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国際人権ひろば No.34(2000年11月発行号)

人権の潮流

ジュビリー2000~債務救済と人権

ジェフ・プランティリア(Jeff Plantilla)
ヒューライツ大阪研究員

グレート・ジュビリー

 カトリック教会はキリスト生誕2000年を祝福し1999年12月25日から2000年1月6日までを「グレート・ジュビリー・イヤー」として宣言した。ジュビリーの祝祭は、七年ごとに畑地を休ませ、奴隷を解放し、債務を帳消しにするという古代ヘブライ人の習慣に由来する。カトリック教会は14世紀にこれを取り入れ、100年ごとに行ってきた。その後、より多くの人に経験させるために、この特別な祝祭は頻繁に行われることになった。

 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世は今年3月、グレート・ジュビリーを実行するメッセージを発した。その核心は「他を許そう、そして他の許しを請おう!」のスローガンに要約されている。法王は、特定の民族や人種への暴力、移民やロマの人々、子ども、女性、ユダヤ人、キリスト教以外の宗教や文化を持つ人々などへのこれまでの罪について謝罪している。

 グレート・ジュビリーは、貧しい国々の未来を保障するために債務を帳消しにしようという考え方も推進してきた。世界中のさまざまな教会や団体を巻き込んだ「ジュビリー2000連合」の運動がそれである。

 ジュビリー2000連合は、世界の最貧国が抱える過去の債務において、支払い不可能な債務および支払えたとしても人々の膨大な苦しみを伴うような債務の一度限りの帳消しを提案している。これは、すべての債務を繰り返し帳消しにするという前例を作るものではなく、むしろ、千年紀を機にしたただ一回限りの行為、債権者も負債者も等しく間違いを犯したのであり、これまでの成行きを水に流すことを示す行為としている。

自由貿易システムとグローバル化

 自由貿易システム(世界貿易機関 [WTO] によって範例化された世界規模の支配的経済枠組み)は、グローバリゼーションと連動して世界中の富をこれまでにない速さで動かしている。しかし同時に、持てるものと持たざるものの間の格差を固定化した。

 国際通貨基金(IMF)の前総裁によると、貧困は今も最大の問題でありつづけている。今年2月、バンコクで行われた国連貿易開発会議(UNCTAD)の会合で、彼は、「各国内で広がりつつある貧富の格差、そして富める国と貧しい国のギャップは、道義的に受け入れがたく、経済的無駄が多く、社会的爆発の火種をはらむものである」と述べた。UNCTADのデータによると、世界の48カ国の最貧国(そのうち33カ国がアフリカにある)が自由貿易とグローバリゼーションの恩恵を受けそびれており、それどころか貧困がより深刻化していることが示されているとも報告している。

 「グローバリゼーションに関する国際フォーラム」(IFG)は、グローバリゼーションの政策が様々な負の結果をもたらすと主張している。関税と貿易に関する一般協定(GATT)、世界貿易機関(WTO)、多国間投資協定(MAI)などの国際貿易と投資の協定が、国際通貨基金(IMF)と世界銀行の構造調整政策と相まって、民主主義を弱め、多国籍企業の支配下での世界秩序を創出し、自然世界を破壊するプロセスの直接的な刺激になると見ている。

人権についての懸念

 ジュビリー2000連合の提起やWTOやIMF、世界銀行の政策に対する問いかけは人権問題と関連する。 権利や自由が十分に実現できないような社会的、国際的秩序の存在は、世界人権宣言の第28条にうたわれているのとは逆の状態である。

 債務救済は、多くの貧しい国の状況を改善するだろう。しかし、ジュビリー2000連合が認めるように、不当な債務が将来再び発生するのを防ぐことにはならない。できることは、この問題を引き起こしている現在の国家的、国際的経済システムを見直すことである。債務を生む権力の濫用を防ぐシステムを創造するにはどんな措置をとらなければならないか。どうすれば、権利と自由が尊重される方法で、人々(特に貧しい人々)のニーズを満たすことができるのだろうか。

 債務救済は、貧困問題に取り組むための新しい方法について考える機会を与えてくれるが、それはまた、人権の実現という課題にもつながっている。人権の視点から二つの論点が浮かび上がる。

・不正の除去
・人権を実現できる環境の創造

 アジア・太平洋地域のコンテクスト(文脈)ではこれらの論点はどのように扱われているだろうか。

 アジア・太平洋諸国は、オーストラリアのアボリジニを含む先住民族、「従軍慰安婦」、そしてフィリピンやインドネシア、タイ、韓国などにおける過去の独裁政権下での人権侵害などの問題に代表されるような不正について十分な注意を払ってこなかった。

 責任のある政府がこれらの問題に十分な責任をとっていないことは、近年のアジア経済危機にも反映している。つまり、世界的な金融システムにも責任があるものの、国内の経済的、社会的、政治的なシステムの重大な欠陥についての各国政府の責任が見落とされているのである。

開発プロジェクトと人権の原則

 平等と正義にもとづいて実行されれば、経済開発は貧困の撲滅につながる。しかし、繁栄した社会をできるだけ短期間に実現しようという政府の固執が人権侵害の余地を生む。競争の激しい世界においては、異議をとなえることや競争できない弱者に対する思いやりの余地は無い。このことが、グローバリゼーションに対する異議の主たる所以である。経済的権利が他の権利より優先されるべきという主張は誤っているということが証明されつつある。

 タイや中国の農村部で起きている開発プロジェクトへの反対は、農村部の人々がいかに多くのマイナスの影響を受けてきたかを表している。同様に、多くの国の都市の貧困地域では、開発や商業プロジェクトのための強制立ち退きが行われている。これらの例は、国際金融機関や多国籍企業、そして政府による開発プロジェクトがどれほど「準備不足」であるかを表している。

 それら開発プロジェクトの弊害の多くは基本的人権の侵害から発生している。一般市民やそのプロジェクトに特に影響を受けた(もしくは受ける)人々に対して重要な情報が提供されず、汚職や、時には暴力的な強制立ち退きなどが引き起こされている。人々の生活の糧、住居、保健や教育などの社会的サービスの保障が優先されなかったり、その支援が少ないことは、社会的保障や経済的保障の権利の侵害である。

 また、伝統的な漁法から養殖による水産業に変換するような、伝統的な暮らしを変える開発プロジェクトでは、人々の暮らしが市場の変化に左右されたり、養殖場が病気の流行にさらされるようになる。後に残るのは、植生(特にマングローブ)の消失や、化学物質による水産資源の損失である。同じことが肥料などを集中的に投入する農場やプランテーションに転換された土地についても言える。貧しい人々はこのようなリスクにほとんど無防備である。

 開発プロジェクトのもらたす人権侵害から人々を救済するシステムが効果的に働かないでいる中で、責任を負うべき政府機関にそれをどのように気づかせてきたのか。そして適切な救済措置をどれだけとらせてきたのか。

 債務によって支えられたプロジェクトによって影響を受け、損失に苦しむ人々に対して、債務救済は保障の一助になれるだろうか。再発を防ぐことができるのだろうか。これらの問いは、現在の債務救済プログラムの範疇を超えるものかもしれない。 しかし、人権の原則はあらゆる債務救済プログラムの論議の重要な要素となる。それは、債務によって支えられる開発プロジェクトの悪影響を矯正する上でも、また、開発プロジェクトへの融資を説明責任を果たせるものとする上でも、適用できるものだ。

(この文章は、英文ニュースレター第21号での記事の翻訳を編集部で編集したものです)