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国際人権ひろば No.49(2003年05月発行号)

現代国際人権考

「人間の安全保障委員会」報告を受けて -人間の安全保障と人間安全教育

武者小路 公秀 (むしゃこうじ きんひで) 中部大学教授・ヒューライツ大阪会長

人間の安全保障の定義


 「人間の安全保障委員会」報告が5月1日に公表された。人間安全保障を明確に次のように言明している。「人間安全保障は、人間の自由と人間性の充実とを伸長するかたちで、人間の生命の死活に関わる中核部分を保護すること」として定義する。したがって、「人間安全保障は安全、権利、発展の人間にかかわる諸要因をまとめ上げて、これに関する制度化の政策を、人間個人と国家、さらにグローバル世界をつなぐことで、グローバルな同盟をつくろうとするものである」。
 報告書の、このグローバル同盟の提唱は、人間安全保障委員会の出発点になっていた国連の事務局が委員会の参考に供した「人間安全保障のワーキング・デフィニション」の議論を乗り越えた大変な労作である。事務局の提示していた「人間安全保障の定義」は、国連加盟の諸「国家」が、自分ではどうにも自分の安全が守れない人々を「保護」するという国家による人間安全の保護というものであった。
 数回の委員たちの話し合いの結果を、緒方貞子、アマルティア・セン両議長がまとめた今回発表された報告書は、この出発点になった人間を国家の保護の対象としてあつかう人間の主体性無視の国家中心主義を、完全に否定せずに、これを上で引用した人間中心の国家も含む大連合に換骨奪胎した。国連の制約のなかで、緒方さんたちの努力に敬意を表したい。国家による保護を認めつつ、この論理を転換したしくみは、たとえば報告書の次の個所から読みとれる。
 報告書は、総論部分で、次のように論じている。「人々が、自分の死活に関わる重要事とみなすこと-つまり生命の本質に関わる最重要事項とみなすこと-はさまざまであるから」、この概念は柔軟にとらえなければならない。人間安全保障の対象は、「単に生き残りだけに関するのみならず、愛や文化、そして信仰にも関わる」。

人々自身によるエンパワメントを


 したがって、人間安全保障は、「人々が、自分たちの福利について決定するさいのもっとも能動的な参加者であることから、人々が自分たちのためにおこなっている努力をもとにするし、その努力を強化することからはじまる」。このように、報告書は、「人間安全保障」を「保護」すると定義しておきながら、人間の自発的な努力のエンパワメントがその基礎をなす、というもって回った形で、上からの「保護」を、下からの「自発努力」に基づかせている。
 報告書は、国家安全保障を補完するものとしながら、「人間への脅威の中には、必ずしも国家の安全への脅威とはされていないことが含まれる」とし、「人間安全保障に関わるアクターは国家には限られない」として、人間安全保障を実現することには、「人々を保護するだけではなく、むしろ人々が自分の安全を自分で対処するようにエンパワーすることが含まれる」ことを強調している。
 以上の立場から、報告書は、重要な人間安全保障の問題として、紛争の危険からの人々の保護、戦争から平和への移行期のための基金の創設、貧困撲滅のための公正な貿易と市場の強化、最低限の生活水準の保障、基礎保健サービスの完全普及、普遍的な基礎教育の完全実施、グローバルなアイデンティティの促進、などの諸問題をとりあげて、国家による保護を人々のエンパワメントと関係付け、国家が、自分たちの安全をもとめている人々への責任上実施すべき施策、人々と国家の共同作業についての提案をしている。

人間安全保障と人権の不可分性


 ところで、報告書は、今日のグローバル化政治経済のもとで、絶対的貧困が増え、難民などの移住者が不安全な生活を送っていることを指摘しているが、このような状態が、国連加盟諸国、とくに諸大国によって進められている自由放任主義経済と国家安全保障の軍事化・警察化によってつくりだされていることには一切触れていない。これは国連への報告書として、国連加盟諸国を非難することが許されていない以上、当然なことだが、われわれ市民の立場からは、この報告書を、それが触れていない今日の賭博場的グローバル経済や反テロ戦争が引き起こす人間の不安全と関連づけて解釈し、そこから新しい人間安全保障のためのグローバルな同盟を組むための共通の視点を確立する必要がある。
 この現状認識を前提にしない報告書の解釈次第では、人間安全保障が、国家安全保障を奇妙な形で補完し、反テロ戦争のシリヌグイ的な人間安全保障政策が正当化される恐れがある。ここに、人権と人間安全保障、人権教育と人間安全保障教育の関連付けの問題が出てくる。報告書が明解に主張するように、人権なしの人間安全保障はない。人間は国家にその安全を守ってもらう権利があるのである。今年の人権委員会は、「人権の教育と学習は紛争と人権侵害の予防、ならびに紛争後の変容と安定化の手段であり、その意味で人間安全保障の主要な要因であること」を人権教育についての決議のなかで主張して、人間安全保障との密接な関係を認めている。
 この考え方は、上で述べてきた人間安全保障委員会の人間安全保障と人権との不可分性の主張に呼応するものである。人権教育は、人間安全保障に貢献するには、反テロ戦争の犠牲者、貧困や移住者搾取、その女性搾取との複合である人身売買の被害者のエンパワメントを、その対象にしなければならない。同時に彼女等、彼等の人権侵害と不安・不安全の諸問題の原因を作っている日本などでの人権教育に、この人間の不安全状況への市民の認識を強化する必要がある。これは、人権教育の重要な課題であるが、実は「人間安全保障に関する教育」という総合的な教育の構築を指向すべきことを意味している。
 人間安全保障報告書のなかで主張されているように、人間安全保障が、人々の権利、安全、発展と一体である以上、人間安全保障教育は、人権教育に人間安全と人間発展をあわせて、人権教育と開発教育を人間安全保障ということで結びつける人間中心の教育の営みを構築することになる。本稿がこのことを人権教育の関係者に訴えるための手がかりになれば幸いである。
(人間の安全保障委員会 http://www.humansecurity-chs.org/japanese/