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タイにともった変革の灯~「スラムの天使・プラティープ」が上院議員に当選
「スラムの天使」と呼ばれているプラティープ・ウンソンタム・ハタさんは、もし「天使」という呼称を使うなら「闘う天使」と呼ぶ方がずっとふさわしいと私が思うのは、次の二つの彼女の生きる姿勢に理由がある。
一つは、「あなたは、人があやまちを犯すのを何度まで許しますか?」と問われた時だ。そうですね、一度かせいぜい二度まででしょうかと答えると、彼女は「私は何度でも許すんですよ。立ち直る可能性がある限りは─」とにっこり笑った。タイの首都バンコクにあるクロントイ・スラムで、貧困がもたらす家庭崩壊や虐待、非行、麻薬などでつまづいたり、つまづかされた少年少女たちを受け入れる共同生活施設『生き直しの学校』を開設している彼女の、それが人間を見つめるまなざしである。
もう一つは、四年前、タイを震源地としてアジア全域を襲った経済危機の原因について「貧しい者には、一切、責任はない」と言い切った時だ。タイのみならず多くの「発展途上国」は第二次世界大戦後、「経済開発による発展」を目指して来たが、中間層の誕生を促しはしたものの、豊かな果実を手に入れる者は限られ、貧富の格差を広げてきた。さらに冷戦終結後、経済はインターネットの進展などで一挙に地球規模に拡大したが、その恩恵は巨大化する資本と情報手段を持つ者に限定され、60億人余の世界人口のうち13億人は最低貧困ライン以下の生活を余儀なくされていると国連も認めるほどで、その数は日々増え続ける中で私たちは21世紀を迎えようとしている。
バンコクにある数百個所のスラムでは経済危機勃発後、失業者が急増し、あてもないまま故郷の農村に戻る出稼ぎの逆流現象が起きたり、学校に通えなくなった子どもたちは全国で約40万人に達したと報じられている。「貧しい人々は、低賃金を強いられ、社会的な保障を全く受けずに国の経済成長に貢献して来た。周りの人々は『スラムの住民は、社会問題を作り上げている』と批判するが、本当だろうか? 確かに私たちは問題を提起するが、最大の原因はこれまでの誤まった開発政策にあるのを忘れてはならない」と彼女は指摘する。
そのプラティープさんが今年3月行われた上院議員選挙で、見事、当選を果した。社会の改善や改革を願う人々が、議会を通じてその実現を目指すのは、すでに多くの国々では常識である。しかし、タイ国の上院議員はこれまですべて国王の任命制であり、今回史上初めて国民の直接選挙で選ばれたことをふまえれば、彼女の当選の意義は多大なものがあろう。全国200議席のうち、バンコクでは18議席を263人で争ったが、プラティープさんは4万票余りを得て第9位で当選した。この国の下院では国民による総選挙が実施されているが、貧しい人々が密集して住むスラムから国会議員が生まれたのは、上下院を通じて今回が初めてである。
タイ国の「民主化」は1932年の立憲革命に始まり、1973年、時の軍事政権を倒した学生革命が金字塔として記されている。 73年には21歳だったプラティープさんは、まだ無名の学生の一人として抗議デモの列にいた。 そして19年後の1992年、再び軍事政権によって強行された「流血の民主化要求弾圧事件」の際には、のちに副首相を務めたチャムロン元バンコク都知事と共にデモ行進の先頭に立っていた。
今回の上院選挙では激戦区のバンコクから「子どもたちのよりよき人生のための財団」代表のワンロップ氏と、ラモン・マグサイサイ賞受賞者で人口問題専門家のミーチャイ氏、NGO活動に関与しているソーポン氏も当選している。
歯止めをかけなければますます増大するであろう貧困問題に、プラティープさんたちは政治の表舞台でどれだけ成果を上げられるか?タイのみならず、近隣の国々で同じ「貧困」と「民主化」に取り組んでいる人々から大きな注目を集めている。