国連ウオッチ
カースト差別や部落差別などのいわゆる「身分差別」の撤廃に向けた新しい「国際的な人権基準」が誕生した。人種差別撤廃条約の実施状況を監督する国連・人種差別撤廃委員会(以下、「委員会」)が02年8月21日にジュネーブで採択した、「門地にもとづく差別に関する一般的勧告29」(CERD/C/61/Misc.29/rev.1)(以下、「一般的勧告」)がそれである。この文書によって、世界各地で差別に苦しむ約2億6千万人の人びとに「光」があたり、差別撤廃に向けた大きな一歩となることを期待したい。
人種差別撤廃条約はその第1条において、「人種差別」の定義の根拠として「人種」、「皮膚の色」、「民族的もしくは種族的出身」、「門地(英文は"descent"、日本政府の公定訳は「世系」)」の4つを掲げている。今回採択された一般的勧告は、そのうちの「門地」にもとづく差別について、条約が締約国に求めている具体的な措置を、差別の実態にもとづき示している。一般的勧告は、条約の解釈や適用における国際的な指針である。国連の条約機関が、この問題を包括的にとりあげる文書を採択したのは今回がはじめてのことだ。
一般的勧告は、門地にもとづく差別を「カーストおよび類似の先祖から引き継がれた地位の制度のような、社会階層の形態にもとづいた集団の構成員に対する差別を含む」と「強く再確認」したうえで、それが人種差別撤廃条約に違反するとして「強く非難」し、締約国がとるべき措置として8分野48項目の勧告を提示している。8分野とは、「一般的措置」、「門地にもとづく集団の中の女性に対する複合差別」、「隔離」、「マスコミやインターネットを使用した流布を含む差別表現」、「司法運営」、「市民的および政治的権利」、「経済的および社会的権利」、「教育を受ける権利」。
勧告の第1項目は、「カーストおよび類似の先祖から引き継がれた地位の制度」が認識される要因として、1)代々受け継いでいる地位を変えられない、もしくはそれが制限されること、2)集団の外との結婚に社会的な制限があること、3)居住や教育、公共および信仰の場所、食料や飲料のための公共資源へのアクセスなどにおける隔離、分離、区別がある、4)代々受け継いでいる職業や、賎業視される仕事や危険な仕事をやめることが自由でないこと、5)債務奴隷状態に置かれること、6)不浄もしくは不可触であるといった非人道的な取り扱いに従わなくてはいけないこと、7)一般的に人間としての尊厳や平等に対する敬意、考慮が払われていないこと、を列記しており、締約国がとるべき措置の対象となる差別の形態を明らかしている。この部分からも分かるように、文書は「部落差別」という文言を用いていないものの、それを強く意識している。部落差別との関連では、定期的な実態調査の実施や、就職に関連する身元調査やインターネット上の差別表現に対する措置など、日本の部落解放運動が要求してきた項目の多くも明記されている。
今回の一般的勧告は、委員会が採択した第29番目のもの。8月8日から9日にかけて委員会が開催した「門地にもとづく差別に関するテーマ別協議」(以下、「テーマ別協議」)において、その起草が正式に決定された。
委員会による今回の歴史的な意思決定の背景には、日本の部落解放運動やインドのダリット(カースト制度下の「不可蝕民」)解放運動などによる長年のはたらきかけと、国際社会による意思決定の積み重ねがあった。
委員会は1996年にインド政府による条約の実施状況について審査した際を最初に、以後、ネパール、バングラデシュ、日本、セネガルの審査の際に、この問題についての見解を示してきた。今回のテーマ別協議は、これらの蓄積にもとづき、「門地」という文言についてより詳細に検討するために開催されたものだ。
一方で国連人権小委員会も2000年に、「職業と門地にもとづく差別」を世界的な問題としてはじめてとりあげ、その実態の研究を決定した。付記しておくと、国連人権小委員会は2002年8月14日に、3度目となる「職業と門地にもとづく差別に関する決定」を採択し、同研究の継続を決めている。
さらに、昨年の反人種主義・差別撤廃世界会議では、「職業と門地にもとづく差別」に関する文言が、会議が採択する宣言・行動計画に明記されるか否かが争点になった。インド政府の抵抗などの結果それは実現しなかったが、同差別を世界的課題として扱う潮流は確固たるものになった。
上記の過程にNGOは大きな役割を果たした。委員会による1996年のイド政府報告書審査をきっかけに、インドの「全国ダリット人権キャンペーン」に日本の部落解放同盟やIMADRをはじめ国際NGOなどが加わり、1999年に「国際ダリット連帯ネットワーク」が結成された。以後、国際的な共通戦略にもとづき、国連会合や国際機関へのはたらきかけが行われてきた。IMADRもその運営メンバーとして一翼を担ってきた。
一般的勧告を導き出したテーマ別協議では、インドやネパールをはじめ各国のNGOや被差別の当事者など23名が口頭発言を行い、世界的な差別の実態を明らかにした。日本からは組坂繁之・部落解放同盟中央本部中央執行委員長が部落差別の実態を報告した。
インドやネパールからの参加者は、カースト差別撤廃のための法律はあるが、その執行が皆無に等しいこと、ダリットが日常的に、集団的なレイプや殺人、拷問、略奪、動物や人間の排泄物を食べさせられるなどの非人道的な行為を受けていること、ダリットの女性が身体的、経済的に搾取されている複合差別の実態があることなどを訴えた。
また、セネガルやナイジェリア、ソマリア、ニジェール、ケニアのNGOがアフリカ地域各国に存在するカースト差別の実態を証言し、大きな注目を集めた。国連主催の会合でこのような証言がなされたのは今回がはじめてのことである。「アフリカ地域に残るアパルトヘイト」、「現代の奴隷制度」といった言葉でカースト差別を描写する彼・彼女らは、それは社会全体から「文化」の一部として受け容れられており、対外的に実態を語ることは「タブー」視されていると語った。
インド政府からは、カースト差別を委員会が扱うべきではないとする従来からの主張を強調する発言があった。ネパール政府も国内で十分な施策をとっており、撤廃には相当の年月を要すると主張した。日本政府代表の参加はなかった。
委員会の各委員も意見交換を行った。委員間の議論の焦点は、カースト差別(および類似の形態の差別)に焦点をあてるべきか、それともアジア系やアフリカ系の人びとに対する差別も協議の対象としてより積極的に扱うべきかということであった。
テーマ別協議に臨んだNGOの基本的立場は、アジア系やアフリカ系の人びとに対する差別も(一般的勧告の)視野に入れるが、それについては条約が「人種差別」の定義の根拠としている他の文言によってカバーされ得るので、むしろ「門地」という文言によってのみ条約の対象に加わってくる差別 ――カースト差別や部落差別など――に焦点をあてるべきというものであった。採択された一般的勧告にはその主張が反映されている。
他のあらゆる国際人権文書と同様、今回の一般的勧告についても、その内容が周知されそれぞれの現場で実施する(させる)ための取り組みがなければ、それは一片の紙片に過ぎない。それを実現するための、地方自治体を含む行政府、立法府、司法府、NGO、マスメディアそれぞれの行動が不可欠である。差別の被害者が声を持ち、権利を知り、差別に立ち向かっていく原動力を、国連での動きを活用してどのようにつくっていくことができるか、それぞれが考えなければならない。
*一般的勧告の全文(英語・日本語)や、その他の関連情報については、反差別国際運動(IMADR)のウェブサイトに掲載(http://www.imadr.org)。