特集
人権の行使としての選挙~アジアの動向~
今、選挙に変化が起こっている。従来の政治を変革したいという民衆の意思が選挙を通して顕著に表れてきている。 選挙が民主的に行われていないアジアの国は依然存在するが、これは、日本だけでなくアジアの新しい傾向として注目に値する。例えば、イランや韓国において、政権交代に民衆が大きく貢献した。また、タイでは市民団体やNGO(非政府組織)がその代表を国政に送り込むことに成功した。韓国では、市民団体が政治家としてふさわしい候補者を選ぼうとするキャンペーンを展開し、選挙における市民団体の新しい役割を提示した。
これらの新しいアジアの選挙の潮流は、アジアにおける民主化を促進する傾向として評価に値するといえよう。アジアの選挙の潮流を1980年代からさかのぼって人権の視点から捉えてみることにしよう。
1980年代以降のアジアにおける選挙の二つの例を見てみよう。
1986年、フィリピンでは大統領選挙において操作が行われた。その結果軍隊内で反発が起き、結果的に「民衆革命(People's Power Revolution)」に発展した。この結末を通じて、選挙が政治のリーダーを決定する民衆の権利を行使することであることが確認された。
1990年のビルマの国政選挙で、国軍の抑圧の下アウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NDL)が民衆からの圧倒的な支持を得て、新政権を委任された。しかし、軍事独裁政権は現在に至るまで、この民衆による決定を無視し続けている。
フィリピンの経験は、人々がいかにして権力の不正に抵抗し公正な選挙を獲得したのかを示しており、ビルマの経験は民衆による正当な選挙が権力によっていかに踏みにじられたかを示している。
1990年代後半以降の選挙の動向を見てみると、民衆の政治参加という新しい潮流が見られる。今年に入って行われたいくつかの選挙は、これまで「沈黙」を強いられてきた民衆が積極的に選挙権を行使しているという意味で、非常に重要な意義をもっているといえる。ここで各国の新しい選挙の傾向を見てみることにしよう。
1998年8月の大統領制移行以来、政権を握っていた保守派のハーメネイ・ラフサンジャニ大統領は2000年2月18日に行われた総選挙で大統領の座を追われ、改革派のハタミ新大統領が誕生した。この選挙は、国会と憲法擁護評議会の調整を行う「特別評議会」を握る保守派と民主化を推進する改革派の対立として注目を集め、80%を越える投票率を記録したといわれている。結果は、59議席中39議席を獲得するという改革派の圧勝であった。今回の総選挙で改革派を支持したほとんどの有権者が若者や女性であった。
まず、人権に対して柔軟な政策を打ち出した金大中新大統領を選出した選挙は、人権を訴えてきた人々の勝利といえる。次に、今年の総選挙では、467にも上る市民団体が組織する「2000年総選挙のための市民連帯」が、1月24日に結成された。約90%の市民の支持を得たこの市民連帯は、4月13日に行われた選挙の準備段階でまず汚職や選挙違反などの経験を持つ候補者を不適格な政治家とし、所属政党に公認しないよう呼びかけを行った。公示後、この「欠陥候補者」を公表することによって「落選運動」を展開した。一票でしか意思を表明することができない有権者の関心を集めたこの動きは、選挙に関連した市民運動の新しい役割と注目を集めている。この運動のうねりが、日本にも影響を与えており、「落選運動」を通して市民間の交流が進んでいる。
1997年の新憲法制定以来、初めての直接選挙が3月4日に行われた。投票率は70%を超え、国政選挙としては過去最高を記録したともいわれている。今回の選挙には、タイ最大のスラムであるクロントイ出身のプラティープ・ウンソンタム・ハタさんや、その他人権・社会活動家たちも初当選を果たしている。一部選挙結果を操作する試みがあったにもかかわらず、民衆の参加による民主的選挙が実現された。この選挙結果は、チュワン政権による政治・経済改革政策に対する大多数の貧困者の不信によるものと考えられる。
第二次大戦以後、44年ぶりにして民主的政治の実現に向けた多党選挙を実現した初の総選挙が今年4月7日行われた。今回の総選挙では、32年来政権を握っていたスハルト大統領が1998年辞した後も依然約7割の議席を維持していた与党ゴルカル党に代わって、スカルノ元大統領の長女メガワティが党首である闘争民主党が第一党となり、ゴルカル党は第二党に転落した。民衆による政治を強く主張してきた闘争民主党の勝利は、インドネシアを正常化し、進展を導くのは民衆であること示している。
6月25日に行われた衆議院議員選挙はまだ記憶に新しいが、投票率や投票結果については様々な分析が可能であろう。従来の政治へ不信を持ち、変革を求める一部の有権者が野党に票を投じたと分析できる。それでも、民主党を始めとする野党が掲げる政策が多数の民衆に満足、納得させる内容ではなかったために、野党の票が伸び悩んだ。全体として、日本は依然民衆の政治への無関心や投票行為の棄権という実態から脱していない。
また、民主的な選挙の実現を考える際、参画出来ない人々がいる事実を忘れてはいけない。昨年末から今年始めにかけて、永住外国人地方参政権法案を議員立法として制定する動きが高まったものの、5月の国会では廃案となった。国政レベルと地方レベルの参政権を区別しての議論はあるものの、政治活動に外国籍住民が排除されている実態を見ると、人権がすべての人に保障されているとはいえない。
世界人権宣言の第21条には次のように述べられている。
「すべての人は、直接に、または自由に選んだ代表者を通じて、国の統治に参加する権利を有する。」「民衆の意思は、統治の権力の基礎である。この意思は、定期的で真正な選挙によって表明されなければならない。この選挙は、平等の普通選挙に基づき秘密投票または、これと同等の自由が保障される投票手続きによって行われなければならない。」
つまり、選挙とは政治に参加する権利を行使する重要な手段である。唯一の手段ではないが、民衆に自分たち自身の政治を決定させる非常に重要で基本的な方法である。
最近のアジアの選挙の動向を見てみると、人々の選挙に対する新たな役割が明らかになってきたといえる。選挙は、政治の変革をもたらすものである。どれほど従来の政治に不満を抱いていても、投票に参加しなければ、それは現状維持でしかなく、何も変わらないのである。政治変革を望むのであれば、納得のいく適格な民衆の代表を送り出し、そして選ばなければならない。民意の表明は選挙を通じて行わないと意味をなさない。
同時に、人権を実現する選挙によってもたらされた利益は、単に個人の権利を満たすものではなく、社会全体の利益にも貢献するものである。人権を実現する選挙を可能にするためには、いくつかの条件を満たすことが重要である。例えば、1)独立した政府の選挙実施組織の確立、2)独立した非政府の選挙監視組織の確立、3)投票者と候補者間の適切な対話を促進させる活動的な民間団体の確立、4)様々な形態の不正行為を禁止した選挙法の制定、などがあげられよう。政府と民衆(人々)の間の相互作用の媒体としての選挙は、全ての民衆のコレクティブ(集合的)な意思決定を獲得するための主要な手段であるといえる。 民衆の集合的な意思決定はまさに個人の行動によって導かれるものである。政治がどう行われるかを決定する民衆のコレクティブな声ほど強力なインパクトは他にはない。