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国際人権ひろば No.43(2002年05月発行号)

現代国際人権考

8人の女性たちは今、どうしているだろう

細見 三英子 (ほそみ みえこ)
産経新聞編集委員・大阪市女性協会評議員・ヒューライツ大阪理事

アジアは多彩だった

 「あなたをアジア女性記者グループのひとりとして、2週間のドイツ研修旅行に招待いたします。来る4月21日の夜、ボンのブリストルホテルにお集まりください」

 ドイツ政府から思いがけない便りが届いたのは、1996年春のこと。アジアの女性と一緒なら何とかなるだろうと全く根拠のない思いに頼って関西国際空港を飛び立ったが、大きなカルチャーショックを受ける旅となった。

 まず、アジアの範囲について。ホテルロビーには日本から2人、インドから2人、それに韓国、タイ、イエメン、パレスチナからひとりずつ計8人の女性が集まった。私はイエメンやパレスチナがアジアに属するのかと驚いたが、逆にドイツにすれば、8人がまさにアジア(東アジア、南アジア、西アジア)なのだ。

 アジアは多彩だった。ニューデリーから来たガルギ、ムンバイから来たプラサナは眉間に赤い染料で「第三の眼」を書き入れているヒンズー教徒。特にサリー姿のプラサナは徹底した菜食主義で、食事の度にメニューを前に考え込む。ふたりともクールに物事を見るタイプで、結婚制度にも批判的だった。そんなふたりには、行く先々でそれぞれの恋の話に余念のないタイのカメラ記者ジッティン(29)と、韓国の雑誌記者ソーヤン(26)の姿は驚きだったに違いない。

 タイのジッティンは、ヨーロッパで働くタイ女性の状況を調べていた。韓国のソーヤンは旅の途中、既婚である日本の私たちに近づいて「結婚と仕事は両立しますか」と相談する。ふたりとも二者択一を迫られる年頃だった。

 日本の私たちの関心はもっぱら、日本より先に導入されていたドイツの介護保険の実態や先進的な環境への取り組みを学ぶことにあった。

 アラビア半島の南端の国イエメンから参加した大学教員アルシャーキ(40)、それにパレスチナのキリスト教徒であるテリー(32)の間には、アラブの連帯感といったものがあった。アルシャーキが私たちに教授してくれたことには、「アラブには22の国があるけど、アラビア語という共通言語で結ばれている。国が22あるということは欧米の植民地政策の結果に過ぎないのであって、基本は一つということよ」。だからアラブにとってパレスチナ国家の承認は当たり前であり、イラクのフセイン大統領もリビアのカダフィ大佐も信頼に足る指導者であり、彼らを非難する欧米こそおかしいということになる。テリーは夫とともにアラファト議長の熱心な支持者で、定期入れに議長と一緒に写した写真を入れていた。

アラブの連帯感

 アルシャーキとテリーは、ドイツ取材の機会を利用してパレスチナ支援を訴えるのが目的のようでもあった。訪問先の政府関係者との話し合いではパレスチナ支援について激論になった。もっともドイツ側の女性通訳も負けてはいない(ひとりはトルコ系ドイツ人で緑の党のオジャール、もうひとりは夫がジーメンス役員という年配のギゼラで、キリスト教民主同盟支持者)。特にギゼラは「あなたたちはドイツを見に来たのではないのか。私たちを説教するために来たのか」と非難する。ドイツは第二次大戦中にユダヤ人迫害を行った、その反省がイスラエルへの心情的支持となり、中東紛争に積極的に発言できないというジレンマが、ギゼラにもドイツにも確かにある。ところが、そのあいまいさが現実を見えなくしているとアルシャーキとテリーは反論するのだ。

 こんなこともあった。その頃バルカンのボスニア紛争は沈静化していたが、それでも難民はドイツ国内に4万人近く暮らしていた。各地にシェルターがあって、ベルリンでその一つを訪問し、施設責任者が説明を終えた時、アルシャーキとプラサナが、一週間前に入所して途方に暮れている若い母親の肩を抱いた。それは見事に自然な振舞だったが、そこに、あの通訳のギゼラも加わったのだ。彼女たちはしばし、沈黙の中で共通の感情をかみしめた。この母子が何とか食と住にありつけ続けますように、と。

停戦から始めよう

 あの旅から6年。参加者の人生も大きく変わっているはずだ。

 ここ数ヶ月、中東紛争はイスラエルの強硬姿勢によって泥沼化している。動くものはすべて標的となったと伝えられるパレスチナで、テリーはどうしているだろう。イエメンはNYでのテロ事件以来、アルカイダとの関連を問われている。アルシャーキはどう反論するだろう。インドはカシミールの帰属問題でパキスタンと一触即発の状態にある。ガルギやプラサナは紛争をどう受け止めているだろう。偶然に属する国家であるのに、時に厳しい選択を迫ることに割り切れない思いがする。

 共存とは、人々が生きていてこそのもの。あらゆる紛争はまず停戦をして、結論が出るまで話し合いを続ければよい。人を傷つけることに意義などないのだ。世界の多様性を体験したあの旅以来、シンプルにそう考えるようになった。