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国際人権ひろば No.48(2003年03月発行号)
Human Interview
勝負を越えたものを求めるということのなかに、武道の素晴らしさがある
アレック・ベネット さん (Alexander Bennet) FM CO・CO・LO プログラム・スタッフ
プロフィール:
ニュージーランド・クライストチャーチ出身。カンタベリー大卒。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。来日13年。現在、国際日本文化研究センター助手。FM CO・CO・LOでは毎週火曜日午後8時~9時30分の「Kiwis in Kansai」を担当(76.5MHz、
http://www.cocolo.co.jp )。7月にイギリスのグラスゴーで開催される剣道世界選手権のニュージーランド・ナショナル・チームのメンバー。
聞き手:岡田 仁子 (ヒューライツ大阪研究員)
岡田:剣道に関心をもたれたのは、日本に来られてからですか。
アレック:ええ。でも、最初は日本語をマスターしたいという目的で来日しました。日本に来たのは17才の時でしたが、高校に入った13才から日本語の勉強を始めていました。僕はずっとサッカーやいろんなスポーツをやっていて、日本に来てもサッカーをやろうと思っていたんです。だけど見るとグランドが芝生ではない。これではサッカーはできないと思っていたら、ホームステイ先のお母さんに、せっかく日本に来たのだから日本の伝統的なスポーツをやったらどうだと言われたんです。
最初はあまり楽しくなかったのですが、だんだん剣道の面白いところにも気がつき始めました。
剣道では毎日辛い練習をして、精神的にも肉体的にも自分の限界を知り、毎回少しずつ限界を超えていく。非常に苦しいのですが、苦しい分、また気分が楽になり、自分の人生とかが現れてきます。修行というか、ある意味で宗教的といえるかもしれません。
帰国して剣道クラブをつくったのですが、数週間で30人くらいが見学に来ました。自分はまだ18才で初段なのに、来る人は20代や30代の武道経験者で、武士道に対する期待感をもって見に来たみたいです。私は、武道や武道精神について何も知らず、これでは指導ができないと思い知らされました。そこで2回目の来日は剣道留学で来たのです。
岡田:いま、剣道のことを英語で情報発信しているそうですね。
アレック:ちょうど1年前から年4回"Kendo World"という世界初の英語の剣道雑誌を出しています(詳細はhttp://www.kendo-world.com)。きっかけは、武道館で開催される全日本剣道選手権大会を友人とテレビで見ていて、こうして日本にいて試合が観戦できるのはラッキーだと話し合っていました。
それに、日本にいると偉い先生にも会えるし、日本語が読めれば本も何冊も手に入るけれど、英語でそういう情報は全くない。剣道人口は世界でだんだん増加し高段者も増えてきているのに、剣道の哲学、歴史、文化などについて英語の文献や情報がないうえ、海外で指導をするのにも勉強する資料がないんです。そこで日本にいる自分たちが雑誌をつくればいい、と考えました。
1年前に第1号を出しました。日本の記事を英訳したり、先生に寄稿していただいたり、取材に行ったり、世界中の剣道仲間の専門家に記事を送ってもらっています。全日本選手権もビデオをとらせてもらい、準決勝からCD-ROMの形で雑誌に入れて送りました。当初300人だった購読者も3,000人に増えました。
購読者はアメリカ、ヨーロッパ諸国をはじめとする72カ国にわたっています。イラクや南米のベリーズ、グアテマラのように剣道をやっているとは思ってもみなかった所からも購読希望があります。
岡田:逆に日本では関心が低くなっているのでは。
アレック:そうですね。非常にもったいないですね。こんなにいいものがあるのに。日本人だけではないですけど、すぐ目に見える利益がほしいのではないですか。剣道はすぐ勝てないですし、子どもにとっては面白くないかもしれない。剣道はやればやるほど面白くなってくるのですが、面白くなる前にみんな止めてしまう。もったいないですね。またイメージとして、古い、厳しい、臭い、きついということがあります。サッカーや野球をやっていればひょっとすれば将来プロになれるかもしれない。武道にはそういう目標はありません。勝負を越えたものを求めるということのなかに、素晴らしいもの、あるいは世界や日本を救う精神があるのではないかと思うのです。それはすぐに見えたり、達成できるものではないですし、相当な努力が必要になってきます。そこまで努力する気がなくなっているのではないでしょうか。
岡田:この13年のあいだに、日本への印象は変わりましたか。
アレック:日本人は弱いなと思うようになりました。バブルの時は海外で注目され、調子がよかったのですが、バブルがはじけるとそういう自信はどこへ行ってしまったのか。言い訳ばかりになってしまっています。そういうときこそ剣道や武道にある精神を活かせばいいのに、早く取り戻そうと考えるようになり、我慢ができなくなっている感じがします。
岡田:いまも武士道の研究をされていますね。
アレック:私が「武士道とは何ですか」と日本人に尋ねても誰もそれにうまく答えることができませんでした。そこで自分の博士論文のテーマを「武士道の定義の追求」として研究し、定義してみようとしました。
どういう定義かと簡単にいうと、武士道は宗教であるということです。クリフォード・ギアツの文化人類学的な考え方からいくと、宗教とは神の有無とは関係なく、むしろ精神性、宇宙観に関わるものです。剣道にも剣道の宇宙が存在します。これはゴルフやマラソンなどにも当てはまるかもしれませんが、剣道は特に勝負を越えたものがあり、宗教といえるのではないかと思います。
武士の各時代に共通しているところを見て、武士道の真髄というものを描き出して定義してみました。そうして武士道とは簡単にいえば宗教と定義づけたのです。
岡田:武士道の「礼」についても論文を書かれていますよね。
アレック:いわゆる作法も大切なのですが、「礼」の心こそが武道のもっとも大切なところではないかと思います。「礼に始まって礼に終わる」といいますが、よく頭を下げることと勘違いしている人がいます。形だけを重んじて、その心が何なのか考えない人が多いですね。
日本人は礼儀正しいとよく言われますが、挨拶や名刺の渡し方など形としてはそうかもしれませんが、本当に礼儀正しいかというと必ずしもそうではありませんね。剣道でいうと礼儀とは相手を尊敬することです。しかし尊敬の気持ちは本人しかわからない。だから礼儀とは本人の責任になるわけです。
例えば、柔道の選手は一本とったらすぐガッツポーズしていますが、それは私から見れば礼を欠く行為に思えます。そういう時こそ自分の嬉しいとか悲しい気持ちを抑えて相手を尊敬する。それができれば、そこに武道の人間形成の面があって、勝負を越えたより高いレベルに到達できるのではないかと思います。
岡田:武道は伝統的に男性の世界というイメージがありますが、世界では女性の武道家もたくさんいますか。
アレック:男性の方が多いとは思いますが、最近空手や合気道を護身術として始めている女性も多くいます。その国の女性の社会的立場にもよりますが、男性と平等あるいはそれに近い国・地域では、女性がやってはいけないという考え方もないようです。日本はまだそういうところが少し残っているのではないでしょうか。剣道でもようやく女性の剣道を認めるようになりました。
岡田:女性にとっても男性にとっても武道の定義は同じですか。
アレック:人によってそれぞれ違うと思いますが、武道の相手を倒すという技術的な面よりも、精神的な鍛錬が目的だという人が多いと思います。なぜこのように武道が世界に普及しているのかを今研究していますが、強くなりたいというのもあるでしょうが、精神的な安定を求めて武道を始める人が多いのではないかと考えています。
逆に海外で武道を教えるということは非常に責任があるということになります。いい加減にはできないので困ってしまいます。私たちが出している雑誌はそこに意義があると思います。
日本の人はよく知らないようですが、武道は日本の文化の最大の輸出品です。世界のどこでもどんな田舎でも何かの道場があります。もちろん純粋に日本の武道といえない場合がありますが、そうした道場での号令は日本語です。それだけ武道に対するあこがれが強いのに、なぜ日本でそれが忘れられていくのか不思議です。