国際化と人権
"だれもが本名(民族名)を名乗れる"「多民族・多文化共生社会」の実現を目指して、「本名キャンペーン」が今年7月に始動した。
この本名キャンペーンは、2年前に発足した民族教育ネットワーク(共同代表:金東勲、朴鐘鳴、稲富進、若一光司)のプロジェクトである。すでに3回にわたって連続セミナーが開催されている。1回目"今なぜ本名問題か"、2回目"植民地支配と朝鮮人の名前"、3回目"在外朝鮮民族のアイデンティティと名前"が終わり、4回目、"精神科医よりみた在日韓国・朝鮮人のアイデンティティと名前"が11月25日に予定されている。
また、賛同者2万人署名(日本人1万人、韓国・朝鮮人及び外国人1万人)を目指す取り組みがすでに始まっている。
1910年、韓国を「併合」した日本は、「皇民化政策」の一環として、朝鮮人から固有の姓を奪い日本式の名前に変えさせる「創氏改名」を施行(1940年2月)した。創氏改名は、「氏の創設」と「朝鮮人が日本式に名を改める道を開く」、という二つの部分からなっていた。 これに対して朝鮮人によるさまざまな抵抗があったが、創氏改名の申告をしない人々には食料・物資の配給対象から除外したり、官民を問わない雇用の拒否、入・就学の拒否などの圧力が加えられた。日本にいた朝鮮人も例外ではなく、創氏改名を強要された。
戦後、朝鮮では正式に廃止の手続きがとられ、日本に残っていた在日韓国・朝鮮人も、本名(民族名)を使い始めたが、1947年の「外国人登録令」による登録の際、通称名を書くことが事実上義務づけられたり、「朝鮮人学校閉鎖」等の弾圧、就職差別や入居差別、経済活動の制約を受けたりしたため、日常生活では本名を隠さざるを得なくなり、再び日本名を使いはじめる人たちが多くなった。多くの場合、差別から逃れるために在日韓国・朝鮮人は日本名を使って生活せざるを得なかったのである。このような時代潮流のなかにあって、在日韓国・朝鮮人の多くは、民族の歴史や言語、文化に触れる機会をもてず、民族的出自を明らかにできないままにある。
70年代以降、差別的な法・制度や差別事例が当事者の在日韓国・朝鮮人と日本人によって糾されてきたが、今なお、残されている大きな課題の一つとして本名(民族名)使用問題があり、日本社会の意識構造がこの問題を通して新たに問われ出したといえる。
全人格の象徴であり、民族的出自を明らかにする本名(民族名)の使用は、在日韓国・朝鮮人にとって民族的アイデンティティを確立し、自尊感情を豊かに育むために不可欠の要件のひとつである。と同時に、在日韓国・朝鮮人が本名(民族名)を使い、安心して学校で学び、職場や地域で生活していける環境をつくれるかどうかは、閉鎖的な日本社会を「多民族・多文化共生社会」へ開いていく上での重要な試金石であるといえる。関西を中心とした教育現場で1970年代からとりくまれてきた「本名を呼び名のる」運動の貴重な成果をふまえながら、本名キャンペーン運動を広範囲に展開することが計画されている。
「本名キャンペーン」の目的は、
① 在日韓国・朝鮮人をはじめとする民族的マイノリティが、本名(民族名)で暮らせる「多民族・多文化共生社会」づくりを目指す。
② 本名(民族名)の意義を、日本社会と在日韓国・朝鮮人に広く伝える。
③ 在日韓国・朝鮮人自らが本名(民族名)を使うような機運を高める。
ことを目指している。
すべての民族的マイノリティが自己の文化や言語を享受し、本名を使い民族的アイデンティティを継承し、発展させようとすることは、国際人権規約、子どもの権利条約、人種差別撤廃条約など、国際人権諸条約において、当然の権利として認められており、豊かな人権文化の育成をめざす「人権教育のための国連10年」(1995~2004年)行動計画においても、外国人やマイノリティの人権課題が重要なテーマとなっている。
戦後半世紀を経た今なお、在日韓国・朝鮮人の本名使用率は10%と言われるが、この数字は日本社会の共生度のバロメーターでもある。在日韓国・朝鮮人自身が本名を使うか否かを当事者のみの問題とすべきではなく、本質的には日本社会、日本人の課題としてとらえるべきである。日本社会が「多民族・多文化共生社会」を築き、「人権」という普遍的文化を創造し、根付かせるためには本名使用の環境整備は欠かすことの出来ないことである。