特集
反人種主義・差別撤廃世界会議 [WCAR](2001年8月31日~9月7日、NGOフォーラムは8月28日~9月1日、南アフリカのダーバン)がまもなく開催される。この世界会議の準備過程では、人権高等弁務官の意向とサポートもあって、各国政府以上にNGOセクターが活発に活動してきた。アジア・太平洋地域においても昨年の10月にNGOの運動をコーディネートしていく調整委員会(Coordinating Committee)が組織され、アジア地域準備会議に並行したNGOフォーラム(今年2月、イランのテヘラン)や、アジア・太平洋NGOネットワーク会議(今年4月、ネパールのカトマンズ)を企画・実施してきた。その調整委員会の事務局長を務めてきたニマルカ・フェルナンドさん(反差別国際運動理事長)の来阪した5月末、インタビューさせてもらった。
--これまでの準備プロセスでは苦労が多かったと思うが、そもそも2000年5月の第一回準備会合の際にアジア・太平洋地域のNGOの調整を依頼された時、どんな思いでその責任を引き受けたのか。大役へのプレッシャーはなかったか。
ニマルカ: リーダーとしての責任というのではなく、自分の仕事はファシリテート(促進)していくことだと思っていた。一番大事にしていたポイントは運動に関わる人間を集めようということだ。WCAR(反人種主義・差別撤廃世界会議)のプロセスでは従来のコーディネートのスタイルを変えようと考えた。プレッシャーというならば、それはアジア・太平洋地域のネットワークをつくること、新しいリーダーを育てることだった。
経験の乏しい人間に任せることに反対する意見もあったが、自分の考えを通した。これまでの経験でわかっていたことだが、とくにアジア・太平洋地域をまとめるのは大変だし、リーダーを育てるのも難しい。だから批判を受けても自分には迷いはなかった。
国連資金援助の割り振りを例にとっても、調整委員会では、メンバーが知っているグループではなく新しいグループの参加を促すようにした。カトマンズでのNGOネットワーク会議では参加者の95%が私の知らない顔ぶれで、むこうも私を知らなかっただろう。
--カトマンズでのNGOネットワーク会議では差別の被害者の声を聞くセッションを設定し、世界会議に被害者の声をとどける意義を強調していたが。
ニマルカ: 自分のいるスリランカでは、タミル人の民族問題がある。彼らが直接国連に行くことは難しい。そこで国連で英語を使って代弁する人間が必要になる。差別の被害者が直接国連に赴くことはなく、代弁者がパワーポリティクス(かけ引き)をすることになる。そうすると、NGOによっては当事者自身の関わりが失われることも起こりうる。それは国連で活動する私がよく受けた批判だ。優秀な活動家であっても被害者を国連に連れていかない活動家もいる。私が長い間経験したロビーイングのスタイルはそうだった。
しかしそのスタイルは変化している。移住労働者や人身売買被害者の支援グループ、それから国連の人種差別撤廃委員会や人権委員会、人権小委員会の現代奴隷制作業部会などは、被害者を招き語ってもらっている。WCARでも被害者が語る場をつくらなければならない。ファシリテーターが現場の運動を知ったうえでそれをしなければならない。 ネットワークの上部にいるとそれがわからない。
--これまでの反省点はあるか。
ニマルカ: もっと十分に計画できていたらという反省がある。ただ時間的な制約がきつかった。
WCARのプロセスの世界全域を通じた一つの失敗は、印刷メディアを軽視したことだ。1995年の北京女性会議では参加方法などを説明するパンフレットが配布された。WCARではみんながホームページを見るよう指示された。しかしコンピュータを触る人間でも情報を共有していない場合もある。特にアジアは情報アクセスに限界がある。アジア・太平洋地域のNGOのためにパンフレットを作ってみんなに配布しなかったことは失敗だった。
--ダーバンでの会議はどんな会議になると思うか。
ニマルカ: 少なくとも人種差別の被害者や人種差別と闘っているNGOや民衆の運動が集う場になる。宣言や行動計画といった政府間会議の文書についてはNGOの働きかけがどれだけ反映されるか確信がもてない。政府間会議だけなら私はダーバンには行かないだろう。政府へのアドボカシー(提言活動)においては何も起こらず失望させられそうだからだ。
ダーバンでは様々な問題に関わる世界中の多くのNGOが集まる。アジア・太平洋地域のグループのブースを設けてイベントや展示を行い、アジア・太平洋地域のアピールをするつもりだ。
(聞き手/文:ヒューライツ大阪・川本)