国際化と人権
2001年10月3日早朝、千葉県佐倉市でアフガニスタン人難民申請者9名を含む13人が、摘発され、家宅捜索された上、その日のうちに東京入国管理局収容施設に収容されました。
9.11テロに端を発する予防拘禁的な難民申請者の収容は、難民条約2)や国連難民高等弁務官事務所のガイドラインに反するだけでなく、「難民申請者を不認定前に収容しない」という数年来の入管の運用にも反しています。また、入管は、2001年夏ころから秋にかけて、日本の空港にて難民認定申請を行おうとしたアフガン難民申請者を多数空港にて拘束しました。
収容されてしまった難民のひとりヤフヤさんとの初対面は、10月半ば、入国管理局収容施設の面会室のガラス越しでした。弱冠25歳のヤフヤさんは、アフガン国籍のハザラ人。難民としての認定を求めて日本政府に自ら出頭したにも拘わらず、日本政府から保護を拒絶され、突然強制収容施設に入れられ、疲れ切っていました。一目見て、「日本人?」と思いました。ハザラ人はモンゴロイド系。日本人とそっくりです。
アフガンは、最大民族のパシュトゥーン人の他、多くの民族から成ります。ハザラ人は数が少なく、宗教的にも少数派のシーア派。長年、タリバンや北部同盟による厳しい迫害と差別に苦しみました。数万人のハザラ人が拷問され、強姦され、虐殺されました。ヤフヤさんも例外ではありません。タリバンに捕えられて約20日間拷問され、生死の境をさまよったのです。
彼は、私に言いました。「地獄から逃れてきた。日本人が親切で人道的であるから私たちを庇護すると信じて来日した。そして、日本を信じ、自らの意思で、東京入国管理局に出頭した。それなのに、9.11テロ直後、私たちアフガン難民申請者は収容された。早朝、防弾チョッキを装備した入管職員らに、犯罪者同然に引き立てられた。なぜ?私たちは、アフガニスタンで迫害され、日本で2度迫害されている」。
しかし、2001年11月、東京地方裁判所民事第3部が「難民の強制収容は違法」と決定し、ヤフヤさんは、1カ月ぶりに収容施設から解放されました。うれしさに涙が出ました。
彼の故郷や行方不明の家族に対する愛も深いものでした。「故郷と家族が愛しい。故郷が平和になればすぐに帰る。でもハザラ人にとってアフガンが安全になるには時間がかかる」。
しかし、その後、法務省は、ヤフヤさんに対し難民不認定処分・アフガニスタンへの退去強制令書の発付を行い 3)、続いて昨年12月、東京高等裁判所第9民事部は、東京地方裁判所民事第3部の決定を取消し、ヤフヤさんの再収容を是認すると決定しました。ヤフヤさんと連れだって収容施設に行った時の悲しさは言葉では言い表せません。
私は、クリスマスと正月を収容所で越すアフガン人たちが不憫で何度も収容所に面会に行きました。ヤフヤさんは再収容のショックから摂食障害に陥り、精神的健康は見る見るむしばまれ、日に10~20錠もの薬を処方されるようになりました。私は、難民である彼らを救い出せない日本の司法の閉塞、行政の杜撰に、惨めな気持ちで一杯でした。
そして、精神的・肉体的衰えはヤフヤさんに限りませんでした。例えば、ある10代のアフガン人少年は2002年2月、外部医師の診療を数度拒絶されたことを契機に、意識がもうろうとなり倒れたのに、翌日まで医師の診療さえ受けられませんでした。
また、別の10代のアフガン難民申請者は、2002年2月、備え付けのはさみで自殺未遂に及び次の日にはパジャマで首つり自殺を図りました。さらに3月、6人の被収容者が、コインや石鹸を飲み込み、続いて約40錠の睡眠薬等の錠剤を飲み込み自殺を図りました。2001年2月~3月頃、アフガン難民23名が収容されていた東日本入国管理センターは地獄のような状態でした。
アフガニスタン国籍の難民申請者の無期限収容を続けるという異例の事態は、国際社会の強い批判を浴びました。
たとえば、国連難民高等弁務官事務所日本・韓国地域事務所は、2002年2月21日、プレスリリースを発表し、アフガニスタン国内の不安定で複雑な状況を考慮し、同事務所は、少なくとも2002年半ばまでは、難民の地位が認められない者も含め、帰還は自発的なものに限るよう各国に対して強く求めていること、現在日本で拘禁されているアフガニスタン人は、安全な帰還が可能となるまでは、一定の条件の下で放免されるべきであることを強く訴えました。
アムネスティー・インターナショナルは3月12日、世界の人々に対して、日本政府に抗議する緊急行動要請(アージェント・アクション)を行いました。また、3月11日、WCC(世界教会協議会)/CCA(アジアキリスト教協議会)調査団が日本を訪れ、日本におけるアフガニスタン難民問題についての現状及び日本政府の難民政策を調査し、日本政府に抗議する声明を発表しました。
アフガニスタン難民弁護団は、10月3日に一斉摘発された9人を含めて東日本入国管理センターに収容中の者全員について、順次、退去強制令書発付処分(送還先はアフガニスタン)の取消を求める訴えを提起しました。
そして、2002年3月1日、東京地方裁判所民事第3部は、7名のアフガン難民申請者について、退去強制令書の執行を停止し、その身柄を解放する旨の決定(執行停止決定)を行い、7名は即日、茨城県の東日本入国管理センターから解放されました 4)。
さらに、2002年3月末から4月末にかけて、執行停止決定がなされていない者全員について東日本入国管理センターが自主的に仮放免を許可し、4月23日までに、23人のアフガニスタン難民が全員解放されるという快挙を成し遂げました。ちなみに一昨年の統計では、東日本入国管理センターで仮放免されたのは年間にたった9人であり、この大量仮放免がいかに大きな勝利であるかは一目瞭然です。弁護団の懸命な努力、国会議員・NGO・メディア等の継続的支援、国際的批判がこのような大勝利を可能にしたのです。
現在も、アフガニスタン難民弁護団は、アフガン難民の身柄の解放に止まらず、彼らに対する退去強制令書発付処分と難民不認定処分等の取消しを求めて、裁判闘争を続けています。法改正の運動に重大な影響を与える重要な裁判ですので、全力で取り組んでいます。
5月8日、中国・シェンヤンの日本総領事館に亡命を求めて駆け込んだ北朝鮮出身者の一家5人が中国当局に拘束された事件は、日本に難民受入れについての人道的政策がないことを白日の下に曝しました。政府は現在、在外公館の警備方針の見直しや亡命希望者の処遇に関する指針の策定などの方法を検討していますが、それでは不十分です。アフガン難民の収容・難民不認定・強制退去問題も、日本政府の人道的政策の欠如及び法の欠陥・不備により起こるべくして起きた問題だったのです。
難民認定制度改正を求める世論、そしてアフガン難民全員解放の追い風を受けて、今が難民法改正のまたとないチャンスです。また、法務省自身も、今年6月法務大臣の私的諮問機関である出入国管理政策懇談会に難民問題に関する専門部会を設置し、今年中に意見をまとめることとしました。
東京及び大阪のアフガニスタン難民弁護団、難民・移住労働者問題キリスト教連絡会・移住労働者と連帯する全国ネットワーク、カトリック大阪シナピス難民委員会、RINK(すべての外国人労働者とその家族の人権を守る関西ネットワーク)などの団体は、2002年6月、難民受入れのあり方を考えるネットワーク(以下、「難民ネット」)を設立しました。難民ネットは、立法・司法・行政・世論に対し、難民法改正を働きかけます。
(1)入管法の「60日ルール」撤廃
入管法61条の2の2は、原則として入国後60日以内に難民申請を行わなくてはならないと定めています。今回も、アフガン難民たちのうち、入国後60日を経過してから難民申請をした者は、一律、この「60日ルール」を理由に門前払いされ、難民不認定とされてしまいました。
この「60日ルール」は、本来難民として庇護を受ける権利のある人を難民制度から排除し、多くの難民に難民申請をためらわせています。この条項は即時撤廃すべきです。
(2)難民調査・難民不認定に対する異議審査機関を独立機関に
アフガン難民たちは難民条約上庇護されるべき「難民」に該当するにも拘わらず、日本政府の「難民締め出し政策」により、難民不認定とされてしまいました。
入管法違反の外国人を取り締まる職員及び役所が難民認定業務も行う現状では、条約解釈及び事実認定が公正、的確に行われません。出入国管理行政に従属した現行の法務省の難民認定に関する弱体な体制を改め、難民調査官に独立した地位を与えるとともに、難民不認定処分に対する異議については、行政から独立した第三者機関を設けてこれを審理すべきです。
(3)難民不認定の理由を文書に具体的に記述し、本人に開示すべき
アフガン難民たちは難民不認定となりましたが、その理由は「証拠が不十分」としか知らされません。
難民認定のプロセスにおける透明性を確保するため、難民不認定処分に関しては、難民条約に照らして不認定となった理由を、証拠を引用して文書に具体的に記述し、本人に開示すべきです。
(4)空港や港で難民申請をした人を収容するのは不当
空港で難民申請をしたハザラ人たちはその場で身柄を拘束され、長期に渡る収容を余儀なくされました。庇護を求めたにも拘わらず、結果がでる前から長期にわたり身柄を拘束するのは不当です。
空港や港で庇護を申請した外国人がスムースかつ継続的に庇護を受けられるように、また、在留資格がない状態で難民認定申請を行った者が同時に退去強制手続の対象となることのないように、現行の「一時庇護制度」5)の制度面・運用面での改善を行うべきです。また、この制度の周知徹底と外国人への告知義務を定めるべきです。
(5)入管法違反者に対する「全件収容主義」の撤廃を
入管法39条1項は、入管法に違反する「疑うに足りる相当の理由がある」だけで、外国人を収容することができると定めています。この「全件収容主義」により、アフガン難民たちは、収容されてしまいました。
外国人の収容に関しては、期限の定めのない収容により人権諸条約や憲法に違反する疑いのある現行の「全件収容主義」を改めるべきです。刑事容疑者でも、身柄拘束は例外とされており、証拠隠滅のおそれがある場合や逃亡のおそれのある場合以外には身柄拘束は許されていないのですから、外国人の収容は例外的な場合にとどめた上、法で収容の要件と期限を定め、法定期間内に強制退去が執行できなかった場合、およびできないと予想される場合には収容を止めるべきです。
日本を人道国家と信じて庇護を求めたアフガン難民、そしてすべての難民たちに対し、人道的庇護を与え、難民条約他に定める権利の享受を実現するため、市民の力を結集すべき時ではないでしょうか。日本が人権国家・人道国家に変わるために。
1) 「難民条約」によると、難民の定義は以下のようなものです。
「自分が国籍を有する国(国籍国)の外にあり、
人種、宗教、国籍、特定の社会的集団の構成員であること、政治的意見を理由とする、
迫害を受ける十分に理由のあるおそれが存在するために、
国籍国の保護を受けることができず、または国籍国の保護を受けることを望まない者。」
いわゆる「経済難民」は俗語です。経済的困難ゆえに国外に流出する人々は厳密には「難民」に該当しません。
2) 難民条約31条2項は、「締約国は・・・難民の移動に対し、必要以外の制限を課してはなら」ないと定めています。難民の収容は、移動の制限の最たるものです。
3) 難民に対する母国への退去強制令書の発付(強制送還命令)は、難民条約違反です。難民条約33条1項は、「締約国は、難民を、いかなる方法によっても、人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であるためにその生命又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還してはならない」と定めています。ですから、ヤフヤさんの生命又は自由が脅威にさらされるアフガニスタンへの強制送還は条約違反です。
4) 東京入管は7月1日、7人をまたいったん収容したものの、同日中に仮放免しました。この収容は、東京高裁が6月の決定で収容を是認したのを受けた措置ですが、形式的に収容したものの、7人のうち4人は昨年も収容、解放、再収容を経験しており、これで3回目の収容となること、「収容中に自殺する可能性が大きい」との医師の診断書が出ていることなどを配慮し、仮放免となったようです。
7人とともに茨城県内の入管施設に一時収容されていた他のアフガン難民申請者16人は既に仮放免されており、これで全員が仮放免されました。
5) 入管法18条の2は、一時庇護のための上陸の許可を定め、「入国審査官は、船舶等に乗っている外国人から申請があった場合において、次の各号に該当すると思慮するときは、一時庇護のための上陸を許可することができる。
一 その者が難民条約第1条A(2)に規定する理由その他これに準ずる理由により、その生命、身体又は身体の自由を害されるおそれのあった領域から逃れて、本法に入った者であること」と規定しています。