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国際人権ひろば No.47(2003年01月発行号)
Human Interview
インド人というよりも、ひとりの人間として、自分を試したい
サニー・フランシスさん (Sunny Francis) FM CO・CO・LO パーソナリティー
プロフィール:
インド・グジュラート州出身。来日17年。ラジオ・テレビのパーソナリティー、映画評論など幅広い分野で活躍中。FM CO・CO・LOでは金曜午後11時から翌朝1時の生放送「SUNNY DONBURI」を担当(76.5MHz http://www.cocolo.co.jp)。TBSテレビ「ここがヘンだよ!日本人」にも出演して話題を呼ぶ。
インタビュー・構成:川本和弘(ヒューライツ大阪研究員)
川本:来日して17年。振り返ればやはり長かったですか。
サニー:電話の挨拶でも頭さげてる日本人をかつては笑ってたけど、今自分もそれをやっている。4、5年前まではいつかインドへ帰るかもと思ってたけど、今はここで生きていこうという気持ちになってますね。
外国人にとってはビザ(在留資格)と保証人の問題は避けて通れないと思うんです。最初は半年ごとのビザ更新がすごくうっとうしく感じる。それが3年ぐらいになると「忘れたころにやってくる」という感じになって、そのうち、長年税金納めてきたから意地でも永住ビザをとってやろうという気になりました。永住ビザがおりた時、もうインドに帰ることはないやろなとはじめて思いましたね。
川本:今はご堪能ですが、言葉の困難さはなかったですか。
サニー:英語を武器にインドを飛び出そうと思ってたけど、やって来た国が英語を使わない国やった。ここに長くいるんやったらちゃんと勉強しょうということで日本語学校へ行きました。でも一番勉強になったのはアルバイトやったと思いますね。ウエイターとかしてお客さんと話したり。生の言葉ですよね。
来日して半年ぐらいで、ラジオに出る話がありました。予算のない関西の局のよく使う手が、「素人・動物・外国人」。それで、学校に問い合わせがきて、先生に「フランシス、お前行け」って言われて出たんです。すると、4分間ぐらいしゃべっただけで一万円。こういうおいしい仕事もあんねんなと。この世界で自分の力を試したいと思ったきっかけでした。
川本:FM CO・CO・LOの番組は開局時から担当されたんですか。
サニー:すでに同じフィールドにいましたから、開局前に声がかかって、デモテープを送ったらすぐ選ばれましたね。たぶん最初に選ばれた一人とちゃうかな。開局のバックグランドがすばらしかったですよね。これから外国人が多くなるし、ラジオから情報がいろんな言語で聞こえてきたらうれしいやろなと。それと、インドの番組を担当するにあたって、長年関西に住んでるインド人がいるにもかかわらず、10年そこそこの自分にチャンスが来る。そんな自分の運の強さを生かしたいなという思いもありましたね。
川本:TBSテレビの「ここがヘンだよ!日本人」に出演して注目されたのも強運だったのでは。
サニー:あの番組は、出るだけでは十分ではなくて、100人の外国人のなかでどれだけ自分のイメージを出せるかが大事でしたね。自分の発言が実際の放送にどれだけ残るか。高校時代の試験を思い出すほど難しかったですね。
川本:FM CO・CO・LOで担当した番組は、これまで4つぐらい変遷してきたそうですね。
サニー:2001年からは「SUNNY DONBURI」という番組をやってますが、この番組はインド人というのを切り離して、一人の人間として自分がやりたかった「普通のトーク番組」なんです。だから、話のネタや音楽はインドにこだわっていません。それと、名刺にも書いてますが、DJではなく、パーソナリティーです。しゃべりが中心で、たまに咳き込むから音楽かけてるんやと。インド人である前に人間がおもろいとか、インド人であることがたまたまわかる、そんな風になればうれしいですね。
川本:FM CO・CO・LOの仕事はボランティアとしてやっているんですか。
サニー:有給です。僕はそれ以外にもいろんな仕事をしてますけど、最近特におもしろいと思うのが、小中学校に呼ばれることですね。話をしたりカレーを作ったり。これはものすごく楽しい。日本の子どもは小中学校までは汚れていないというのが僕の感想です。
川本:でも、日本の教育は問題が多いというのが一般的な意見ですが。
サニー:僕が出会う子どもたちの表情や反応からそう思うということで、客観的な話となればまた別です。髪の毛染めている子見たら、心の中で「しばかなあかん」と思いつつも、ある程度許さなあかん時代になっているのかなという、悲しい思いがしてます。小学生の女の子がブランドもんの服なんか着てるのなんか、自分の子どもの頃にはありえなかったですけどね。
川本:そうですね。高度経済成長時代の世代である自分も同感です。
サニー:でもきつい言い方かもしれませんけど、僕はそういう風に言う40代、50代がだめだと思いますね。昔と違うというなら、あとの世代にそうさせないようにすればいい。戦争を体験した人の考え方やしゃべることはりっぱやなと思っても、その後の世代がだめやと感じることが僕には多いですけどね。
川本:国際理解・国際交流の中に、生活に関わっているはずの人権の要素を入れたらといつも思うのですが。
サニー:日本で「人権」はセンシティブな言葉ですよね。国際化といえども島国であるかぎり無理、という外国人も自分のまわりに多いです。この国ではどうやらアジアの人の扱いがちがう。入国管理局なんかにいくとビザなしで捕まった人が列つくってるけど、アジアの人が多い。職員も偏見無しでちゃんとやってくれてるんかなと。
僕もアルバイトしてるとき、若い日本人に「パスポート持ってるんか」って聞かれることがあったけど、「お前、パスポートのことどんだけ知ってんねん」って聞き返すんです。ほかにもマンション探すときとかタクシー乗るときにも警戒されたりする。そこで「何でやねん」と言い返せなかったらここ(胸)に残るんです。傷になって。本当はその場で処理するほうがいいんです。
外国人にメッセージっていったらえらそうに聞こえるけど、この国に住むんやったら日本語はマスターしたほうがいいと言いたいですね。それを武器や盾にして強く生きた方がいいと。僕の周りのミュージシャンなんか、「へたな日本語のほうが好かれる」とかいってるけど、「そんなんいつまで続くねん」っていってるんです。僕はそういう嘘の人生はいややと。
川本:カースト差別について聞かれることはありませんか。
サニー:講演なんかでは100%聞かれますね。聞く相手をよく見て答えてます。
インドでは差別を処罰する制度とか、被差別カーストの人々に対する特別措置があったり、差別に反対する人々もいるけど、それでも差別はありますね。一つ思うのは、例えばトイレ掃除。日本に来たら高いカーストの人でも自分の家のトイレは自分で掃除しているはず。それなら何で同じ事が自分の国でできないのかって思いますね。
でも自分もインドにいたら同じ事をやってると思う。だから自分の国を外から見ることができるというのも外国に住んでいていいところです。ものの見方が広くなりますね。なんでこんな制度があるんかなと思いますよ。先ほど戦争を知らない日本の世代がだめだと言ったように、これも親の教育にかかっていると思いますね。親が変わらないと子どもは同じことをしますよ。
川本:今後の夢や抱負を聞かせてください。
サニー:僕は貧しい家に生まれたけど、子どもに教育を与えてくれた父親には感心しています。同じ事を自分はできるかなって。それは決して忘れたくない。自分はどっから来て、どのステージを越えて、今どのステージにいるのか、自分が苦しんだ時代のことを常に忘れずにいたいですね。
それで、弱い花火はこれまで打ってきたと思うけど、大きな花を咲かせてみたい。インド人としてではなく、人間として「こいつはできる」ということで。
先日ある映画監督と出会って、「リアリズムの宿」というメジャーデビュー作に出演してほしいという声がかかりました。それから、神戸のサンテレビでは外国人の経営する店を取材して回るレギュラー番組をもってますけど、行く先々で大歓迎してくれます。そんな人たちが思ってくれてるぐらいの大きな人間になりたいですね。自分という人間が日本の芸能社会に「普通に」とけ込めるスペースがあるかどうか。チャンスを待ってます。まずは関西からと思ってます。