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国際人権ひろば No.49(2003年05月発行号)
Human Interview
外国人を取り巻く日本社会の壁を崩すためには 包括的なアプローチが必要ではないでしょうか
野中モニカさん (Monica Nonaka) FM CO・CO・LO プログラム・スタッフ
プロフィール:
ブラジル・ブラジリア出身の日系2世。大阪大学大学院の博士課程で日本語教育を専攻している。FM CO・CO・LOでは、毎週火曜日の午後10時から放送の2時間番組「アローブラジル」のパーソナリティ、そしてプログラム・スタッフとして番組づくりに参画している。ポルトガル語をメインに日本語をまじえたこの番組は、ブラジルでの最新の人気音楽、ブラジル文化講座、日本での生活情報などで構成されている。またポルトガル語による自治体情報のパーソナリティも務めている。(76.5MHz,
http://www.cocolo.co.jp)
聞き手:藤本伸樹(ヒューライツ大阪研究員)
藤本:どんなきっかけで来日したのですか。
モニカ:ブラジルで3年間日本語教師をして、94年にJICA(国際協力事業団)の日本語教師研修生として初来日しました。横浜で1年間研修を受け、帰国して1年後、今度は学問として日本語を研究したくて再び来日しました。ブラジルで大学に通っていたものの、先生たちによる労働条件の改善を求めたストが多くて、授業が進まなかったので卒業を待たずに日本に来たのです。まずは大阪外国語大学で1年間、受験勉強のために日本語による特訓を受けた後、大阪大学文学部に入学して日本語教育を専攻しました。そして修士課程を経て、現在、博士課程においても日本語学を専攻し、特に在日ブラジル人の日本語教育について研究しています。
藤本:日系人を中心に日本に滞在するブラジル人が増加していますが、「在留外国人統計」によると、ブラジル人の数は約27万人と韓国・朝鮮人、中国人に次ぎ3番目に多いですね。
モニカ:はい。日本国籍を持つ人も合わせれば、ブラジル人は30万人ほどに達するようです。偶然にもだいたい同数の日本人が、かつてブラジルに移住しています。
日系人だから当然日本語が話せるだろうと考えている日本人が多いのですが、はたして在日ブラジル人のどれだけ多くの人が日本語を理解しているのかは疑問です。例えば、愛知県のブラジル人が集住している地域では、ポルトガル語のみで生活できているケースもあります。ちょうど、ブラジルに渡った日本人たちのコミュニティでポルトガル語がわからなくても生活できていたのと同じようにです。
日本の他の地域でもそうなっていくのか、あるいはそうならないのか。日本の入国管理法が改正されて日系ブラジル人数が増加しはじめてまだ10年あまり。これからどうなるのかまだわかりません。でも、日本で生活していく上で何がネックかといえば、そのひとつは言葉だと思います。
藤本:言葉をめぐって具体的にどんな問題がありますか。
モニカ:日本語を理解しないというのも、仕事の言葉がわからない、生活上で困るといった具合いにいろんなケースが存在します。また、私の研究での関連分野である母子の保健や医療に関してですが、妊娠中のお母さんが医療・育児に関する日本語や日本の制度がわからないことで不利益をこうむったりしています。子どもを産むという誰しも背負うストレスに加えて、日本語がわからないという理由から病院でさらに不安が募ったりしています。その結果、家庭内でもギクシャクするようになってしまう場合があるようです。
また、日本での定住化が進むにつれて、親の言葉はポルトガル語なのに日本で生まれた子どもは日本語がメインの言葉になり、親子間で言葉が通じなくなったりしています。ちょうど、ブラジルの日本人社会で起こった現象と同じ問題です。その結果、社会での壁に加えて、家庭内でも壁ができてしまうのです。
藤本:その一方で、日本語をあまり理解しないブラジルからの子どもたちの不登校が増えていると聞いていますが、実態はどうなのでしょうか。
モニカ:ブラジルは勉強を習得しなければ落第するというシステムなのですが、日本ではだいたい年齢に併せてトコロテン方式で進級しますよね。そこで、ひらがなもわからない15歳であっても、中学校3年生に在籍するようなことがあります。そのうえ、外国人だという理由でイジメを受けたらどうでしょう。勉強もわからない、友達もいないなら、なんで我慢する必要があるのかと学校に行かなくなるのです。
そうした子どもたちの受け入れ先として、集住地域ではブラジル人学校があります。でも、日本政府からの助成がなく授業料が高いため、誰もが通えるわけではありません。そこで、親が働いている昼間は外でブラブラとし始め、不就学状態になっていくケースが確かに増えています。
藤本:そうした問題を解決するにはどうすればいいと考えますか。
モニカ:親子の言葉の壁でいえば、いわゆる母語を保持するために子どもにポルトガル語を教えるという方法が浮かびます。しかし、親がブラジル人だけれど、日本で生まれ育った子どもにとって、母語保持とはいったい何なのかを考えてみる必要があると思います。
不登校や中退する子どもの問題にどう対処するのかということに関しては、はたして日本の学校で対応できるのか、あるいはブラジル人学校ならば対応できるのか、いま答を出すのは難しいです。混沌とした状況だと思います。
藤本:言葉の壁以外にも日本社会の壁は厚いと感じますか。
モニカ:確かに、言葉がわからなければ日本語教室を開設しましょうという流れにはなっているのですが、そうした対応に止まり、包括的なアプローチに欠けているようです。だから、外国人はいつまでたっても日本社会の住民と見なされず、早く帰ってほしいお客さんのように扱われているのではないでしょうか。社会に対するバリアを感じることがしばしばです。
もちろん、市民レベルでは日系ブラジル人など外国人を理解し、隣人として一緒に生活していこうと考えている人たちも増えていると思います。でも、草の根の運動レベルでよき理解者がいたとしても、人々の集合体としての社会は、外国人が日本人として同化していくことを求めていると同時に、異なる人を排除しているのではないかと思えるのです。
藤本:それはどんなときですか。
モニカ:日本社会は、日系ブラジル人の受け入れを開始するにあたり、日本に同化してくれることを望んでいたのではないでしょうか。しかし、その期待と現実にはギャップがありました。日本人の血をひいた日系人ならば日本語がわかり、日本人の考えを理解して当然だろうと日本人が期待していたところ、実際はそうではなかった。一方、日本語を必要としない国からやってきているブラジル人は、言葉がわからないのは当たり前だと考えているわけですね。
私もたまに日本人にこんなことを言われます。「モニカさんは日本語もできて、日本人の考えも理解できるからいいですね」。逆に言えば、日本語がわからず考えが食い違えば、敬遠されてしまうのでしょうね。もちろん、日本にまったく馴染もうとしないブラジル人の側にも問題があると思いますが。
日本語を充分にマスターし、日本に帰化した人でもガイジン扱いされますし、さらには、日本で生まれ日本語が母語の人でも外国にルーツがあれば、やはり日本社会から閉ざされてしまう感があります。日本には外国人を受け入れる器ができていないのではないでしょうか。
藤本:その器を形成するにはどうすればいいと思いますか。
モニカ:外国人への理解に対する判断基準は、日本人の中にある訳ですから、日本人が日本社会についてもっともっと深く考察する必要があるのではと思います。いま在日外国人の研究がたくさん行われていますが、それよりも先に日本人の研究をしてほしいものです。(笑)
藤本:今後の抱負を聞かせてください。
モニカ:これからも在日ブラジル人の支援活動を行っていきたいですね。そのとき、日本語-ポルトガル語の翻訳や通訳をしたり、日本語クラスで教えるといったことだけではなく、さらに私に何ができるのかを考えてみたい。とりわけ、立場の弱い女性や子どもの支援について考え、行動していきたいと思っています。