特集
ニュルンベルクでのユネスコ人権教育賞の授賞式に出席して
ヒューライツ大阪が日本初のユネスコ人権教育名誉賞を受賞
ヒューライツ大阪では、1994年の開設以来、アジア・太平洋地域における人権教育の普及、とりわけ学校における人権教育の推進を中心的な活動に据えてきましたが、このほど2000年ユネスコ人権教育賞の名誉賞を受賞しました。
この人権教育賞は、1978年に設けられて以来、今回で12回目の表彰となりますが、日本の団体・個人が受賞するのは初めてのことです。
ヒューライツ大阪のアジア・太平洋地域における人権教育の発展をめざした調査・研究活動、国際・地域会議やワークショップ、セミナーの開催、国際会議への参画、日英文の出版活動など数々の活動実績が認められたものです。
これまでの人権教育賞の受賞者(団体)は、チュニジアのアラブ人権協会(1992年)、フィリピン人権委員会(1994年)、ハイチのアリスティド元大統領(1996年)、オーストラリアのカービー高裁判事(1998年)などです。
4月21日にドイツのニュルンベルグ市で開催された授賞式には、ヒューライツ大阪を代表して川島慶雄所長が出席しました。
2000年のユネスコ人権教育賞の表彰式は、4月21日夜、ドイツの古都ニュルンベルクの市庁舎でニュルンベルク・フィルハーモニー管弦楽団によるベートーベンの七重奏が奏でられる厳粛な雰囲気の中で始まった。外は小雪混じりの雨であった。
ユネスコ人権教育賞は、ユネスコが世界人権宣言採択30周年を機に、1978年以来2年毎に、人権教育の発展に貢献した団体・個人を表彰するために設けられたものである。2000年度の受賞者は世界各地から推薦を受けた56の個人・団体の中から国際審査委員会によって満場一致で選ばれたものである。人権教育賞は、「平和と人権の都市」への取り組みが評価されたニュルンベルク市が受賞し、名誉賞として、ヒューライツ大阪の他に、ストリート・チルドレンや受刑者、難民の家族に対する人権教育の取り組みが評価されたコロンビアの人権活動家フロー・アルバ・ロメロさん、特に人権教育の教材開発が評価されたパキスタンのユネスコ協同学校プロジェクトがそれぞれ選ばれた。
表彰式において、国際審査委員会のディナ・ロドリゲス・モンテロ委員長とユネスコの松浦晃一郎事務局長は、ヒューライツ大阪の受賞理由をこもごも次のように説明した。すなわち、ヒューライツ大阪の活動は「人権教育のための国連10年」の目的にかなうものであり、人権に関する研究、出版、トレーニングの分野で指導的な役割を果たした。また、人権教育の面において、多くの会議やワークショップを組織し、現場の学校教員や児童の訓練にあたり、特に人権教育を学校における教育と不可分な一体とするその洞察力と成果に賛辞を呈する、と述べた。これに対し、私は、謝辞において、大阪府・市も戦後の荒廃から立ち直ったニュルンベルク同様、平和と人権の都市を標榜しており、今回の受賞は同時に大阪府・市その他の人権団体の人権についての取り組みが評価されたものと受け止めると述べた。また、ユネスコ憲章前文の言葉を借用し、「人権侵害は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に人権のとりでを築かなければならない」とし、この目的は教育を通じてのみ達成しうるものであり、この目的達成のために、今回の受賞を弾みとして一層の努力を尽くす旨の決意を表明した。
ニュルンベルクは、千年の歴史を持つバイエルン州の古都であり、画家デュラーの生地、レープクーヘン、フランケン・ワイン、おもちゃの町としても知られている。しかし、何よりも、ここは第二次大戦の責任を追及するため国際軍事裁判が行われ、ナチス指導者12名が処刑された地であり、また、ナチスの本拠として、1933年から38年までナチスの党大会が開かれた地でもある。このニュルンベルクが人権教育賞を受けたのは何故か。松浦事務局長はこの疑問に的確に答えている。「数十年にわたり人種主義、人権侵害、非寛容、戦争犯罪などに関わってきたニュルンベルクが、今や自らを『平和と人権の都市』であると誇らしげに唱えている。精神浄化(カタルシス)とはいわないまでも、この変容はこの都市とその住民の強固な意志と道義的責任感の表れであり、他のコミュニティが学ぶべき教訓となっている。ニュルンベルクは今や人権について語り、人権と平和について他に教えを垂れるにふさわしい地位を獲得したのである」と。
ニュルンベルクは私にとって30年ぶりの再訪であった。今回の訪問で、私は「平和と人権の都市」ニュルンベルクを象徴する二つの建造物をみた。一つは、ナチスが年一回の党大会のために建設を目指した6万人を収容する巨大なスタジアムである。中にはムソリーニが寄贈した大理石の円柱もある。市は、この未完のスタジアムを、できるだけ元の形をとどめたままで、歴史資料館として再生しようとしている(本年9月完成予定)。新しい世代が過去の事実を直視し、それを教訓とすることによって、将来に対する責任を自覚し、平和と人権の基礎をますます強固なものにしたいという意思の表れである。
もう一つは、1993年に作られた「人権通り(Straβe der Menschenrechte) 」である。ゲルマン国立博物館に隣接する通りはこのように名付けられ、イスラエルの彫刻家ダニ・カラヴァンの手になる29本の円柱がたっている。その表面上部にはドイツ語で世界人権宣言の条文が1条から29条まで刻まれ、下部には世界の29の言語でそれぞれの条文が刻まれている。ちなみに日本語は26条の教育を受ける権利である。市民は歩きながら世界人権宣言に触れることになる。かつてはナチスの牙城であり、今でもどちらかといえば保守的な気風が強いバイエルンの地にこのような試みをみることは驚きであるとともに強い感動を覚えた。
今回のユネスコ人権教育名誉賞の受賞を機に、ヒューライツ大阪としても、国、大阪府・市及び各種人権関係団体との協力関係を密にし、当面の目標であるアジア・太平洋地域の人権教育の推進、さらには人権全般の伸長に貢献すべく一層の努力を傾注する決意を新たにするものである。