格差や貧困への関心は概して希薄であった。2000年代に入り派遣労働が製造業に及ぶと男性の非正規化が急激に進行し、フリーター問題が焦点化した。その後2008年のリーマンショック後の年越し派遣村や相対的貧困率の集計などを経て、貧困・格差問題は最重要課題となった。
では男女格差もこの時期に拡大したのかと言えば、そうではない。男女格差は今に始まったことではなく、80年代から現在にいたるまで、さほどの改善をみないまま深刻な格差が継続しているのである。低賃金で不安定な雇用形態である非正規労働は、女性にとっては男女雇用機会均等法以前からの常態であり、労働の規制緩和は女性労働から導入されてきた。低賃金不安定雇用は母子世帯を直撃する。80年代を通じて増加した母子世帯の貧困はすでに深刻であり、87年には札幌で母子世帯の3人の子の母親が餓死するという痛ましい事件が起きている。背景には生活保護や児童扶養手当など母子世帯の命綱と言える諸制度の後退がある。このような経緯を顧みれば近年の「格差」論は男女格差を視野に入れているとは言えない。
女性の貧困問題として母子世帯に加えて多少とも注目されてきたのは単身高齢女性である。また最近非婚シングル女性の調査研究も取り組まれている。これらは男性世帯主世帯から「脱落」(あるいは「逃亡」)した女性であり、この「脱落」が女性の貧困リスクを高めている。性別役割分業家族への包摂が今も生存の命綱であり続けているとすれば、女性の貧困の要因が世帯内の女性の状態にあることは明白であろう。格差や貧困が社会的関心事になるずっと以前から、女性の貧困は世帯に隠れて存在していた。それはむしろこの社会の標準状態であったと言える。女性を家族役割に位置づけ女性が自ら生計を立てる可能性を想定外とする性別役割分業を前提とした社会構造と制度こそが女性の貧困の要因であるからだ。格差・貧困が社会問題化しても長らく女性の貧困への関心は希薄であったのも、世帯内に包摂されている者の生存は世帯主によって保障されていることが暗黙かつ当然の前提だったからである。
この暗黙の前提を明示しているのが厚生労働省や内閣府のフリーター概念図である。「フリーター」は80年代末から使用されるようになった造語で、若年層の非正規雇用者を示しているが、明確な性の二重基準を含んでいる。年齢は15歳から34歳で、学生、および女性のみ既婚者が排除され、既婚女性は「主婦」と定義されている。「学生」「主婦」が排除されるのは、彼らが被扶養者であると見なされるからである。「主婦」は主に家事育児などを担当する(すべき)女性であり自ら生計を立てる必要はないとされる。女性にとって結婚とは生涯「養ってくれる」稼ぎ手の獲得なのである。この概念図は多くの批判を受けながらも今なお使用されている。では既婚女性は本当に主婦、つまり男性稼ぎ主の庇護のもとで無職あるいは家計補助的な労働にしか従事しなくとも生活していける層なのだろうか?
フリーターは90年代から徐々に社会問題化した。当初は若者の労働観の変化として、恵まれた、自由な、もしくはわがままな若者、といった論が多くを占めていたが、2000年代にはいると平成15年版国民生活白書が特集を組むほど社会問題化したが、それは男性を巻き込む非正規化の進行によって「男性世帯主」としての稼ぎを得られず結婚が困難な男性問題として、少子化への関心とともに焦点化した。つまりフリーター問題とは若年男性に代表された問題であった。しかしフリーターの実態を見ると、既婚女性を排除してもなお、女性の方が多い。フリーター数は2003年をピークに減少し2008年以降は横ばいであるが、2008年以降増加に転じ、2013年の対人口比では男性の6.2%、女性では7.5%である。
フリーター率には学歴の影響が顕著である。とはいえ高卒男子より大卒女子の方がフリーター率は高い。にもかかわらず、貧困、非正規労働問題は男性に代表されてきた。女性の貧困や非正規雇用問題は「標準」とされる男性世帯主世帯から「脱落」した場合については母子世帯等当事者の懸命な努力により不十分ながらも問題化したが、世帯内にとどまる既婚女性には関心は向けられない。
筆者を含む研究グループは2014年に若年層のウェブ調査を実施し、フリーター定義年齢の高卒男女各1000名から回答を得た1。非正規率は高卒以下において顕著であるため対象を高卒以下に絞り男女比較分析を試みた。この調査回答者の中の既婚女性は、政府定義に反して、配偶者の扶養能力が十分とは言えず、必ずしも扶養者を獲得した「主婦」とは言えない層が、約2割以上存在することがわかった。「既婚女性=夫に扶養される主婦」との前提は、実態とは相当に異なる先入観にすぎない。
この分析では既婚女性を単身世帯の生活扶助基準額の最低額を用いて年収103万円を貧困ラインと設定し貧困群と非貧困群に2分した。つまり103万以上の収入を1人で生活できる最低水準とみなすと、調査対象者の既婚女性の82.8%が貧困群、つまり仮にひとりで生活することになればただちに貧困に陥ることがわかった。
また生活の質を測る経済以外の要素として開発概念の修正に寄与したケイパビリティ概念を参照し、自分で自分の生活を決定できる主体のあり方と環境が整っているかを示す指標として「自尊感情」と「暴力を振るわれる怖れ」を用いて分析を行った。その結果、既婚女性全体の22.2%が暴力を振るわれる怖れを感じると回答し、貧困群の中では配偶者が正規雇用者ではない場合に有意に多いことが、また貧困群は非貧困群に比べて自尊感情が有意に低く、それは配偶者の収入には影響されないことがわかった。
以上の結果が示しているのは、結婚は必ずしも女性が生涯養ってもらえる稼ぎ手の獲得とは言えないことである。世帯の中に女性の貧困は隠れており、配偶者間の関係は女性の生活の質を脅かすこともありうる。こうした結果は家族関係が相互援助的であるとはかぎらず抑圧的な関係にもなる可能性を示唆している。既婚女性もまた、1人でも生活していける可能性の担保が生活の質を左右するのである。
近年女性の経済活動参入が経済活性化を促進するとの議論がグローバルに展開し、日本においても女性「活躍」が叫ばれ、様々な政策的取り組みがある。しかし女性や家族の変化に抗して男性稼ぎ手体制を維持強化していこうという政権の強い姿勢もまた繰り返し示されている。この家父長制の維持こそが女性の貧困の要因であり、この体制を維持するかぎり女性は「活躍」できないのである。
注1:科学研究費補助金基盤研究C「経済危機下における若年女性層の労働と生活に関する調査研究 研究代表:伊田久美子・大阪府立大学」による調査