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国際人権ひろば No.50(2003年07月発行号)
肌で感じたアジア・太平洋
インドネシアのロンボク島で体験した「小学生生活」
福井 美果(ふくい みか) 大阪府羽曳野市立西浦東小学校教員
自主研修としてのインドネシア
2001年に「大阪府教員長期自主研修」という制度で1年間インドネシアのロンボク島へと渡った。ロンボク島は、良く知られているバリ島の東にあるちょうど和歌山県くらいの広さ。大半がイスラム教徒の島である。「自主研修制度」とは、研修内容が後に子どもたちへ有効に還元できるものを対象に、長期の研修を休職といった形で、大阪府教育委員会が教員に認めた制度である。「子どものレベルの国際理解」を研究テーマにロンボク島ではマタラム第45小学校5年生のひとりとしてクラスへの在籍を認めてもらった。小学校らしく地域の名前をとって「青葉台小学校」とか「古市小学校」とか呼びたいところだが、ここではすべて国家の行政区分での連番制度になっていた。
もう一度小学生
5年間の教員という立場から一転しての海外での「小学生生活」だった。なぜ、小学生として登録してもらったかというと「子どものことは子どもにならえ」という姿勢を大切にしたかったからである。同じ生活をすることで、気づかなかった何かを肌で感じることが出来るかもしれない、といった思いがあった。
なかなか分からないインドネシア語の授業、朝のお祈り、宿題忘れのお仕置きなどあたふたとした日々だった。作文などの宿題忘れの日には鼻をピンっとはねられるのを「まあ、美果だから・・・」ということで許してもらった。その代わりにみんなの前でたどたどしい「本読みの刑」を受けることもあった。そんな日は帰るまで「発音が違うよ」と子どもたちに本読みの特訓をさせられた。
子どもたちとのやり取りの中で、現任校(羽曳野市立西浦東小学校)の子どもたちと手紙でも橋渡しを出来たのがとても良かった。この文通は帰国後まで及び、計4回の往復便となった。こどもの文だから簡単に訳せると甘く見ていたが、「これ、どういう遊び?」「これって、食べ物?」と52人分の翻訳に目がまわる日々だった。思い起こせば、この作業が一番の語学学習だったかもしれない。
「そのままでいい」という雰囲気
「落第」。両国の子どもたちの文通の中で何度も出てきた話題である。
「え~。インドネシアには落第があるの。かわいそう」という日本の子どもたち。その反対に「え~。日本には落第がないの。だったら、大変じゃない。どうするの」というインドネシアの子どもたち。「このどうするの」の質問に即座に答える事が出来なかった。
私も最初は年3回の進級テストにどきどきする子どもたちを見ながらこんなに小さいのに落第はかわいそうだな、と思った。しかし、「分からないまま、学年が上がったら、もっとかわいそう。その子はどうなるの」という話を聞いて今までの価値観ががらりと変わった。知らない間に「同じが良い」という意識が私の中にも染みついていることに気づかされた。
「出来ないのだったら、またやり直したらいいよ」と口では言いながら、そんな雰囲気が日本の学校には少ないように思う。がんばったが出来ないことはいっぱいある。それを「そのままでいいよ」と、周りが受け止めてくれる雰囲気があってこそ、自分のそのままを出せるのではないだろうか。
はやく!早く!速く!がいいのだろうか?
日本の子どもが大嫌いで、おとなが一番多く使ってる言葉、それは「はやく」である。帰国後、子どもたちに「先生が『はやくしなさい』などの言葉を言ったり、せかす態度をとったら言ってね。何回か知りたいから」と言って数えてもらった。「言うまい!そんな仕草はするまい!」と気をつけていても日に26回。恐るべき数である。インドネシアに行く前はきっとこの3倍は言ったりしていたことであろう。教師がこれだから子どもはたまったものではない。
また、朝起きた時から、帰宅してからも保護者に言われ続けていることは簡単に予想できる。まさに洗脳である。インドネシアで小学生として机を並べる中で何か足りないなと思っていたら、この「はやく」をほとんど先生が子どもたちに言わないのである。
なぜ、はやくしないといけないのかと考えると、はやく・きちんと・いっぱいなどはオートメーションそのものである。つまり、学校では私たちも知らない間に社会に都合のいいオートメーション人間を作っていることになるのではないだろうか。商品は折れ曲がったらダメ、汚れたらボツ、形が揃ってなかったらキル、色が揃ってなかったらヤリナオシなどが当たり前のことのように考えられている。しかし、その感覚が子どもにまでおよんでいないだろうか。
子どもの本来のゆっくりとした空間が奪われ、自分らしくすることが出来ない中で「個性豊かに」と言われる。もう一度なにを子どもたちに求めるのか、おとなの方が、ゆっくり、じっくり、しっかり考えないといけないのだと教えられた思いだった。
トイレの使い方から学ぶ
子どもたちと暮らしていて一番身につけにくかった習慣はトイレである。日常この島では、排泄物は左手で処理する。その後、きれいに手を洗う。私は何度も左手で物を渡そうとして、子どもたちや先生方に厳しく注意をされた。紙を使う習慣からはなかなか脱却できないものである。できるだけ子どもたちと同じ生活をしたかったのでなんとなく意地になっていった。
休み時間周りに集まった1年生に、排泄物処理法を聞いてみた。水のかけ方、水の量などその時は本当に教えてほしかった。私の「どうやってしてるの」という質問に、「きれいになるまで」とゲラゲラ笑いながら答える子どもたち。私が悩んでいる内容が全く伝わっていなかった。それもそのはず、おとなの私が水での処理を出来ないわけがなく、子どもたちは自分たちがきっちり出来ているかチェックされてると思っていたのである。何とも、はずかしい話である。
ふと気がついた一人が不思議そうに「美果はおとななのに、どうして出来ないの」と尋ねてきた。「日本では紙で拭くの。こんな風に・・・・」という私の答えに、子どもたちの目は点になり、「えっ~~汚い、汚い」と騒ぎ立てる。もし、チョコレート、どろ、ソースなどが手についたら日本人は紙で拭くだけかとまじめに質問する。さすが1年生である。子どもたちの言う通り、水で洗う方がよりきれいになる。子どもたちにとっては、どう考えても紙で拭いただけのお尻は「汚い」のである。
子どもたちの素朴な疑問からしばらくいろいろな習慣の違いを話す機会が増えた。相手が素直な子どもだけに私を見る目はシビアである。その中でいかに固定観念を持ちすぎて構えているかに気づかされた。この体験が帰国して、一呼吸置いて子どもに接することが大切だという思いにつながっている。「私が正しいのではない」という思いを込めて。
子どもの中で子どもが安心している
「子どもは気楽でいいよね」などの言葉をよく聞くが、本当にそうだろうか。少子化も手伝って、自分から関わりを持つことに慣れていない子どもたちは様々なストレスの中で暮らし、子どもたちが子どもなりの人間関係で疲れているのがよく伝わってくる。
「おまえ、今日遊べるか?」「あかん、今日は○○と遊ぶから、無理やわ」などの会話に、「一緒に遊んだらええやんか」と声をかけると、「遊びたいけど○○とは、なんかあかん」と一歩引く。低学年の会話にしてはなんとも寂しい気がする。ロンボク島ではそんな会話を教室で聞くことがなかった。島での「子どもの世界」では子どもはワラワラと群れて、楽しかったら誰が来てもいい、けんかしたらまた違う集団へといったものであった。そのような空間にいるとなんとも気楽で、いつでも「遊べる」という安堵さが伝わってくる。子どもが子どもの中で受け入れられているということは、彼らにとって大きな安心感であるはずだ。
帰国してそんな空間を少しでも作っていきたいと思うようになった。いくら長生きの時代と言われても、どの人も「子ども時代」というのは短く限られているのだから。子どもたちには成長の中で「自分」を受け入れられた感覚を十分に味わってほしい。それはきっと大きくなって人を暖かく包む力になると信じているから。
※ 福井美果さんの滞在記は、『みかん先生のインドネシアレポート~とうがらし小学校の子どもたち』(明石書店、2003年4月刊)に単行本としてまとめられています。また、「インドネシア・みかんの未完成レポート」がウエブにも掲載されています。
(
http://www.rikkyo.ne.jp/~htanaka/01/Mikan00.html)