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国際人権ひろば No.31(2000年05月発行号)

コラム人権教育

メディアと人権教育

メディア・リテラシーのアプローチを

西村 寿子(にしむら ひさこ)
(社)部落解放・人権研究所

 人権・教育・啓発・情報を基本テーマとした、地域や職域の啓発担当者を対象に発行する月刊誌『ヒューマンライツ』(部落解放・人権研究所編集発行)の編集に携わってきた筆者は、仕事を通してメディア・リテラシーの研究と実践に出会い、これを人権教育活動に位置付ける必要性を感じている。

 メディアと人権教育について考えてみると、メディアの役割は市民に人権に関わる情報を提供することが人権教育の一環として期待されてきた。そのことは「国連人権教育の10年」国内行動計画でも、マスメディア関係者という特定職業従事者へ「人権問題に関してマスメディアが大きな影響力を有していることに鑑み、マスメディアに従事する関係者において人権教育のための自主的取組が行われることを促す」と触れられていることからも分かる。

 メディアの影響力という流れで人権教育が語られてきたのは、従来のマスコミ研究が、メディアを「送り手」、視聴者読者を「受け手」と規定した上で、主に送り手の視点からメディアの持つ影響力や伝達効果を検証するというアプローチが取られてきたことによるのかもしれない。

 今日、私たちは日常的にテレビ番組、広告、新聞、雑誌、テレビゲーム、インターネットなどさまざまなメディアに接しながら暮らしている。メディア社会において、無意識に受け取ってきたメディアのメッセージを意識化し、社会的文脈で読み解き、「受け手」ではなく積極的な「読み手」に自己を変革する取り組みがメディア・リテラシーに他ならない。メディアが空気のように遍在する今日、人権教育活動においても、メディア社会を生きているという視野を持つことが重要だと考えられる。

 メディア・リテラシーは「メディア・リテラシーとは、市民がメディアを社会的文脈でクリティカルに分析し、評価し、メディアにアクセスし、多様な形態でコミュニケーションを創りだす力を指す。また、そのような力の獲得をめざす取り組みもメディア・リテラシーという。」*(注)と定義されており、「メディアは構成され、コード化された表現である」「メディアは現実を構成する」という基本概念から学習が始まる。

 日本において、メディア・リテラシー研究と実践の取り組みは、まずNPO(非営利団体)であるFCT(市民のメディア・フォーラム)によって担われてきた。また、1994年には京都の立命館大学においてメディア・リテラシー論が開講され、大学教育においてメディア・リテラシーが展開している。そこでは、学生たちは一年間かけて授業やゼミ活動を通してメディア・リテラシーを獲得する。

 いま、私の手元に『和歌山毒物カレー事件初公判報道を読み解く―メディア・リテラシー研究』(鈴木みどりゼミナール三期生、1999年度)と題した報告書がある。

 これは、一昨年夏に起こった和歌山毒物カレー事件の初公判が和歌山地方裁判所で行われた昨年5月13日の全局(NHK、東京をキー局とする民放五局)の夕方のニュース番組を25人の学生が手分けして録画をして、一年がかりで番組とCM(コマーシャル)を分析し作成したものである。

 報告書は、
(1) カレー事件初公判報道により特別編成されたニュース番組の構成。
(2) テロップや「音」などの技法がどのように「現実」を構成しているのか。
(3) 登場人物の登場時間量や描かれ方の分析。
(4) 番組中のCM分析から成り立っている。
 どの分析も全局の番組の時間量、内容、挿入場面などを細かく書き出して数量化し、それを多面的に読み解いている。その結果、初公判の時点では「被告」であるにもかかわらず、各局は様々な映像技法・音声技法を駆使して被告があたかも犯罪者であるようなイメージを構成していること、ニュース番組でありながら、ワイドショー同様に情報が娯楽化されていると分析している。

 自分達で作ったデータに基づいて、ニュース番組が「被告」を犯人視する現実をつくり出し、メディア・リテラシーを獲得していなければ、構成された現実が容易く自分達の「現実」になっていく危険性を指摘しており、「犯罪報道」がなぜ人権侵害に結びついていくのかを説得力を持って語っている。

  ニュース番組という生活に密着した材料をメディア・リテラシーのアプローチで分析していくことによって、明確な問題意識と人権意識の獲得に結びついていく。しかも、その作業はきわめて能動的でお互いのコミュニケーションを必要とするのだ。

 番組であれCMであれ、そこには現在の社会システムを支える価値観が含まれている。それを社会的文脈で読み解くことで、私たちは自分達の内に内面化している価値観を再認識する手がかりを得ることが可能になる。メディア・リテラシーの理論と実践を人権教育活動へとつないでいく時期が来ているのではないだろうか。

  注* 『メディア・リテラシーを学ぶ人のために』(鈴木みどり編、世界思想社、1997)

  【参考資料】
・『メディア・リテラシー~マスメディア社会を読み解く』(カナダ・オンタリオ州教育省編〔FCT訳〕リベルタ出版・1992年)
・インターネットサイト「メディア・リテラシーの世界」
URLhttp://www.ritsumei.ac.jp/kic/so/seminar/ML/index-j.html