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国際人権ひろば No.47(2003年01月発行号)

国際化と人権

アジア発展途上国での国際労働基準と日本


香川 孝三 (かがわ こうぞう) 神戸大学大学院国際協力研究科教授

日本企業の海外進出と労働基準


 日本がアジア発展途上国の労働基準とかかわる典型的事例は、日本企業がアジア発展途上国に進出して現地の労働者を雇用する場合である。進出する場合、日本側が100%全額出資する時や現地の資本と合弁で会社を設立する時がある。
 いずれの場合にも、現地の会社の人事労務問題は現地の人に任せる場合がほとんどである。人事労務問題はその国・地域の事情をよく知っている者に任すのがいいという判断があるからである。だからと言って日本側は人事労務問題に責任がないとは言えない。
 進出先の企業がうまくいくかどうかは、そこで働く人の労働力の質が大きくかかわる。したがって、日本側から出向や派遣される者はそのことに深い関心を寄せているであろう。
 より良い労働力を確保するためには、現地の労働諸法規を守ることは当然の前提である。ところが、ここに大きな問題が生まれてきている。

ILOの中核的労働基準についての宣言


 1997年の国際労働機関(ILO)総会において中核的労働基準についての宣言が採択された。これは国際貿易と労働基準をかかわらせる社会条項問題を解決する方法の1つとして採用された。
 中核的労働基準とは児童労働の禁止、強制労働の廃止、結社の自由の尊重、差別の禁止の4分野にかかわる8つのILO条約(注)を指している。4分野に限定したのは先進国と発展途上国との妥協の産物である。これ以外にも重要な労働基準は存在する。最低労働賃金の遵守、労働安全衛生基準の遵守も重要な基準であるが、合意に至らなかった。
 この宣言が意味をもつのは、4分野にかかわる8つのILO条約を批准していなくても、各国でそれを遵守することに合意をし、遵守していない場合であっても制裁を科さず、ILOが技術協力を提供することによって遵守できるように努力する義務が科されたことである。ソフトな手段で中核的労働基準を各国が守ることを促進しようとしている。
 ILOに加盟しているアジア発展途上国すべてがこの宣言に賛成したわけではないが、宣言として採択された以上、それを無視することはできない。この宣言にしたがって企業側に努力義務が発生する。
 ILOは他の国際機関と違い、各国の政府代表2名、労働者代表1名、使用者代表1名が投票権を持っている。政府代表だけでないところに特徴がある。政府側の責任だけでなく労使にも責任が生じる制度になっている。
 ここでいくつかの問題がある。1つ目は、ILO条約を批准している場合には、それに違反しないように国内法を整備することは当然であるが、それがきちんとされていない国があることである。
 インドネシアとカンボジアは8つのすべてのILO条約を批准している。日本はまだ6つのILO条約しか批准していないことを考えると2国は模範的な国といえるかもしれないが、国内法を条約にあわせて整備しているか疑問である。
 インドネシアは整備中といえようか。スハルト政権が倒れたことから民主化が少しずつではあるが進んでいることのあらわれか、労働法案の検討中である。しかし、利害の対立が強く合意に至るのは容易ではない。
 カンボジアでは労働法は制定されているが、それが遵守されているかといえば、否と答えるしかない。カンボジアが簡単に8つのILO条約を批准したのは、ILOの財政および技術援助を期待しているためである。

中核的労働基準の遵守をいかに進めるべきなのか


 2つ目の問題は、8つのILO条約に違反する法律が国内で効力を持っている場合に、どう対応すればいいかである。日本側からすれば進出先の国内法を遵守することは当然であるが、それがILO条約に違反している場合、どちらに従うべきかという問題に直面する。
 一般的には条約が国内法より効力は上位にあるとされているので、条約に従うべきであるが、その条約は批准されていることが前提である。批准されていない場合には同じ論理は使えないのであろうか。さらに拘束力の弱い宣言の場合はどうなのであろうか。
 具体的な問題で見てみよう。アジア発展途上国では開発独裁と呼ばれる政治体制をとっている国がある。そこでは結社の自由が規制されている場合が多い。たとえば開発特別区では外資を導入するために労働組合の結成を認めないという方針が採用されている。
 しかし、現実に労働組合が結成された場合どうすればよいのか。アジア発展途上国の政府は、労働組合の強制登録制度を採用していることを使って、登録を認めないで違法な団体として取り締まりの対象とするであろう。企業側も同じ考えで処理するのが通常であろう。もし企業がその労働組合を承認すれば、政府の方針に違反しているとして、企業撤退を命じられるかもしれない。
 一方、ILOでは、普遍的価値として結社の自由の遵守をもっとも重要な労働基準と位置づけている。ILO87号条約と同98号条約は特別な扱いがなされている。この2つの条約を批准していなくても、ILO結社の自由委員会に条約違反を訴えることができる制度になっている。
 日本でもこの制度を利用してきた経験がある。アジア発展途上国でも現在盛んに利用されている。ただ結社の自由委員会はせいぜい政府に勧告ができるにすぎない。その政策を改めるかどうかは、各国の政府の自主的な判断にゆだねられている。勧告を内政干渉であると拒否されてしまう場合もある。この場合ILO宣言はそれを押しとどめる役割は果たせない。
 しかし、企業側の立場は政府の方針に従うほかないのであろうか。結社の自由を尊重する企業行動規範を定めている場合、その企業としては苦しい立場に立たざるをえなくなる。日本側からアジア発展途上国の企業に出向や派遣される者の立場でも、苦しい立場に立つ。
 その人たちの中には日本で労働組合員であった者が多くいるはずである。出向や派遣されると地位が上がって管理職的地位で働く場合が多いが、日本側の労働組合では組合員としての資格をそのまま認めている場合もある。大手の労働組合ではそのような組合員のために様々な対応をして、海外での生活上の不安を解消する工夫をこらしている。
 日本では組合員であっても、海外に行くと管理職となるので、現地の労働者が労働組合を結成したことを理由に解雇しても何の良心の呵責も感じないという冷酷な人間になるのであろうか。普遍的価値に対して、状況しだいでどうにでも態度を変えられるのであろうか。そんな日本は国際社会でどう評価されるのだろうか。普遍的価値についてアジア発展途上国でもそれを尊重する政策を採用してくれれば、苦しい選択に悩むことはなくなるであろう。

(注)4分野にかかわる8つのILO条約とは、29号(強制労働条約)、87号(結社の自由及び団結権保護条約)、98号(団結権及び団体交渉権条約)、100号(同一報酬条約)、105号(強制労働廃止条約)、111号(雇用及び職業についての差別待遇に関する条約)、138号(就業の最低年齢に関する条約)、182号(最悪の形態の児童労働条約)をさす。

※香川孝三さんは、アジア・ヨーロッパ財団(ASEF)(本部・シンガポール)が、ヒューライツ大阪の協力のもと02年9月21日~22日に大阪で開催した「人権と多国籍企業に関するワークショップ」における報告者のひとりでした。また、香川さんには、02年10月11日にヒューライツ大阪が企画した第6回国際人権わいわいゼミナール「アジアの労働と法をめぐる諸問題」において報告をしていただきました。