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国際人権ひろば No.44(2002年07月発行号)

Human Interview

バリ島だけでなく300以上の民族からなる 多様なインドネシアを知ってください

アデ・ミルザンティ・マルティヌスさん (Ade Mirzanthy Martinus)
FM CO・CO・LOプログラム・スタッフ

プロフィール:

 インドネシアの首都ジャカルタ市出身。1992年に留学生として来日。天理大学日本語科を経て大阪大学で学ぶ。現在、大阪大学大学院人間科学研究科の博士課程後期。専攻は社会コミュニケーション論。2001年4月から02年3月まで関西インドネシア留学生協会(http://www.geocities.co.jp/Technopolis/5885/katsudo.html)の会長を務める。99年4月以来、FM CO・CO・LOのインドネシア語番組のスタッフ。

聞き手:前川 実(ヒューライツ大阪総括研究員)

前川: ヒューライツ大阪では、FM CO・CO・LOのDJの方をインタビューして、元気な在日外国人のメッセージを「国際人権ひろば」で紹介していくという企画を5月号から始めました。今回は、インドネシア出身のアデさんにお話をうかがいます。アデさんは留学生だと聞いていますが、どんな研究をされているのですか。

アデ: 大学院修士課程のときは、インドネシアが日本のテレビ番組でどんな風に取り上げられているかなど、メディアとコミュニケーションの研究をしてきました。今後は、そこからさらに深めて、日本とインドネシアの比較文化論をテーマにしたいと思っています。

 92年に来日したのですが、勉強に加えていろんな社会活動に参加してきたので、あっという間に年月が過ぎていったという感じです。

前川: 大阪で毎年開かれている「ワンワールド・フェスティバル」では、去年はインドネシアからの留学生たちがジャワ島の結婚式の様子を紹介していましたが、アデさんはそこで活躍されていましたね。

アデ: 「ワンワールド・フェスティバル」には、関西インドネシア留学生協会が97年から毎回関わっています。私は、昨年度は会長だったのですが、300以上の民族からなるインドネシアの文化の一端を伝えるには結婚式がいいのではないかと考えつきました。しかし、日本ではインドネシアといえば、バリ島のイメージばかりが強いようです。一方、ジャワ島について名前はよく知られていても、「ジャワティ」か「ジャワカレー」という言葉以外にはイメージされません。だから、ジャワ島の代表的な結婚式のもようを演出したのです。

前川: あのパフォーマンスで会場はすごく盛り上がっていましたね。留学生たちもなかなかやりますね。留学生協会では他にどんな活動をしているのですか。

アデ: 関西ではいま200人くらいのインドネシア人留学生がいます。その家族を含めると300人です。まず、日本に来てどうやって住宅を探せばいいかなど、生活上困ることについて、私たちのように長く住んで言葉もわかる先輩たちが相談にのっています。生活がうまくいけば安心して勉強できるようになりますから。

 家族で滞在する場合は、子どもが日本の学校にどう適応していけばいいのかという相談が多いです。例えば、通学していても日本語がまったくわからない。担任の先生が授業中は折り紙をしていてもいいと言ってくれました。しかし、毎日折り紙ばかりしているわけにもいかず、その子の親も悩みます。

 私が住んでいる市の市役所から電話がかかってきて通訳や翻訳を頼まれることもあります。ちょっと前のことです。日本の小学校には保護者との連絡帳があるものの、まったく日本語を理解しない両親は、今年4月に子どもが小学4年生として通学を始めて以来3ヵ月間、内容がわからないまま過ごしてきたというので、私がインドネシア語に翻訳しました。それを読んだお父さんは先生に返事を書いたので、私はそれを今度は日本語に翻訳しました。

前川: FM CO・CO・LOでは生活情報を流していますが、リスナーからの反応はありますか。

アデ: いまインドネシアから日本の企業への技術研修生が増えていますが、この研修生たちから人権に関する相談が寄せられるようになりました。日本が不況のため中小企業の経営状態が悪化してきたせいでしょうか。インドネシアで聞いてきた話と現実とが違うという相談などが携帯メールなどで送られてきます。健康保険に会社が加入してくれないので病院に行くと医療費がとても高い。会社が研修生たちのパスポートをずっと預かったままにしているなどです。もし自分が立ち上がったら、同僚も犠牲になると悩む人。でも、研修生の問題は国と国の取り決めや法律問題が絡んできます。私はひとりの学生ですから、こうした問題にはボランティアとしての限界を感じます。

前川: そういうときはどうするのですか。

アデ: インドネシア総領事館に連絡して、日本の弁護士を紹介してもらったり、知人の日本人のボランティアに相談したりしています。

前川:関西インドネシア留学生協会は、「ラブ・インドネシア」というイベントも毎年開催していますね。

アデ: インドネシアでは、スハルト大統領からハビビ大統領に替わった98年、国内経済が混乱し、たくさんの学生が学業断念に追い込まれました。そこで、大学生に奨学金を送ろうと決めたのです。日本に有名な歌手や舞踊家を呼んでインドネシアの文化を紹介するイベントを開催して、その収益金を奨学資金にするというものです。

 「ラブ・インドネシア」という名前をつけて企画したこのチャリティ・コンサートは、企業などの協賛を得て、日本人のボランティアと共同して開きました。結果は大成功でした。その年はインドネシアの16の国立大学の各10人に奨学金を送ることができました。

 それをきっかけに、留学生として勉強以外のこともできるんだという自信も生まれて、翌年もやろうということになりました。99年は不況で日本企業のスポンサーが減りましたが、日本のNGOの協力も得てまた成功しました。以来、毎年関西の数箇所でこのイベントを開催し、奨学金を送っています。今年は10月6日に大阪で開催する予定です。

前川: そうしたイベントや活動を通じて、インドネシアと日本との相互理解が深まればいいですね。とはいえ、スムースにわかりあえる現実ばかりとは限らないのでは。

アデ: そうですね。日本の小学校の話に戻しますが、イスラム教徒は豚肉を食べることは宗教上できない。だけど、学校給食ではそのことは配慮されていません。だから、お母さんが作った弁当を毎日持っていくことになるのです。そのインドネシアの子どもは、みんなといっしょに給食を食べたいけれど、なんでそれが許されないのか事情がよく理解できません。親も日本語が話せないうえ、学校に対して遠慮があるため、何も言えないようです。もっと子どもの気持ちをわかっていただきたいと思います。

前川: 最後に将来の抱負を聞かせてください。

アデ: この3年間、FM CO・CO・LOのプログラム・スタッフとしていろんな経験をすることができました。ここしばらくは続けていきたいです。そして、ボランティアとしてインドネシア人からの相談に乗っていきたいです。将来は、メディア関係に就職したいと思っていますが、そうした経験を活かして最終的にはインドネシアの大学で教えたいと考えています。

(構成:藤本伸樹・ヒューライツ大阪)

FM CO・CO・LO(76.5MHz http://www.cocolo.co.jp
 1995年10月に大阪で開局された日本で初めての多言語(15言語)によるFMラジオ局。生活情報などを届ける国別番組(1週間に1回2時間)や語学講座などの番組が、毎日朝6時から翌朝2時まで放送されている。国別番組の制作には、プログラム・スタッフと呼ばれる外国人スタッフが、日本人スタッフと共同で内容構成や収録、DJなどマルチな役割を担っている。
 インドネシア語番組「Bincang Indonesia」は、毎週月曜日の午後6時から8時まで日本語をまじえて生放送で行われている。内容はニュースや生活文化情報、インドネシアの歌など。02年7月からインターネットでも聴くことができるようになった。