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国際人権ひろば No.50(2003年07月発行号)
Human Interview
ラテン人のため、みんなのため、そして自分のために楽しい時間を創りたい
大城 ロクサナ さん(Roxana Oshiro) FM CO・CO・LO プログラム・スタッフ
プロフィール:
ペルーの首都リマ出身の日系3世。FM CO・CO・LOが、毎週木曜日の午後8時から12時に放送している「Somos Latinos(ソモス・ラティーノス)」(われらラテン人という意味)という番組で、午後8時から9時20分にかけてパーソナリティを担当している。(76.5MHz,
http://www.cocolo.co.jp/)
聞き手:野澤 萌子(ヒューライツ大阪研究員)
野澤:ロクサナさんのお祖父さまが沖縄出身の日本人だということですが、お祖母さまも日本人なのですか?
ロクサナ:いえ、母方の祖母はペルー人です。祖母と祖父が出会った55年ほど前は、ペルー人と日本人との恋愛結婚は珍しく、反対もあったそうです。私の母が幼いときに祖父が亡くなり、祖母と母は言葉や習慣の異なる日系人社会を離れてペルー人の親戚宅に移ったため、母も私も日本語はもとより日本の生活習慣などに親しむ機会がありませんでした。ですから日本にくるまでに知っていた日本語は、お金、お茶、お茶碗など簡単な言葉だけでした。
野澤:日系人社会から離れて育ったということは、日系人というよりペルー人というアイデンティティなのでしょうか?
ロクサナ:そうですね。ペルー人という感覚です。しかし祖父が日本人であることは何度も聞いていましたし、写真も飾ってありましたので、小さい頃から祖父に一度でいいから会ってみたかったと思っていました。また、いつも日本のことが気になっていて、大きくなったら祖父の国のことをもっと知りたい、見てみたいと思っていました。学校でケンカをしたときに、珍しい苗字をからかわれて「チナ(中国人)」といわれたときに、「チナ」ではなく「ハポネサ(日本人)」といいなさい!」と言い返していたほど、日本人である祖父の血が流れていることを誇りに思っていました。
野澤:来日の経緯を聞かせてください。
ロクサナ:小さいときから日本に興味がありましたので、機会があれば日本に来たいと思っていました。そして1991年に仕事をするために夫婦で初来日し、最初は山梨県のホテルで1年ほど働きました。それから神戸に移り製靴工場などで働き、FM CO・CO・LOには2000年から参加しています。来日当初は日本でながく暮らす予定ではなかったので、日本語を勉強するために学校に通ったりしませんでした。でも、この仕事にかかわるようになって、正確な日本語で情報を発信する必要を実感するようになったのと、日本の人々とのコミュニケーションをもっと高めていきたいと思い、1年ほど前からYMCAで日本語の勉強を始めました。
野澤:FM CO・CO・LO以外でもさまざまな活動をされているそうですね。
ロクサナ:はい。いろいろな活動をしていますが、ひとつは、3年前、日本に住むペルー人を中心に日本人も参加して「バイランド・ペルー」(注1)というボランティア組織を作りました。バイランド・ペルーでは、さまざまなペルー舞踊を通じてペルーの歴史や文化を伝えることを目的としています。2003年の5月4日に、チャリティ・イベント「COROZONES AMIGOS」(心の友達)を梅田のスカイビルで開催しました。はじめての大きなイベントでしたが、さまざまな国の料理や舞踊を披露し大盛況でした。このようなイベントなどの活動によって得た収益金は、ペルーの恵まれない老人や子どもたちに送っています。またバイランド・ペルーの活動を通じて、ペルー人に対する悪いイメージを改善できたらとも思っています。日本に住んでいるペルー人のほとんどがいい人ですが、悪いことをする人もたまにいますから。
野澤:そのほかにはどのような活動をされていますか?
ロクサナ:日本での多民族・多文化共生社会の推進のために活動している、「ワールド・キッズ・コミュニティ」という組織にも関わっています。そこで、HYOGOLATINO(ひょうごラティーノ)というスペイン語の月刊情報誌を発行しています。
また、現在住んでいる神戸市の須磨で、ラテン系の子どもたちのためのスペイン語教室のコーディネーターもしています。現在、5歳から13歳までの15人の生徒がいます。みな日本人と同じ学校に通っていますので、日本語は話しますが、スペイン語を学ぶ機会がありません。ラテン系のコミュニティの15~18歳ぐらいの子どもの多くは、スペイン語が話せないために家庭内で両親とコミュニケーションがとれなくなるという問題があります。それでは寂しいですよね。
そのような事態を防いでいくのは親の役割でもあると思います。子どもがスペイン語を勉強している間に、お母さんたちが日本語を勉強したり、時にはペルー料理を作って伝統と文化を共有しています。
しかし、多くの親は日本語を勉強する気持ちがあっても、朝から晩まで仕事で忙しく、なかなか思うようにいかない人も多いです。また私もそうでしたが、5~6年働いて帰国するつもりだったのが10年以上になり、日本語が話せないままの人も多いですね。
野澤:12年間日本に滞在されていますが、日本や日本人に対する印象で悪くなったことや、反対によくなったことなど何か感じられますか?
ロクサナ:悪いことはそうですね、景気が悪くなって12年前より生活が大変になったと感じます。それから小学3年生の息子がいますが、いじめの問題などよく聞きますので心配ですね。学校から戻ったら、毎日それとなく質問して学校での様子などを把握するようにしています。
よくなったと思うことは、最近は少し危なくなりましたが、ペルーと比べると安全でいいですね。夜遅くでも一人で歩くことができますし、特に子どもに安全な環境であることも重要ですね。2000年に一時帰国した時に、日本での生活に慣れたせいか9年ぶりの祖国では外出すると怖くて落ち着くことができず、自分の国なのに自分の国ではないように感じました。
帰国するまでは本当に帰りたい、親戚に会いたいと思っていたのに変ですね。行きたいところに一人でいけないし、親戚などからあれ気をつけて、これ気をつけてと注意が続きイライラすることもありました。日本での生活時間が長くなったので、自分の仕事や生活の場がペルーではなく日本にあるということを実感しました。
それから外国人に興味を持つ人が増えていると思います。来日当初は、外国人、特に日本語を話さない外国人に優しくないと感じることもありましたが、神戸や大阪という土地柄もあるでしょうが、最近は外国人に対する態度が柔らかくなったと感じます。外国の文化に興味を持つ人が幅広い年齢層で増えているし、街を歩いていると日本人からスペイン語で話しかけられて、友達になることもあります。神戸でのことですが、日本語で質問したら英語で答えられて、わたしの日本語が下手すぎたのかと思ったほどです。
野澤:さまざまな顔をもったロクサナさんのパワーはすごいですね。その原動力はなんでしょう?
ロクサナ:FM CO・CO・LOの番組を通じて、ラテン人のために楽しい時間を提供することと、日本人に私たちの文化を紹介することがとても楽しいですね。リスナーには日本人が多くて、ラテンの料理などの文化に関する情報に反響が大きく、ラテンに興味を持つ日本人がたくさんいてくれてうれしいですね。
ペルーにいればペルー人としか思いませんでしたが、日本にいればペルー人もブラジル人もアルゼンチン人も同じラテン人です。日本での生活でわからないことや、日本語が話せずに困ることなどがいろいろありますので、人数が少ないからこそみなが助け合わないといけないと思っています。ですからFM CO・CO・LO以外の活動で何かをするときにでも、ペルー人のためだけにと考えたことはありません。いつも子どもたちやラテン人、そしてみんなのためを考えています。これらの活動は自分にとってもよい影響を及ぼしていて、ちゃんと日本語を勉強して、もっと日本のことを吸収していきたいと思っています。
(注1)「バイランド・ペルー」のウエブは、http://bailandoperu.tripod.co.jp/