特集
~投機的金融取引に課税を求める市民運動の挑戦
1999年末のシアトルでのWTO(世界貿易機関)総会に反対するデモには、世界各国から800以上のNGOが参加した。この会議の交渉は結局決裂することになるが、世界貿易の自由化に向けた交渉が新たな局面に入ることでは参加国は一致していた。WTOに反対してシアトルに集合したNGOは、一般的に「新自由主義的なグローバリゼーション」に対して抗議行動を行ったと報道された。新自由主義的、つまり、貿易はもとよりあらゆる分野に市場原理が適用される傾向に対して、市民の側から異議が申し立てられたわけである。そこにはエコロジスト団体、労働組合、人権擁護団体、開発途上国と連帯する団体などさまざまな団体の参加がみられた。従来は公共サービスとして提供されてきたものを市場原理に委ねることで、医療、住宅、教育、水道、交通手段、郵便などあらゆるサービスが購入の対象となる。基本的人権にかかわるようなサービスすらも、カネで買う対象とすることに、これらの人々は異議を申し立てている。
99年のシアトルに続いて、2000年のニースのEU首脳会議、2001年のケベック、さらにジェノバでのサミットなど国際経済機関の会議の場に世界各国からNGOが集まって抗議行動を行う光景が近年頻繁にみられる。
ヨーロッパの社会民主主義勢力は、2002年のEUの通貨統合に向けて経済の自由化を進めていった。西欧におけるグローバリゼーションは同時に大量失業をもたらし、長期失業者や移民、ホームレスなど都市底辺層による社会運動が90年代以降活性化した。北米においては、カナダで94年に形成されたNGOの連合体である「ハリファクス・イニシアチブ」を転機として、「新自由主義的なグローバリゼーション」に反対する運動が急速に展開している。以下に述べるトビン税を提案したのも、ハリファクス・イニシアチブであるが、この運動を実際に広げたのはフランスの市民団体ATTACであった。ATTACとは、「市民のために金融取引に課税を求める団体」の略語であるが、文字通り「アタック」、つまり新自由主義的なグローバリゼーションに対する市民からの「アタック」である。
ATTACの目的は新自由主義のヘゲモニーを断ち切ること、そのためのオルタナティブを提示することにある。具体的な目標は、金融取引に課税するトビン税の導入である。これは、少なくとも経済的不安定と社会的不平等に制限を設ける手段として提示できるオルタナティブであった。トビン税とは、アメリカのノーベル経済学賞受賞者である経済学者トビンが提案したもので、国境を越える金融取引への課税により、地球規模の不平等を解消していこうというものである。「今日、私たちはどんな小さな買い物にも税金を支払っているのに、金融商品という莫大な金額の買い物が、まったく課税されることなく、企業が多額の利益を得ている事実」への異議申し立てとして、トビン税を広める動きはフランスを越えて支持者を拡大していった。2000年2月には、加入者が2万人を超え、その出身国は16カ国に増えている。2001年12月には日本でもその趣旨に賛同する人々がATTACを結成した。
トビン税はその性質上すべての国が採用しなければ効果を発揮しない。このような実現可能性の低い目標を掲げているにもかかわらずATTACへの加入団体は増えている。トビン税導入が貧困問題に取り組む社会運動団体にとってオルタナティブたりえるのは、いかなる意味においてであろうか。
まず、NGOが「新自由主義的なグローバリゼーション」に対する異議申し立てを実現する可能性が指摘できる。「グローバリゼーション」への抗議といっても、具体的にその対象となるのは、国際機関や政府、あるいは多国籍企業であるが、NGOはこれらの組織への直接の影響力を持たない。したがって企業に対して直接交渉する機会は閉ざされている。ところがトビン税導入は、何らかの機関の徴税によりこれらの企業の行動を監視することができるようになることを意味する。
つぎに、トビン税が国際的な再分配機能を持つことが挙げられる。世界規模でも一国規模でも貧困層と富裕層に二極化した「二重社会」の出現がいわれている。国際的な金融取引のアクターは富裕層であり、その活動に課税するトビン税によって世界規模で累進課税が実現できる。
もっとも、NGOはトビン税に税制度としての利点を見出したがゆえに、その導入を主張しているわけではない。むしろ「新自由主義的なグローバリゼーション」へのオルタナティブをそこに見出しているといえる。つまり「グローバリゼーション」は、投票により市民が選んだ代表による政治を無効にする。なぜならば従来の民主主義は国民国家の内部で政治が行われることが前提とされており、国境を越えた企業活動を規制することは困難となるからである。こうした現状を前に、ATTACは市民社会による異議申し立てを再度有効にする機能をトビン税に見出している。
ATTACによるトビン税の機能は、したがって次のようなものである。「市場経済至上主義的な思考様式が運命論的に甘受され、市民は、権力が自らの運命を決定するに任せてしまっている。こうした屈従と無力さが、非民主主義的な政党の得票を助長している。したがって、こうした状況を市民が抑制し管理できるような『新しい手段』を、国レベルさらにはヨーロッパレベルでつくりだし、このプロセスを食い止めることが必要である」。その「新しい手段」がトビン税というわけである。
「新自由主義的なグローバリゼーション」に抗議する社会運動団体は、多国籍企業の決定が個人に大きな影響を及ぼすにもかかわらず、市民がこれらの決定に関与できない現状の変更を求めているといえる。多国籍企業の決定は、議会で議論されることもなければ抗議されることもなく、政府の決定を経ることもなく、法律の改定をともなうこともなく、必要であったはずの公的な場での議論も行われずに実現している。しかし国際経済機関に対して世界各地で起きている抗議行動、とくにトビン税導入を求める主張から示唆されることは、多国籍企業の決定に市民社会が影響力を及ぼす方法がありうるということであろう。
トビン税導入という主張は、個人の生活に大きな影響を及ぼす決定が、個人が介入できないような既存の政治を超えたところでなされている現状へのオルタナティブのひとつである。したがってトビン税という制度そのものよりも、トビン税によって国境を越えた意思決定の模索が市民社会ではじまっているという事実に今後は注目していくべきであろう。