肌で感じたアジア・太平洋
一昨年八月の住民投票で、インドネシアへの統合を拒否し、独立の道を選んだ東ティモール。投票結果の発表前から、国連軍が上陸するまでの二週間余りの日々、インドネシア軍と併合派民兵の集団は、最後の虐殺を各地で実行し、建物を焼き払い、二十万人を越える住民を西ティモールへと連行しました。これに対し住民投票を取り仕切った国連は、なすすべもなく退散するだけでした。一年以上がたち、この暴力がインドネシア軍によって周到に計画された作戦であり、オーストラリアとアメリカの諜報機関はインドネシア軍の無線の傍受により、作戦の準備段階からすべての出来事を把握していたことが明らかとなりました。一九七五年の軍事侵攻から一昨年の撤退に至るまで、大国は、インドネシアが東ティモールを好き放題に扱うのを容認してきました。大国にとっての東ティモールの価値は、インドネシアとの間の国益とは比べようのないほど小さなもので、それが国際政治の現実でした。
国連軍に続いて、国連東ティモール暫定行政機構が、国連史上、最大の権限を持つミッションとして、新しい国造りを行うと勇んでやってきました。同時に、多くの国際的なNGOも、コソボやカンボジアから流れてきました。多くの東ティモール人が、まさにゼロから生活を再建するにあたり、今度こそ外国人を信じて良いのだろうと思ったことでしょう。しかし一年以上がたち、その結果は、外国人に乗っ取られたかの様な首都ディリの町並みがよく表しています。4WDの車が引き起こす道路渋滞、スーパーマーケット、ホテル、レストランの開店ラッシュ。ホテルのトイレにはコンドームが常備され、確実に消費されています。
外国人に対する反感が高まってきたのは当然のことです。職を求め、生活の建て直しに必死な東ティモール人の心情や、インドネシア時代の辛苦を理解しようとする外国人は稀で、多くの国連職員はコソボ以上に特別手当の高い地での出稼ぎ気分で、そつなく仕事をこなして出世の機会にしようと考えているようです。その結果、国連が東ティモール人への援助に投下する一ドル一ドルに対して、運営経費がその十倍もかかるという、暫定行政機構のデメロ代表さえも「馬鹿げている」と認める状況が生まれています。こうした国連への批判をかわすためか、国連は東ティモール人の登用に熱心になりました。暫定内閣の大臣八人のうち五人を東ティモール人とし、三十人の東ティモール人からなる国民評議会を結成し暫定行政機構のカウンターパートとし、県知事をはじめ地方行政の中に積極的に東ティモール人を採用し始めました。しかし五人の大臣たちは就任から数ヶ月後、「予算も人材も与えられず仕事ができない。私たちは飾りならこの職を辞めたい」と発言しました。
一月中旬の十日間、そんな東ティモールを訪問してきました。住民投票後、四回目の訪問です。今回は、私が所属する日本カトリック司教協議会東ティモールデスクが実施する、共同体開発の現場を視察するのが目的でした。プロジェクト地のマウバラは、ディリの西隣のリキサ県に位置し、ディリから車で一時間半ほどの所です。東ティモールデスクは、農業、漁業、木工業の合計八つの住民グループに対し、農具や種、船の建設に必要な資材と網、家具造りに必要な資材などを支援してきました。住民グループは、マウバラの東ティモール民族抵抗評議会(CNRT)の幹部らによって組織され、この幹部らがディリのローカルNGOヤヤサンハック(法律家を中心とする人権・開発NGO)に出した計画を東ティモールデスクが支援することとなりました。
四グループある農業グループでは、やる気の差が明らかでした。急斜面を開墾し、とうもろこしと豆を植えたグループは最もやる気があり、個人の畑の作業も共同で行っていました。このグループは次に山羊の共同飼育を始めます。 それが軌道に乗れば、水田耕作用の水牛を渡す予定です。一方で、とうもろこし畑の雑草を刈れず、収穫の望み薄のグループが2つありました。どちらも代表しか姿を見せず、苦しい言い訳を聞かされました。同行したヤヤサンハックの職員は「インドネシア時代、みなが求めていた独立の結果がこの畑なの?みなで汗を流して働かなければ、独立しても食べて行けないでしょう。それともずっと援助で食べて生きたいの」と厳しい励ましを口にしました。漁業グループは船の建設の最終段階で、私たちが訪問すると、モーターを要求しました。初めの相談で、「モーターは、利益を貯めて燃料代などの維持費の見通しがたってから考えよう」と話し合っていたので、この要求には応えませんでした。こうした失敗や、要求が通らない場面で、私たちは住民との話し合いを特に大切にしています。その中で住民たちが、生活再建を自分たちの課題として受けとめて欲しいと思うからです。
東ティモールデスクは復興支援にあたり、東ティモール人のイニシアティブを尊重する、外部からの資金や資材の投入は最小限とする、共同体の再建を通した開発に協力する、との方針を立てました。国連や国際NGOは、住民を巻き込んだ参加型開発を理念として掲げてはいますが、実際は外国人主導で、外国人のペースで東ティモール人を動かしているのが現実です。このまま住民たちが援助漬けの環境に慣れてしまうことを、一部の東ティモール人はとても危惧しています。東ティモールは今、国際援助の見本市のような様相を呈し、そこでは住民の声に耳を傾け必要な助けをいかに具体化するかという方向からではなく、援助予算を消化するためいかに効率的に住民に足りないものを与えるかという方向から、援助が進んでいるように感じます。
援助という仕事を考えた時、何をするかと同様に、それをいかにするかが重要なことだと思います。東ティモール人の参加を唱うなら、まず言葉を覚え、彼らの生活を知り、今彼らが抱えている問題や悩みと向き合うことから関係を作るべきでしょう。
東ティモールデスクでは今、南部平野で収穫された国産米の流通を地元NGOと共に計画しています。国連はいまだに東ティモールを緊急段階として、国産米の買い上げに応じず、外国から援助食料を輸入しています。その意図はさておき、私たちは南部から米を運んだトラックが、帰りにはディリ近郊の海岸で養殖される海草を山間部に運び、海草パーティーを計画しています。山間部に暮らす住民に、ヨードの不足から甲状腺肥大をおこした病人が多いからです。地元NGOが吸い上げた住民の要望に応えながら、これからもいかに仕事をするかに気を配りながら、協力を続けていきたいと思います。