アジア・太平洋の窓
ロヒンギャは、もともと居住していたミャンマーから国籍を剥奪され、多くの権利を認められない一方、難民として庇護を求める国ぐにからはその受け入れを拒否されている。国際社会も決定的な庇護策をとれず、大多数のロヒンギャは過酷な運命を強いられている。民主化の道を歩み始めたミャンマーにおいて、いま、ロヒンギャはどのように捉えられているのだろうか? 政府関係者や市民社会、人権に関わる人との話し合いを通して垣間見たロヒンギャ問題の根深さと複雑さについて考えてみる。
ミャンマーは2015年7月に社会権規約に署名した。同年11月の普遍的定期審査(UPR)では自由権規約に加盟すべきという勧告を受け入れた。そして国内ではNLD(国民民主連盟)が政権につき、半世紀以上にわたる軍政に一応の終止符を打った。このような流れのなかで、筆者が所属する国際人権NGOのCCPRセンターは、今年、数かずの問題を抱えつつも、いよいよ民主化の道を歩み始めたミャンマーの自由権規約への加盟を支援し、国内の市民社会と協力しながら人権状況を改善していくという長期プロジェクトを立ち上げた。このプロジェクトの初期段階として、自由権規約加盟に向けたこれまでの動きと今後の課題を評価するため、筆者は2016年11月後半にミャンマーを訪問、首都ネピドーとヤンゴンで、政府関係者や市民社会代表、国連関係者との話し合いをもった。
訪問では、目的に向けて予想以上の前進と成果がなされたことを確認できたが、その一方で、ミャンマーのロヒンギャを取り巻く状況はさらに複雑化し、問題の解決がますます一筋縄ではいかないようになってきていると感じた。
ロヒンギャの状況はミャンマー軍事政権下の民族や宗教の分断、社会の階層化、構造的差別により問題化したといえる。その状況は1982年、軍事政権による国籍剥奪を通してさらに困難で複雑なものとなった。「バングラデシュからの不法移民」というレッテルを貼られ、「無国籍者」としてミャンマー国内で基本的人権や、市民として存在することすら否定されたロヒンギャは、たびたび難民として国外へ逃れる選択を迫られた。ミャンマー国内には現在、百万人ほどのロヒンギャがいるといわれている。そのうち十数万人は2012年の武力衝突(数百人の被害者を出したが、その大多数はロヒンギャであった)以降、未だにミャンマー国内の避難民キャンプで権利行使や移動を極端に制限された生活を送っている。2015年にはロヒンギャ難民や、人身売買の被害者となったロヒンギャの過酷な状況が国際的に報道され注目を集めた。
2016年に入り、ミャンマーでは民主化の動きが活発になり、政府と多くの少数民族との間の和平交渉・合意が進んでいるが、ロヒンギャ問題に関しては明確な進展はなく、アウンサンスーチー氏すらこれに関しては沈黙を続けている。そんななか、2016年10月、ラカイン州のバングラデシュとの国境地域で9人の警察関係者が何者かに殺害されるという事件が起きた。真相は定かではないが、報道や関係者の声明は武装したロヒンギャのグループによる犯行と断定している。そして11月、武装グループの「掃討」のため、軍はラカイン州のバングラデシュ国境地域でロヒンギャが住む複数の村での作戦を開始した。
現場には報道関係者や人道支援、国際機関すら立ち入りが制限されているため、作戦の詳細やそれによる被害について正確に把握できない。国境地域の複数のロヒンギャの村が破壊され、多数が殺害され、女性はレイプされているという報道もある。また、数百人から数千人のロヒンギャがバングラデシュに逃げようとして国境地域に集まっているともいわれている。しかし、バングラデシュ自体、すでに数千人から数万人のミャンマーからのロヒンギャ難民(多くが非正規移民として扱われている)を抱えており、これら避難民の受け入れを頑なに拒んでいる。バングラデシュ当局の発表によれば、なんとか国境を越えて入国した数百人が即時に送還されている。同時に、ミャンマー側国境では軍がバングラデシュから送還されてきた人びとを殺害しているという情報も流れている。ミャンマー当局は、今回の作戦はあくまで武装勢力に対するものであり、ロヒンギャに対する焼き討ちなどは、国際的な注目を集めるため、彼ら自らが家に火を放ち、ことを大きくしたものだと言っている。
一方、 筆者がネピドーに到着したその日、バングラデシュで、ミャンマーからのロヒンギャ難民を収容しているキャンプ地域で活動をする国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の職員が、「2016年11月のロヒンギャに対するミャンマー(軍)の行為は民族浄化ともいえる」と発言したと報道された。ロヒンギャが置かれている状況の深刻さと問題解決の緊急性を感じつつ、どの国からも拒否され、国際社会もなんら決定的な行動をとれずにいるというジレンマと憤りを現場で実感する人からこのような発言が出てくることは、十分理解できるものだった。状況の収拾がつかなくなっているなか、ミャンマーおよびバングラデシュ当局、さらに国際社会からの具体的行動が今までになく緊急に求められている。しかしミャンマー側でそのようにロヒンギャ問題を見ている人は思った以上に少ないのかもしれない、と今回の訪問を通して改めて感じた。
ミャンマー側からも、バングラデシュ側からも拒否をされ、その狭間で無国籍者として不条理に扱われるロヒンギャの状況をさらに厄介にしているのが、半世紀以上にわたる軍政のもとで、とくにマジョリティであるビルマン人(またはバマール人)のあいだで広く行き渡った「ロヒンギャはバングラデシュからの不法移民であり、彼らが多くの問題の原因である」というある種の「固定観念」ともいえる。
さらに、NLDが政権につき、民主化が具体的な形となった今でも、軍は一定の影響力を持っており、今回のラカイン州のバングラデシュ国境付近での軍事作戦は、政府の統制能力の外で行われているという見方もある。国内にはロヒンギャをはじめとする、ムスリムを極端に敵対視し、扇動や暴力行為を行うラディカルな仏教徒やナショナリストのグループも少なくない。そのうえ、ミャンマー自体、多くの人権問題や民主化問題に直面し、長年続いた少数民族と政府間の武力衝突の和平交渉が大きな局面にさしかかっている今、ロヒンギャの状況について話をすること、ロヒンギャという名前を出すことさえ憚られる雰囲気も広がっている。
今回の訪問でも、政府関係者、省庁、国内人権機関や市民社会、人権活動家と話し合うなかで、こちらからロヒンギャについて言及することはかなり難しく、相手側から言及があった場合も、慎重に言葉を選びつつ、空気を読みつつ、現実的に可能な具体的措置についてはほとんど話が進まなかった。
このような状況で、さきほどのUNHCR職員のような発言は、ミャンマー当局、右派やナショナリスト、そして多くの市民の反感を買い、ただでさえ根深いロヒンギャに対する悪感情(または偏見)を増大しかねない。 実際、今回出会ったミャンマーの人権活動家のなかには、悪いのは「違法」にミャンマーに暮らす「無国籍者」ロヒンギャである、と頑なに「信じている」人がいた。この人によれば、今回、国境付近で起きている事件や国連関係者の発言は、すべてロヒンギャの活動家や国際(機関)メディアによる情報操作であり、ミャンマー側には何の問題もないらしい。さらにこの人自身、ラカイン州でロヒンギャの人びとが暮らすキャンプや村を訪れたことがあり、そこではすべての人が何の問題もなく暮らしているという。ロヒンギャの状況や問題を国際基準の観点から明確にし、各国政府がとるべき行動を明らかにすることは必要だろう。しかし、現実的な策のためには、ミャンマー国内に、さらには人権問題に真摯に取り組む人びとのなかにすら、ロヒンギャや「ロヒンギャ問題」をこのようにとらえている人が多くいることを認識したうえでの行動が必要だろうとあらためて思った。
ワークショップに参加したミャンマーのNGO関係者