肌で感じたアジア・太平洋
二〇〇一年九月、二週間にわたってスリランカを訪問した。その目的は、長年にわたる内戦の最大の被害者である、スリランカ国内の避難民の状況を調査することであった。今回、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のパートナーとして、避難民に対する支援を行っている地元のNGO、セワランカ(SewaLanka)財団といっしょに、各地の避難民コミュニティーを訪ねた。
スリランカは、インド洋に浮かぶ人口一、九〇〇万人の島国。人口の七三%近くが仏教徒のシンハラ人であるため、仏教国といわれることもあるが、実際は、ヒンズー教のタミル人(十八%)、イスラム教徒のムーア人(七%)なども存在する多民族国家である。
避難民の最大の発生原因は、政府軍と北部を拠点とするタミル人の反政府勢力、「タミル・イーラム解放の虎」(LTTE)との内戦である。植民地時代、旧宗主国のイギリスは少数派のタミル人を優遇していたが、独立以降、多数派のシンハラ人を母体とした政府がシンハラ人優遇政策を進めたため、タミル人がこれに反発。一九八三年にはシンハラ人とタミル人との間で暴動が発生し、その後、内戦にまで発展した。この内戦の結果、少なくとも六万人が死亡、約五〇万人が難民として海外に逃れ、八〇万人近くがスリランカ国内で避難民となった。現在、政府によって運営される三四八の「福祉センター」(Welfare Centre)と呼ばれるキャンプには、十七万人余りの避難民が収容されている。またUNHCRは一九八七年に、海外へ逃れた難民のうち、主にインドから帰還するスリランカ難民への支援を開始、その後、活動対象をスリランカ国内の避難民にまで拡大している。しかし、スリランカ国内においては、一般の国民は避難民の存在にあまり関心を寄せず、メディアの注目度も低いのが現状だ。
今回訪れた場所の一つに、インド洋に面した東部州のトリンコマレーがある。スリランカ有数の良港として知られているところだ。トリンコマレー近郊にあるアラス・ガーデンの福祉センターを訪問した。ここは、もともとはインド南部のタミル・ナドゥ州から帰還したスリランカ難民を一次的に保護するために、UNHCRが海岸に設置したキャンプである。しかし、多くの元難民は帰国しても元の居住地に戻ることができず、十年近く避難民としてキャンプ生活を続けている。あるタミル人の男性は、インドからの帰国の船で家族全員を亡くし、キャンプで独り暮しをしていると、うつろげに話してくれた。このキャンプにはLTTEの支持者が多いとの噂から、政府軍が手入れを行い、強制連行されたまま、帰ってこない避難民がいるという。また、近くのカシム・ナガール村の福祉センターでは、ムーア人のジェルハウマさん(四六歳、写真中央)に出会った。彼女はこの近辺の村に住んでいたが、政府軍とLTTEとの武力衝突が激しくなったため、一九九〇年に自宅を離れ、以来トリンコマレー周辺の福祉センターを転々としてきた。一九九五年に一旦自宅に戻ったものの、彼女が残してきた土地は、他の避難民によって占有されており、再び子ども六人を抱えてキャンプ生活を続けることになった。すでに夫を亡くしているため、政府から与えられる毎月一、二六〇ルピー(約一、七〇〇円)の生活補助と、魚の干物を売って得た収入で、生計を立てている。しかし、ここでの生活もいつまで続くか分らない。というのも、政府が新たに学校を建設するために、現在の家からの立ち退きを迫られているからだ。
避難民の人達が抱える問題には、おそらくすべての社会的な問題が凝縮されているといってよい。問題はあまりにも複雑で、解決策などあるのかと思えてくる。ただ、今回の調査で気付いたことは、避難民の人達の多くが、自分たちの権利を行使するための具体的な手段を欠いているということだ。スリランカ政府は、国際人権規約を含め、主要な人権条約に加入しており、また国内レベルでの人権救済機関として、独自に人権委員会を設立するなど、それなりの対応を行っている。しかし、最終的には、避難民が行為主体として、どれだけ自分たちの人権を主張できるかに人権擁護の成否がかかってくる。前述のジャウハウナさんにとっては、自分の土地を取り戻そうにも、訴訟を起こす費用もなければ、手弁当で弁護を引き受けてくれる弁護士を見つけるのも難しい。農村や漁村など、都市から離れた地域の避難民が個人レベルで行動を起こすには、やはり限界がある。それならば、政府、行政機関に然るべく権利を主張し、援助団体にも効果的に働きかけることができるよう、避難民の集団的な能力育成に主眼を置いてはどうだろうか。スリランカではすでにUNHCRが「コミュニティー・アプローチ」のもと、避難民の能力育成に努めてきていることを知ったが、こうした地道な努力は避難民のエンパワメントに着実に貢献するだろう。
青空のもと、白浜の海岸で避難民の人達といっしょにカレーをほおばりながら、彼らの避難生活がこの先も続くのかと考えると、透き通った青い海とは対照的に、先が見えない避難民の現状に心を痛めた。この国に再び平和が訪れる日を願わずにはいられない。