特集・商業的性的搾取の撤廃をめざして
~「人権モデル」と「道徳モデル」
2001年12月17~20日に、横浜で「第2回子どもの商業的性的搾取(CSEC=シーセック)に反対する世界会議」が開催された。世界136カ国の政府代表を含む3,050人が参加して、子ども買春・子どもポルノ・性目的の子どもの人身売買をなくすために話し合ったのである。1996年にストックホルムで開かれた第1回世界会議よりも、国の数で14カ国,人数で1,000人以上増加している。アメリカ政府が最終文書から「子どもの権利条約」という文言をはずそうと動いたが、最終的には条約も位置付く形で最終文書が採択された。ユニセフ事務局長キャロル・ベラミーさんは、「横浜会議は100%以上の成功だ」と言ったそうだ。
横浜会議の目的は、第1にストックホルム会議の成果文書がどれほど具体化されたかをチェックすること、第2にそれら成果文書への取り組みをさらに強化すること、第3にストックホルム会議以後世界各地で行われた実践を交流し、共有すること、第4に今後取り組むべき課題や領域を明らかにすること、第5に横浜会議以後世界の取り組みをチェックする恒常的な体制をつくることであった。これらはほぼ達成されたと言ってよい。
この会議の特徴は、第1に、政府代表とNGO(非政府組織)代表が対等に参加したということにある。人権に関連する大規模な世界会議でこのような性格を持つものはめずらしい。たとえば、私たちエクパットジャパン関西が横浜会議のなかで開いたワークショップにはアメリカ政府代表も来ていたし、そのアメリカ政府代表と「子どもの非処罰化」という問題をめぐって議論もした。
横浜会議のもう一つの特徴は、子どもや若者も正式な代表として参加したことである。横浜会議には日本から33人、それも含めて世界から合計90人の子どもと若者が集まった。かれらは、横浜会議に先立つ12月13日から川崎市の「青少年の家」に集まってワークショップを重ねた。生い立ちや生活背景、ことばも違う者どうしが、困難を乗り越えて、横浜会議の最終日には、一時間近くにわたって劇やパフォーマンスで訴えた。
横浜会議の第三のハイライトは、100を超えるワークショップである。これらのワークショップ一つ一つがNGOの自己主張であり、世界会議への問題提起となっていた。
私たちエクパット関西も、横浜会議の一環として、「CSEC被害にあった子どもの非処罰化」の徹底に向けた現状と問題点に関するワークショップを行った。
日本では、1999年に制定された「子ども買春・子どもポルノ禁止法」によって、子ども買春や子どもポルノの加害者が逮捕されるようになった。この法律では子どもは逮捕されない。ところが、少年法と抱き合わせにすることによって子どもが補導されたり、売春防止法を適用されて子どもが逮捕されたりしている。そんな問題状況は日本だけではない。そこで、このワークショップは、子どもの非処罰化を徹底するために何が必要かを考えるために行った。
明らかになったのは、日本では逮捕や矯正を仕事とする警察が保護まで担当しており、本来的な意味での保護となっていないということである。諸外国では民間の団体や保護を専門とする機関が保護に動いているのに、日本ではそれがきわめて弱い。
こうした問題について、私たちエクパット関西は、「道徳モデル」と「人権モデル」という枠組みで整理しようと考えている。
「道徳モデル」とは、援助交際や子どもポルノを性的な倫理からの逸脱と見なす立場である。この立場からすれば、子どもを性的な存在と見なすことそのものが許せない。だから、性的なものすべてを子どもから遠ざけようとする。日本の法律も基本的には「道徳モデル」に立っている。
この立場からは、一番の土台に「淫行」(=性的に無軌道な行い)という概念が置かれる。「淫行」から守るために、「青少年の健全育成」が進められる。健全育成のためには、「援助交際」や「有害図書」があってはならない。
それに対して「人権モデル」は、それらが現実的な被害を子どもたちに及ぼすからこそ問題にする。たとえば、性的虐待を受けている場面を写真などに撮られると、それはどんどん一人歩きしてしまう。後々までいつ誰が見るか分からない。撮られた子どもは不安でならない。性的虐待が、一生にわたって影響を及ぼすことになる。「人権モデル」が子どもポルノを問題にするのはそのような理由からである。
「人権モデル」に立つと、土台に据えられる概念は、「子ども虐待」となる。「子ども虐待」は子どもの心身に深い影響を残す。「子ども虐待」の一環として「子どもへの性的虐待」がある。「性的虐待」は、「虐待」全般のなかでも特に深刻な被害が生じやすい。「子ども買春」や「子どもポルノ」もこの「性的虐待」の枠のなかで考える。
このように、いずれの立場に立つかによって、言葉づかいや取り組み方が違ってくるのだが、ここで問題になるのは、最近では「人権」という言葉を使いながら、よくよく考えてみると「道徳モデル」に立って論じている人が結構いるということだ。つまり、被害の実態から出発して、そこから必要な取り組みを論じるのではなく、頭ごなしに「○○はダメ」と言ってすませてしまう主張である。
性に関することがらは特に一人ひとり意識が大きく異なる。愛情がない人との性的関係をどのように考えるのか。結婚していない人同士の性的関係を肯定するのか。何歳ぐらいから性的関係を持つことを認めるのか。またそれは一般論として考える場合と、自分の子どもについて考える場合とでどう異なるのか。これら一つ一つについて、個々人の感じ方が異なっている。
「〇〇はダメ」というのは、多くの場合こういう違いを無視して、自分にとっての「当たり前」を他の人に強制している。人権というのは、そのようなお互いの価値観をぶつけ合いながら、実際の被害を捉えつつ普遍的なルールを求めてきて生まれたルールである。だから、頭ごなしに「○○はダメ」という人々は、たとえ人権という言葉を使っていても、人権とは似て非なる考え方に立っているというのである。
横浜会議は、「グローバルコミットメント2001」という成果文書を採択して閉会した。子どもや若者たちの最終アピール※も高く評価されている。今後は、横浜会議の成果を踏まえて世界中の議論と取り組みが進んでいくことになるだろう。子どもや若者の参加に関する議論も前進するにちがいない。
特に、1)子どもの非処罰化などの観点に立った「子ども買春・子どもポルノ禁止法」の見直し、②被害にあった子どものケアなど支援活動の展開、2)具体的なケースをふまえた市民団体や諸機関のネットワーク活動、が必要になるだろう。私たちは、子どもの被害という観点を土台に据えながら、議論と取り組みに関わっていきたいと考えている。
(※「グローバルコミットメント2001」と「最終アピール」は、外務省のホームページに翻訳が掲載されています。http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/csec01/)