ドメスティック・バイオレンス(domestic violence, DV)を文字通り訳すと「家庭内暴力」という日本語になる。日本語の「家庭内暴力」という言葉から多くの人が思い描くのは思春期の子どもが家庭の中で親に対してふるう暴力である。しかし、ここで問題となるドメスティック・バイオレンスは、夫や恋人など親密な関係にある男性から女性に対してふるわれる暴力である。ここではDVを用いることにする。
ここ数年、DVは新聞やテレビなどでも取り上げられるようになり、それが夫や恋人などの親密な関係にある男性が女性にふるう暴力を意味することが日本においても一般に広まりつつある。見えない存在であったDVが語られ出され、国や地方自治体においてもこの問題についての取り組みが開始され始めている。
日本で最初に行われたDVの実態調査は1992年の「夫(恋人)からの暴力」調査研究会によるものである。同研究会が行った調査方法は、フェミニスト・アクション・リサーチと呼ばれ、一人ひとりの女性がその経験を自分の言葉で語る「語り」を大切にし、女性の語りを基礎に人々の意識を動かし、社会制度を改善させ、社会変革を促すような調査方法である。研究会のメンバーが議論を重ねる中からアンケートの質問事項が作成され、女性のネットワークによってアンケート用紙が手渡しや郵送で広く配布され、アンケートの集計がなされていった。その結果、4,675票のアンケート用紙が配られ、807名から回答が寄せられ、そのうちDVについて796名が回答した。回収率は17%である。研究会が実施したアンケート結果が公表された時、「無作為抽出ではない」、「回収率が低い」などを理由に「片寄っている」、「一般化できない」などの批判の声が聞かれた。
しかし、それから6年後の1998年に東京都が行政による4,500人の無作為抽出と面接調査によりDVに関する意識・実態調査をはじめて実施したが、その結果は92年の調査の信頼性を強化するものとなった。DVを社会問題化したのは、セクシュアル・ハラスメントの社会問題化とともに、フェミニストの大きな貢献である。
92年の調査で自分の経験を語った796名の語りに多くの女性が共鳴した。物事や事象の検証・論証において重要とされるのは、「客観性」、「普遍性」そして「数字」であるが、それが、どれだけ男性中心社会の偏見のかかった基準であるかもまた示した。
男女共同参画審議会は、1997年6月に女性に対する暴力に対応するための基本的方策についての諮問を受け、「女性に対する暴力部会」を設置し、翌年1998年10月に「中間取りまとめ」を公表し、1999年5月には「女性に対する暴力のない社会を目指して」と題する答申を出した。
このような国の動きの背景には、ドメスティック・バイオレンスをはじめとする女性の人権の確保を人権問題の重要な議題とする国際的な動向がある。1993年にウィーンで開催された世界人権会議において女性の人権確保の重要性は最も強調されたことの一つであった。また、同年12月には国連総会で「女性に対する暴力撤廃宣言」が採択された。1995年の第4回世界女性会議(北京会議)でもDVを含む女性に対する暴力が大きく取り上げられたのである。
日本は北京会議で採択された行動綱領の国内実施をめざして、1996年12月に「男女共同参画2000年プラン」が策定された。 そして日本の国内行動計画においても女性に対する暴力の撤廃が重要課題として取り入れられ、先に述べた女性に対する暴力部会の設置へとつながっていったのである。
地方自治体においても1997年に東京都が、1998年に仙台市が女性に対する暴力の実態調査を行った。また、総理府も昨年9月から10月にかけて全国の20歳以上の男女4,500人を対象に調査を実施。20人に1人が生命の危険を感じる暴力を夫から受けたという結果が出た。関西でも昨年12月に京都市が調査を実施。今年3月の年度末までに報告書が提出される予定である。 先に述べた答申や総理府の実態調査を受け、今後、地方自治体レベルでも相次いで実態調査が行われるものと期待される。 具体的な取り組みは、まさにこれからという段階である。
今から2年前だったが、8年ほど前にDVから逃れ、離婚し、安全な生活を再開した女性に会う機会があった。彼女はDVの渦中にいた当時を振り返り、「あの頃は誰もこの問題が社会問題である、社会的対策が必要な問題であるなんて考えていなかった」と語った。彼女が前夫から受けた暴力の期間は10年以上だったと言う。また、「今でこそDVというと分かってくれる人もいますが、当時は単なる激しい夫婦ゲンカとしかみなされず、自分自身も暴力をふるわれる私に原因があると思い込んでいました。 このままではいつか殺されるか、私が殺すかのどちらかだと、そんな心理状態でした」と自分の経験を語った。
しかし、彼女が語る経験は多くの女性にとって過去のものとなっていない。まさに現在進行形である。安全な環境で暮らすということは、人が生活していく上で最も基本的な願いであり、権利である。DV被害者の多くは、暴力をふるわれている最中に警察を呼んでも現場にかけつけた警察官は二人が夫婦や恋人どうしであるとわかると、多くの場合男性に事情を聞いて「夫婦ゲンカ」だと言われると帰ってしまったという経験をもつ。市役所に相談に行っても、たらい回しにされたという経験をもつ。
現在、DVから逃れた女性を一時的に保護する民間シェルターは全国に二十数カ所あるが、どこもDVから逃れた女性や母子でいっぱいである。一時保護機能をもつ婦人相談所の対応も都道府県、地域によってずいぶん差がある。受け入れに積極的なところもあれば、DV被害者に全く理解を示さず「あなたのような人は入れません。入れても一日だけです」というところも現に存在する。
DVは女性の基本的人権を侵害する行為である。その侵害は親密な関係にある個人によってなされるが、国家は自ら個人の人権を侵害しない義務を負うだけではない。個人の人権が誰によっても侵害されないように、人権侵害を未然に防止し、人権侵害が生じた時は調査し、加害者を処罰し、被害者の侵害された権利を回復するために必要な措置をとる義務が国家にある。 DV被害者の権利救済と暴力のない生活の確保のための公的支援が、国や地方自治体の緊急課題となっている。
2月にタイ、バンコクで女性の人身売買の問題に取り組む国際NGOの会議があり、出席した。それぞれ地域ごとの状況について報告をし、今後の戦略を話し合った。そこでコロンビアのNGO、Foundation ESPERANZAのFanny Polania Molinaさんから、日本のNGOとの連携を求められた。
コロンビアでは1990年代後半から日本の暴力団がコロンビアに拠点をもち、人身売買ルートを開拓した。そして外国人男性との結婚広告を通して女性たちをリクルートするようになったという。日本に送り込まれる女性の多くは日本人男性と「結婚」した後、日本に送られ売春目的の人身売買の被害者となる。なかにはその後自らがリクルーターとなっている女性もいる。1997年10月には日本・コロンビア間の人身売買組織が摘発され、2人の日本人暴力団員が逮捕されている。リクルートされた女性は42,000USドルの架空の「借金」を背負わされ、その支払いを強制される過程で売春に追い込まれる。コロンビアの出入国管理局の報告によれば、1998年1月から8月までに147人のコロンビア人が日本から強制退去処分となった。いまや日本は人身売買組織を通じたコロンビア女性の主要な送り出し国となっているとのことである。
彼女の語る状況は、1980年代後半、1990年代初期にそれぞれ日本での人身売買の被害女性の過半数を占めていたフィリピンやタイの女性の状況と同じである。ESPERANZAは日本のNGOとの連携を強く望んでいる。
(文/米田眞澄)
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