Human Interview
プロフィール:
韓国ソウル市の出身。在日3世のコリアンとソウルで出会い、結婚を機に来日する。
現在、小学生の子どもが二人。子育て・仕事に加えて、韓国から来た人たちに日本語を教えるボランティア活動にも奮闘中。2002年4月より、FM CO・CO・LO「関西スコープ」(月・火13:00~15:00)のハングル担当。
インタビュー・構成:朴 君愛(ヒューライツ大阪主任研究員)
パク: FM CO・CO・LOにずっと関わってきたのですか?
カン: まだ半年です。でも新米のわりにはすっかり馴染んで態度もでかいです(笑)。実は韓国で、高校から大学までの7年間放送部に所属していました。梨花(イファ)女子大学での2年間はKBS(Korea Broadcasting System)放送局のラジオ番組で学生レポーターをやっていました。「現在、大学生が会ってみたい社会人や大学生にインタビューする」という番組ですが、誰に会うかは私が企画するのです。振り返ってみると、社会で活躍しているいろんな人たちに出会う貴重な体験でしたね。
パク: 今の仕事は、学生時代の経験を生かせるぴったりの内容ですね。卒業後もマスメディア関係への就職を希望したでしょう。
カン: 放送局に就職したかったのですが、父の考え方が保守的で、女性の私が放送局や芸能界で働くことを反対しました。大学の専攻は幼児教育だったのですが、同じ時期に大学の先生が、附属幼稚園から内定を頂いていることを教えてくださいました。当時の私は社会経験も少なく、親と先生の言うことをきいたほうがいいと思ったんです。もちろん自分の大学の付属幼稚園に内定を頂いたのは光栄だとも思いました。そして2年間、幼稚園の先生として働きました。
パク: そして今のパートナーと出会ったことが、大阪に来るきっかけになったわけですね。結婚はすんなりと行きました?
カン: 彼とは幼稚園で働いていた時期に出会いました。結婚となると本当に波乱万丈の日々でした(笑)。そして彼の就職の問題もあってあわただしく関西に来ることになったのです。
パク: 日本についてはどういう印象を持っていましたか?
カン: 中学時代はまだ日本文化の輸入が禁止されていましたが、日本の漫画が海賊版でいっぱい入ってきて夢中で読みました。「ベル・バラ」「キャンディキャンディ」「エースをねらえ」もみんな知ってます。日本の文化はきらいじゃなかったですね。
パク: 私と同じものを読んでいる(笑)。日本語はある程度できたのですか?
カン: 全然だめでした。ひらがなもカタカナもわからない。日本に留学する予定もなかったから、「昨日はソウルで今日は大阪」という感じでしたね(笑)。彼は中学3年生からソウルで生活していたので、韓国語でコミュニケーションしていました。
パク: カンさんのような立場の韓国人は結構いるかもしれませんね。自分は来日する計画がなかったのに、留学生の妻や海外転勤の商社の人と結婚して、いきなり日本で生活するとか。
カン: ええ、その大方が女性ですね。でも日本社会ではそういう人は見えてこない。言葉ができないから家から出ない人もいます。留学生の場合は日本語ができる人が多いし、大学という接点があるからそこで自分の問題をアピールできる。しんどい思いをしている女性たちの実状を、日本の政府や外国人サポート機関もわかっていないのではないかと思うことがあります。
もう一つ大事な問題があります。留学生やビジネスマンは、社会的地位が認められていて、仕事なり研究なり活躍する場がある。でもいわゆる「奥さん」はそういったものが何もないのです。夫も自分が慣れることで精一杯になり妻をほったらかしにするケースが多い。
パク: カンさんも少なからずそういう思いをしたのですか?
カン: 私自身の体験としてもちろん重なります。私は来日してすぐに日本語学校に行くチャンスがあったのでラッキーでした。意外と早く日本社会に溶け込むことができたのです。
パク: 同じコリアンといっても、大阪に住むコリアンとソウルではカルチャーギャップがあるでしょう?
カン: もちろんありましたよ。韓国のことを全く知らない日本人とは「違う」ですむのですが、在日コリアンの場合、大事にしてきた独自の文化や価値観があるので、私のように韓国から来た人間とはお互いに「これが韓国だ」と譲らないことがあります。
パク: その気持ちわかる気がする(笑)。具体的にはどういう時ですか?
カン: 例えば法事や結婚がそうですね。彼の友だちや親戚の結婚式は、ソウルではもうやっていないような昔のやり方が残っていました。彼の家の故郷は慶尚道(キョンサンド)なので私の実家とはまた違いますし。
カン: はじめは留学生の妻になった気分だったのですが、住んでみて「在日3世の人と結婚したんだなあ」とわかってきました。
パク: 料理なども違いましたか?
カン: 私は韓国料理も日本料理もそう得意ではないのです。「食卓はどちらの料理がメインですか」とよく尋ねられるのですが、「インド料理です」って答えます。カレーのことです(笑)。
パク: 小学生の男の子が二人いると忙しいですね。
カン: すぐに食べ物がなくなってしまいます。子どもたちは小学校に本名で通っています。ほとんど日本人しかいない地域なので、夫の両親は、初めは日本的な通称名を使うほうがいいのではと心配しました。でも私たち夫婦は韓国人であることが当たり前だし、隠さないでがんばろうと考えたのです。いろいろありましたが、周りが暖かく支えてくれています。
パク: 私も本名で生活している在日3世なので、このことで話したいことは山ほどあるのですが、長くなるので別の機会に取っておきますね。日本にきてから、ソウルでは想像しなかった体験があったかと思います。1995年1月の阪神・淡路大震災に遭ったことがまた人生観が変わる大きな転機になったそうですね。
カン: あの時は、兵庫県宝塚市内のマンションに住んでいました。韓国では地震というものを知らなかったです。ここは生きるか死ぬかの国なんだと思いました。精神的に不安定になり、子どもが小さかったので一時は24時間つきっきりで家にこもっていました。
パク: 被害がひどかった地域ですよね。
カン: すべての家具が倒れました。50キロのテレビが動き、台所の電子レンジが居間に飛んでました。寝ている部屋に何も置いていなかったのとマンションが新しかったのが幸いでした。次の日から体育館で過ごしました。
それからは、悔いが残らないように生きようとあらためて思うようになりました。未来はわからないから、今このときを大事にしたいということです。私はクリスチャンだからそう思うのかもしれませんが、神様のはたらきがあると思ったのです。ボランティアの活動やFM CO・CO・LOもすごい計画をたてて実現したのではなく、その場でチャンスが与えられたので、悔いが残らないようにやってみようとしたのです。それがとても充実したものになっています。
パク: 日本語を教えるボランティア活動もしていますね。
カン: 韓国から来た女性たちに教えています。これも計画を練って始めたわけではなく、行き当たりばったりです(笑)。裕福ではなかったり、旧い意識が残っているところでは「お嫁さん」は日本語をきちんと学ぶ機会がありません。そこからくるストレスやコンプレックスは大変なものがあります。自分が使った日本語の教材があるからと簡単な気持ちではじめたのですが、やってみると周りの反応もいろいろ出てきました。途中でやめようと悩んだのですが、知人が「桃栗3年柿は8年」という日本のことわざで励ましてくれました。
パク: 現在、大阪大学の大学院で日本語教育を学ぶ研究生でもありますよね。
カン: 日本語がネイティヴではないので、日本語を教えれば教えるほど壁にぶつかりました。今やっているボランティア活動をもっとしっかりとやりたいという気持ちで研究生をしています。
パク: FM CO・CO・LOの仕事をしてよかったと思うのはどういう時ですか。
カン: 仕事のときは、子どもたちは家で留守番をしているのですが、私の働いている姿が見えるのが嬉しいです。一緒にラジオの番組を聞くこともありますが、「おかあさん、この日本語の発音おかしいよ」とか言うのですよ。日程の関係で学校の行事に行けないときもあるのですが、子どもたちに感謝しています。
でも何よりも嬉しいのは番組を通じて、日本の皆さんに韓国の文化や情報をダイレクトに伝えることができるということです。日本と韓国の豊かな関係作りに役立つと思うとすてきですね。
FM CO・CO・LO(76.5MHz http://www.cocolo.co.jp) |
1995年10月に大阪で開局された日本で初めての多言語(15言語)によるFMラジオ局。生活情報などを届ける国別番組(1週間に1回2時間)や語学講座などの番組が、毎日朝6時から翌朝2時まで放送されている。国別番組の制作には、プログラム・スタッフと呼ばれる外国人スタッフが、日本人スタッフと共同で内容構成や収録、DJなどマルチな役割を担っている。 |