国連ウオッチ
2001年12月19日、第56回国連総会において、「障害者の権利及び尊厳の促進及び保護に関する包括的かつ総合的な国際条約」と題する決議56/168が採択された。この決議は、障害者の権利条約の提案について検討する特別委員会の設置を決定するものであるため、「特別委員会の設置決議」と呼ぶこともできよう。50年以上におよぶ国連の歴史において障害者の権利条約を検討する独自の委員会が設置されるのはこれが初めてである。この決議により、ようやく国際社会は障害者の権利条約の実現に向けた歴史的な第一歩を踏み出すこととなった。
第56回国連総会において新条約の作成を提案したのはメキシコ政府であった。実のところ、このメキシコの条約提案は、国連総会の討議に参加した諸政府にとっては唐突とも言えるものであり、途上国はこの提案に好意的な姿勢を示した一方、ベルギーやアメリカ、オーストラリア、カナダ等の先進国は、「条約疲れ」や「議論の不透明」、「研究不足」、「時期尚早」等を理由として、条約作成には否定的な態度をとった。その後の動きを見ると、先進国を含むほとんどの政府は、おおむね障害者の権利条約の作成に賛同するようになったとも言われているが、その詳細はいまだ明らかでない。
これまでの国連による障害者政策の歴史を紐解くと、1987年にはイタリア政府から、1989年にはスウェーデン政府から、それぞれ障害者の権利条約に関する提案がなされていたが、いずれも条約の実現にはいたらなかった。だが、1989年の条約提案の失敗後、スウェーデン政府から「反対の多い条約ではなく政策文書の作成を」との提起がなされ、いわば妥協の産物として、1993年に「障害者の機会均等化に関する基準規則」が採択された(以下「基準規則」と略記する)。この基準規則は、障害者の人権に関する中心的な国際文書として、各国政府に大きな影響を与え、障害者の機会均等の必要性を国際社会に認識させる実質的な機能を今日まで果たしてきている。
もっとも、基準規則は、ガイドラインとしての政策文書であって、人権条約とは異なり国際法上、形式的には法的拘束力を持たないことや、人権条約(国際人権規約や人種差別撤廃条約、女性差別撤廃条約、子どもの権利条約等)に備えられているような政府報告制度等を有しないことなど、人権条約の諸機能と比べると見劣りがするため、各種の障害者団体は「やはり障害者の権利条約の実現を」という声を強く上げ始めた。
とりわけ1990年代後半からの、障害者の権利条約の実現に向けた障害者団体の取組みには目覚しいものがあった。例えば、国際リハビリテーション協会(RI)の「2000年代憲章」(1999年9月、ロンドン)や「世界障害NGOサミット」の「新世紀における障害者の権利に関する北京宣言」(2000年3月、北京)、障害者インターナショナル(DPI)の「障害者の権利に関する国際条約への取り組みについての声明」(2001年4月、イギリス)などは、いずれも障害者の権利条約の制定を強く求める内容であった。また、1999年に結成された国際障害同盟(IDA:この同盟は、DPI、RI、世界盲人連合(WBU)、世界ろう連盟(WFD)、世界盲ろう連合(WFDB)、世界精神医療ユーザー・サバイバー・ネットワーク(WNUSP)及び国際育成会連盟(II))から構成される)は、障害者の権利条約の成立に向けて数々の活動を繰り広げてきている。
これら各種の障害者団体の地道な活動が有形無形の影響を各国政府に及ぼしていたことや、基準規則の内容が広く国際社会に受け入れられ始めたことなどが、このたびの国連総会決議56/168が採択された背景として考えられる。この決議の源である条約提案をメキシコ政府が第56回国連総会の場で行ったのも、メキシコ政府への障害者(団体)の直接的な働きかけがあったからと言われている。
国連総会決議56/168によれば、特別委員会は、第57回国連総会が開催される前までに、10日間の作業をおこなう会合を少なくとも1回開催する。この特別委員会で行なわれる「障害者の権利条約の提案についての検討」が、どこまで踏み込んだものとなるかは、現時点では不明であるが、少なくとも特別委員会は、社会開発委員会の勧告、国連人権委員会の勧告、障害者の国際人権保障に関する報告書、各種の地域会議の成果等を考慮して、障害者の権利条約の提案について検討することになる。
この国連総会決議を受けて、社会開発委員会第40会期(2002年2月)においては、障害関連の決議案が二つ採択された。一つは「障害者の権利及び尊厳の促進及び保護に関する包括的かつ総合的な国際条約」と題する決議案であり、もう一つは「障害者による障害者のための障害者と共同した機会均等化の更なる促進と、障害者の人権の更なる保護」と題する決議案である。また、国連人権委員会第58会期(2002年3~4月)においては、障害者の国際人権保障に関するデグナー・クイン報告書(UNHCHR)が提出されるとともに、「障害者の人権」と題する決議2002/61が採択された。
これらの決議や報告書等を踏まえて、2002年7~8月に特別委員会は障害者の権利条約の提案について検討し、その進捗状況報告書が国連事務総長により第57回国連総会(2002年9~12月)に提出される。
では、「国際障害(者)法(International Disability Law)」の中軸となることが今後期待される障害者の権利条約の作成は、国連の障害者政策全体において、どのように位置づけられるのだろうか。現時点では、この点についての明確な姿勢を国連に見ることはできないが、少なくとも障害特別報告者ベンクト・リンクビストによる次の指摘は、障害者団体や諸国家の支持を集めつつある。すなわち、(1)現行の国連人権活動の強化、(2)基準規則の補足・実施、(3)障害者の権利条約の作成は平行して進められるべきであり、人権保障と社会開発の両面(国連人権委員会と社会開発委員会との協力・調整を含む)から、国連は障害者問題に取り組まなければならないという指摘である。
この指摘は、マルチ・トラック・アプローチ(Multi-Track Approach)と呼ばれ、障害者の国際人権保障を現実的かつ包括的に押し進めるためには、障害者の権利条約の作成のみならず、社会開発との関係も踏まえて既存の国際人権文書や基準規則を積極的に活用しなければならないことを意味する。リンクビスト障害特別報告者は、社会開発委員会第40会期に提出した「基準規則の実施の監視に関する2000~2002年の第3期報告書」(E/CN.5/2002/4)の中でもこれと同様の見解を示している。また、先述の社会開発委員会や国連人権委員会の決議などにおいても、こうした方向性は見られる。
メキシコで開催された専門家会合(2002年6月11~14日)では、メキシコ政府が準備した障害者の権利条約草案などに基づいて、障害者の権利条約についての討議が行われた。そこでは、障害者やその団体等からメキシコ条約草案の条文等に対して多数の批判や意見が提起されるなど、障害者の権利条約の具体的な内容にまで踏み込んだ議論がなされた(メキシコ条約草案の翻訳は拙訳「障害者の権利条約(メキシコ草案)」『日本も必要!差別禁止法--なぜ?どんな?』(解放出版社、2002年7月15日刊行予定)参照)。
こうした実質的な条約論議が進められている今日、障害者の権利条約を真に意味のあるものとして実現させるためには、障害当事者を中心とした草の根の活動が決定的に重要であり、国際レベルはもとより地域レベル(アジア太平洋、アフリカ、欧州、米州等)や国内・地方レベルにおいても積極的な活動を推進していくことが求められる。このような観点から、今年10月に日本で開催される三大会議(「アジア太平洋障害者の10年」推進キャンペーン大阪会議、第12回RIアジア太平洋地域会議、第6回DPI世界会議札幌大会)は、障害者の権利条約の実現に向けて大きな機会を提供するものと期待されている。
最後に補足として、障害者の権利条約に関する情報を掲載しているホームページについて簡単に記しておきたい。まず、上述の国連決議その他の国際文書の邦訳は、「全日本ろうあ連盟」( http://www.jfd.or.jp/ )や「人権フォーラム21」( http://www.mars.sphere.ne.jp/jhrf21/ )、「arsvi.com/」( http://www.arsvi.com/ )等のHPに掲載されている。
また、障害者の権利条約に関する最新の情報交換の場として、日本版メーリングリストが2001年12月に開設された(kenri MLの登録方法は、 http://www.arsvi.com/0ds/r-un.htm 参照)。最近では、外国版のメーリングリストも開設された(conventionondisability MLの登録方法は、 http://groups.yahoo.com/group/conventionondisability/ 参照)。
さらに、メキシコ専門家会合のHP( http://www.sre.gob.mx/discapacidad/home.htm )には、メキシコ条約草案やデグナー・クイン報告書など、障害者の権利条約に関する各種の資料が多数掲載されている。
このほかに、日本の動向については、第6回DPI世界会議札幌大会のHP( http://www.dpi-sapporo.org/ )や「アジア太平洋障害者の10年」最終年記念フォーラムのHP( http://www.normanet.ne.jp/~forum/ )などを参照されたい。