国連ウォッチ
日本政府第二回報告書審査を終えて
2001年8月21日、国連社会権規約委員会における日本政府第2回報告書審査は、委員会史上最多人数とも推測される参加者を迎えて、高い関心のもとで行われた。その一方で、かつての第1回審査については、NGOによる取り組みも皆無に近く、ほとんど知られていない。日本において社会権規約が「忘れられてきた人権条約」であり続けてきた背景には、人権二分論を基礎にした社会権(規約)に関する古典的理解や解釈、裁判所における極めて制限的な適用などと併せて、結果的にNGOが無関心であったことも指摘しておかねばならない。
しかしながら、近年はこうした状況も変化しつつある。国際社会における社会権規約に関する理論上の発展に呼応して、国内NGOの関心も徐々に高まるなか、今回の審査へ向けては、国内の約30の団体・個人により構成される「社会権規約NGOレポート連絡会議」を含む複数のNGOがレポートの作成などの取り組みをすすめてきた。今回の政府報告書審査は、日本における社会権の保障を前進させるための新たな出発点とも位置づけることができるだろう。
8月21日に行われた報告書審査には、社会権規約NGOレポート連絡会議のほか、日本弁護士連合会、国際人権活動日本委員会、その他個別の問題を専門に扱うNGO計11団体から70名近い人数が傍聴した。日本政府も、在ジュネーブ政府代表部大使、外務省人権人道課長ほか、関連省庁の代表から構成される21人の代表団を派遣し、委員会からも18人の委員全員が出席した。以下、審査の概要について簡単に紹介したい。
はじめに、規約実施のための一般的枠組みおよび差別禁止(2条・3条)との関連では、多くの委員から厳しい指摘が相次いだ。モーリシャスのピレイ委員は、「政府は、規約上の権利を『単なる意思の表明』と考えているのか。......2条2項(差別禁止)などの規定は中核的義務であり、たとえ緊急事態であっても制限できないものである。......憲法の解釈の問題を話しているのではない。規約の規定は委員会の一般的意見にのっとり、国際法の原則にしたがって解釈されなければならない」と政府の答弁を厳しく批判している。
さらに、政府や裁判所が「合理的差別」を認めていることについても、スイスのマリンベルニ委員が、「差別の禁止は絶対的な原則であって、『合理的差別』という考え方は許されない。......これは即時的適用が必要な原則である」と厳しく非難している。その他、「人権影響評価」の導入に関する提案や、新設予定の国内人権機関が社会権保障に果たす役割、現在検討中の社会権規約に関する選択議定書案を含む個人通報制度に対する政府の姿勢、女性差別や被差別部落出身者、アイヌ民族、沖縄住民、在日コリアン、中国帰国者、障害者、婚外子などの問題に関して、政府の見解が求められるなど全般的に活発な審議となった。
一方、個別の権利に関しては、審議時間が限られていたこともあり、必ずしも建設的な議論とはいえない不十分なものであった。労働権や居住権とは対照的に、社会保障や健康、教育、文化、科学技術に対する権利に関する審議が予想以上に限定的であったことは、関連するNGOの期待に反する結果となってしまった。現状では、規約の唯一の実施措置である政府報告制度の議事進行において、「人権の不可分性」が反映されていない事態は、今後の大きな課題の一つである。
そうした中で、11条の居住権に関しては、今回の審査において特に焦点が当てられた問題の一つである。国別報告者でもあるドイツのリーデル委員は、ホームレスの人々の現状について、「彼らの苦境は驚くべきものである。......大阪府は若干の救済措置をとっているが、社会に再統合できるのはわずかな人数のみである。政府は今後どのような対策をとろうとしているか。達成目標は何か」と述べながら、審査前に来日した際の現地訪問をふまえた詳細な発言を行っていた。
審査終了後の8月31日に採択された63項目にわたる日本政府に対する総括所見は、項目数という点では、日本政府に対する人権条約機関の所見の中で最も多いものとなっている。ここでは、特徴的な点あるいは問題点についていくつか指摘したい。
はじめに、政府報告制度は個人通報制度のような準司法的な機能を有するわけではなく、「建設的対話」による人権状況の改善を目的としていることから、「違反」の認定に対しては慎重な姿勢をとることが一般的である。所見では、規約の国内適用に関する消極的な姿勢(para.10)、公務員によるストライキの全面的禁止(para.21)、ホームレスの人々及び京都・ウトロ地区の人々に対する強制立退き(para.30)について、「違反(contravene及びbreach)」という表現を用いて懸念を表明している。これらの点は、フォロー・アップにおいてより重点的な政府の対応が求められるだろう。
また、阪神淡路大震災後の復興に関連して兵庫県、ホームレスの人々について大阪・釜ヶ崎、上記の京都・ウトロ地区のように、特定の自治体や地域に対する懸念の表明や勧告が含まれている点も特徴の一つである。今後の各自治体における施策に対しても、一定のインパクトを与えるものと評価できるだろう。
こうした詳細な言及が見られる反面、審議時間の配分やNGOによる情報提供を反映してか、全くとりあげられていない(又は不十分な)問題も多い。例えば、委員会自ら所見において、「外国人の権利および患者の権利」について不十分であったことを認めている。労働及び居住などと比較して、健康や教育、文化などに関する言及が少なかったことは、規約の適用範囲に対する理解を限定的なものとしてしまうおそれがある。また、NGOによる文書がそのまま引用されていると思われる箇所もいくつか見られるなど、かなりの程度NGOによる情報、意見が反映されたものとなっている。これは従来ならば、NGOとして歓迎すべきことであるが、委員会による活動の自立性の確保という点からは、委員会が直面している深刻な課題を示しているとも言えるだろう。
社会権規約委員会は、審査状況に応じて追加情報の提供を求めるなど、審査のフォロー・アップにも積極的である。国内においても可能な限り早い時期に、報告書作成過程や審査内容、総括所見などに対するNGOと政府のそれぞれの評価について意見交換の場を設け、具体的に必要な施策を明確にしていく作業が必要である。こうした協議を定期的に実施していくことは、次回の審査への共同の準備作業ともなるだろう。
今回は、5年に1度で6時間というあまりにも短い審査時間や、各条約機関における審査内容(テーマ)の重複による非効率な審査など、政府報告制度を有する主要な人権条約が共通して直面しつつある課題をあらためて感じさせた場でもあった。また、社会権規約委員会は、他の条約機関に先駆けてNGOとのさまざまな協力関係を構築してきたが、近年は、各委員がNGOにより提供されたレポートを十分に検討し、活用するだけの時間的余裕を持ち併せていないように思われる場面も多く見られる。報告制度の主要なアクターである「委員会」、「政府」、「NGO」のそれぞれが、早急に抜本的な制度改革をすすめなければならない時期を迎えているのかもしれない。
しかしながら、社会権規約自体の意義や可能性は、依然として失われるわけではない。規約が対象とする人権を列挙してみると、主体としては、女性、子ども、高齢者、被差別部落出身者、在日コリアンやニュー・カマーなどの外国人、中国帰国者、障害者、HIV感染者・AIDS患者、ホームレスの人々、難民(申請者)、被拘禁者、同性愛者、ハンセン病(元)患者、アイヌ民族、沖縄住民などを挙げることができる。一方、権利(問題)としては、労働、社会保障、家族の保護、保育、居住、食料、衣服、健康・医療、環境(公害)、教育、文化、科学技術などに関する権利のほか、国際協力(ODA)、阪神淡路大震災、情報格差など非常に多岐にわたる。
これらはどれもが社会権規約から導かれるものであり、法的に認められた個人の権利に基礎をおくものであることに留意しなければならない。日本政府を含む締約国は、これらの権利の「すべての適当な方法による完全な実現」(2条1項)を国際法上、義務づけられているのである。人権とは何か特別なものではなく、すべての人間のあらゆる生活の場面に関連するものであり、だからこそ社会権を含む人権が普遍的な価値をもつことを社会権規約は示しているとも言えるだろう。さらに、グローバリゼーションの進展や、情報・医療分野などにおける科学技術の発展から生じる負の側面が、人々の社会権の実現を阻む状況も生み始めている。こうした時代状況において、社会権規約は人権の世紀への扉を開くための新たな鍵となりうるのである。
最後に、本年9月にアメリカで発生した歴史的な国際テロの遠因には、忘れ去られつつある発展途上国における絶対的貧困や経済格差などの社会権侵害という「忘れられてきた人権侵害」の存在があることをあえて付記しておきたい。
* なお、NGOの取り組みを含む詳細については、社会権規約NGOレポート連絡会議編『社会権規約と日本2001』(エイデル研究所)及び『ヒューマンライツ』(部落解放・人権研究所)2001年11月号を併せて参照いただければ幸いである。