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国際人権ひろば No.45(2002年09月発行号)

現代国際人権考

フィリピンで考えたこと

初瀬 龍平 (はつせ りゅうへい)
京都女子大学教授・ヒューライツ大阪企画運営委員

人権問題という難解なジグゾー・パズル

 今年の7月30日(火)~8月4日(日)に、ヒューライツ大阪の人権教育スタディ・ツアーに参加して、フィリピンに行ってみた。これは、私にとって初めてのフィリピン訪問である。ツアーの日程は、スタディ(勉強)でびっしりと詰まっていた。観光といえるのは、滞在4日目の夕刻30分間ほど普通の市場を一周したことと、最終日の午前3時間、サンチアゴ要塞とアグスティン教会を見学したことだけである。でも、教会では、偶然に結婚式を見物することができた。各訪問先の間は、JTB(ジェイティービー)の貸切バスで走り回ったが、この時間は、バスの窓からであるが、メトロマニラの市中観光となっていた。

 4日間の滞在で訪問したのが、(1)フィリピン政府の人権委員会、教育省人権教育担当部局、教育省推薦のモデル学校、(2) NGOのコミュニティ・オーガナイザー支援組織、オルタナティブ法律支援センター、(3)PO注1の全国農民組合連盟、バランガイ注2・サンルイス小農連盟(アンティポロ市丘陵地帯)、パヤタス地区(スモーキー・ヴァレー)のデイ・ケアー・センター(幼児学習・児童補習)、タギグ住民堤防建設反対連合・住民各セクター代表である。

 各訪問先では、丁寧な説明と熱心な質疑応答が繰り返された。フィールド訪問では、丘陵地帯で、すべる山道をやっとこさ歩いて、斜面の農地を見せていただいた。パヤタスではバランガイ内の施設に加えて、ゴミ廃棄場の丘陵を案内していただいた。タギクでは、日本のODA(政府開発援助)で建設されようとしている問題の洪水対策用堤防のポンプ場建設現場に、ボートで裏口から案内していただいた。それぞれの組織が、それぞれの立場で人権問題を真剣に考えておられるのが、よく分かった。とくに現場では、人々にとっての日常的生死の問題が、人権問題である。

 上記(1)~(3)は、性格の違う組織である。その相互関連をみると、 (1)と(2)の共通点は、高等教育を受けた法律家、あるいは知識人という点である。(2)と(3)の間には、(2)が(3)を、法律相談員(paralegal)の育成などを通じて支援している関係にある。しかし、(1)と(3)の間には、直接的関係はなさそうである。この3者は、フィリピンの人権問題という大きなジグゾー・パズルで、どのようなピースを形成しているのか。このパズルの枠組には、フィリピンの社会経済構造と法文化が、どのようにかかわっているのか。このような問題をフィリピン滞在中考えていたが、にわか勉強で分かるような問題ではない。

ひとつの国の中の二つの顔

 移動中のバスの窓からも、貧富の巨大な格差と、歴然とした社会的断層は見えていた。一部には、入り口を武装ガードで固めた高級住宅街があり、プール付きの最高級住宅がある。NGOとPOの事務所も、高級住宅街の一角にあった。バスから降りてみると、この住宅街には、プールはないにせよ、瀟洒な家が並んでいた。それは、丘陵地帯の貧農や、パヤタス地域の都市貧民の小さな家とは、まったくの別の世界である。パヤタスでは、向うの丘陵からゴミの異臭が匂っていた。たくさんの子どもが道端で遊んでおり、やせた犬が歩き回っていた。

 この国には、2つの国があるかのように思えた。貧しい人々は貧しい故に、もっと貧しくされる。豊かな人々は豊かである故に、もっと豊かになれる。そのように、社会の仕組みが出来上がっているのであろう。

 今回のツアーでみる限りでも、パヤタスのゴミ廃棄場で、ゴミ袋を一つひとつ破って分別回収する人たちがいる。そこで得られた再利用可能なゴミを買う仲買業者が、近くに控えている。そして最終的には、再利用品に仕上げる工場の所有者がいるのであろう。あるいは、帰国時にマニラ空港で、香港行きのジャンボ飛行機の搭乗口に、若い女性が大勢並んでいるのを見たが、海外への出稼ぎは、政府によって、奨励され、人権委員会も彼(女)らの人権問題について配慮を示している。彼(女)らが海外から帰国すると、マニラ空港の近くに、買い物のできる国内免税店もある。しかし、そこで使われた外貨は、政府の外貨収入となる。巧みな仕掛けである。

 フィリピンの社会経済構造は、かなりラテンアメリカに似ているのではないか。その歪みには、スペインによる植民地支配、アメリカによる植民地支配と、その後も続くアメリカの文化的影響が積み重なっている。銀行、ホテル、ショッピングセンターでは、武装ガードが入り口を守っており、銃器が市中に出回っていることでも、フィリピンの場合、アメリカ社会の姿がそこに重なって見えてくる。一方で銃器が出回り、他方で人権を謳うのは、アメリカのやり方である。フィリピン政府は人権委員会を設置する。この積極的意義は大きいのだが、同時にその背景には、アメリカ的な法文化があるように見えてくる。

NGOやPOの挑戦

 フィリピンの場合、人権教育の前提として、すべての人が国民として平等であることを確認することが、まず大切なのであろう。1つの国のなかに、いわば別々の国の人々が住んでいるような状況を打破していかねばならない。政治家は、自国民に責任を持つようになることが、必要である。このような意味で、人権教育の場で、愛国心、ナショナリズムが強調されるのであろう。

 小農や都市貧民は、日々の生活の糧を確実にするための手段として、人権保障の個別的実現を求める。知識人、法律家は、国民国家(責任ある政府)を形成する手段として、人権保障制度の確立を求める。NGOとPOは、人権保障制度を個別の人権実現へと移し変えることで、小農と都市貧民を助けている。このような試みが、フィリピンの貧富格差と社会的断層の巨大な構造にアリの穴をいくつも穿っているように思えた。フィリピンのような社会では、人権の保障は至難であるが、それだけに人権の保障が大切である。このことを確認したのが、今回のツアーと、にわか勉強の成果である。

(注1) PO(people's organization)とは、農民組合や労働組合、住民組織など当事者が参加し活動する民衆組織のこと。

(注2) バランガイとは、市や町の下にある行政の最小単位(コミュニティ/集落)のこと。