あの阪神淡路大震災から5年がたった今、被災地は復興したかのように見える。しかし社会的少数者である障害者の生活再建には、まだまだ多くの障壁(バリア)が残っているといわざるをえない。私たちにつきつけられた課題は今なお重い。しかし、その反面、震災から見えてきたこともまた数多くある。情報保障の重要性など、私たちろう者に多くの教訓をもたらしたことも事実である。
「では、台湾の震災ではどうなのだろう? 台湾にも当然、ろう者はいる。阪神とどんな違いが見られるのか、どんな課題があるのか知りたい」と強く思った。...ところが、まったく情報が入らない。私自身、恥ずかしながら台湾について「南のバナナの国」というイメージしかなかった。頼りにすべきマスコミは外国の障害者の被災状況などほとんど報道しない。悲しいことだが、やはり障害者は「忘れられた存在」なのだ。
「それならば、自分で台湾へ行ってみよう。台湾のろう者と直接会って話し合おう」と思ったのが台湾行きを決意した理由である。(また、私は1999年10月30日付の朝日新聞の「論壇」に「災害時、ろう者に情報保障を!」という拙文を寄稿し、その中で台湾のろう者の状況について数少ない情報をもとに触れたが、調査の不十分さを反省したのも台湾行きの理由となった)。
五日間というきわめて短い期間であったが、外国で100人以上のろう者と出会い、ひざつきあわせて話しこんだのは初めてである。ほんとうに「最高の台湾!」であった。また、今回の台湾調査においては、震災での被害だけでなく、台湾のろう者のようすについて生活・教育・文化・労働などいろんな面から知ることを目標とした。
一番衝撃的であったのは「手話」。手話について何の知識もない方に説明しておくが、手話は世界共通の言語ではない。 それは当然である。文化が違うのであるから。むしろ、私は手話の「エスペラント語化」をのぞまない。違うことこそすばらしいと考える。しかし、台湾は別である。日本手話が70~80%は通じる。手話を知らない健聴者からは、「ヘエー、うらやましいね」というような声を聞いたが、これはもちろん、1895年から半世紀にもわたる日本帝国主義の台湾統治支配の日本化政策の結果であるから、私としてはかなり複雑な心境であった。台湾にいる間、たえず「通じること」の喜びと悲しみの両方が入り交じった気分であった。
もう一点、いろんなろう者と出会って語り合った中から見えてきた、台湾のろう者(だけでなくその他の障害者)の置かれた状況について述べておきたい。
「台湾での障害者の置かれた状況は?」という私の問いに対して、「台湾では障害者は自分でがんばるか、家族が支えるか、施設に行くかのどれかになるだろう」という答えがかえってきた。この言葉がすべてを物語っている。台湾では設備的なバリアフリーや社会保障体制はかなり充実しているが、心のバリアフリーとでもいうべき、社会の障害者に対する意識改革がかなりたち遅れているのである。震災でも、障害者に対して物的・金銭的支援で十分という雰囲気が強く、地域社会と共同した被災障害者の生活再建活動はものすごく困難なように感じた。台湾は阪神淡路大震災から多くのことを学んで急速に復興してきている、と言われているが、やはり建築物などの物理的な復興に重点が置かれすぎている。日本の被災障害者の運動との共働を急がなければならない。
このように、台湾のろう者をとりまく状況は日本以上に厳しい。障害者の権利意識もまだ十分にめざめていない。 台湾のろう者(団体)の孤軍奮闘という状態がしばらくは続きそうである。しかし、五日間で見せてくれた彼らのエネルギーはすばらしい。これから新しい展望をきりひらいていくことを信じている。「我們雖然生活在不同的國度,但聾唖者都是共同的朋友」(国は違っても、ろう者は同じ仲間)。「南のバナナの国」が「友だちがいっぱいいる大好きな国」になった。台湾のろう者との共同した運動も、今後の私たちの取り組みとしたい。
* 今回の台湾被災ろう者訪問について、震災・教育・手話・生活などいろんな視点から『台湾的聾唖朋友們!』という22ページの冊子にまとめました。 草の根ろうあ者こんだん会に連絡していただければ、送料140円のみでおわけします。
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