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国際人権ひろば No.52(2003年11月発行号)
国際化と人権
本当の「犯罪者」はだれか -人身売買撤廃に向けた取り組み
藤本 伸樹 (ふじもと のぶき) ヒューライツ大阪研究員
人身売買(トラフィッキング)
02年12月、日本人の男性ブローカーが約8ヵ月間にわたり、コロンビア女性80人を各地のストリップ劇場などに斡旋し、脅しや暴力で売春を強要し続けて、多額の紹介料を得ていたとして、入管法違反(不法就労の斡旋)と職業安定法違反の容疑で逮捕された。きっかけは、東京にあるコロンビア大使館や、外国人女性のための民間シェルター「女性の家HELP」などに逃げ込んだ女性たちの証言からだった。
女性たちは、エステティシャンなどの仕事があると集められ、複数のブローカーを経て来日した時点では、渡航費や仲介料の名目で手数料が積算され、ひとりあたり500万円を超える「借金」が課せられていた。
次々と駆け込む被害者の訴えを受けたHELPでは、警視庁に対して摘発を要請する要望書を提出していたのである。
その結果逮捕されたものの、03年3月の東京地裁によるこのブローカーへの判決は、1年10ヵ月という軽い実刑に過ぎなかった。この男性は人身売買の再犯者であったのだが、初犯の際には30万円の罰金刑だけであった。
「犯罪者」はだれか
国際的な犯罪組織によって、タイやフィリピン、ラテンアメリカなど途上国の女性たちが日本の性産業に送られ、手数料という名の架空の借金で拘束・転売される人身売買が後を絶たない。国籍や在留資格を問わない女性の緊急避難所として86年に設立されたHELPは、これまでたくさんの女性たちを保護・支援してきた。また、タイ大使館でも電話でのホットラインを設けて、女性たちの保護に努めている。
しかし、日本には人身売買を定義して、禁止し取り締まる法律は存在しない。確かに脅迫や暴行、傷害などに対して、刑法に基づいて違法行為として処罰することはある程度可能である。だが、取り締り当局に強度な違法性を持つ行為だとは認識されず、「不法目的で自発的に来日している」と見なされて、女性たちに加えられる深刻な事態が看過されてきた。
それどころか、被害者である女性たちの側が、出入国管理法(超過滞在)や売春防止法などによって摘発され、「犯罪者」として処罰の対象となっているのである。女性たちには、身体的、心理的に受けた数々のダメージを回復する権利がある。だが、彼女たちには滞在するための法的地位が付与されないことから、たいていの場合、加害者を提訴することも、精神的なリハビリもできないまま出身国に強制送還されてしまうのである。こうした制度の欠陥に乗じて、日本を最終市場とする「人身売買ビジネス」が繁盛している。
国連女性差別撤廃委員会による勧告
注1
人身売買問題は、03年7月に国連女性差別撤廃委員会が女性差別撤廃条約の日本政府報告書を審査した際にも、日本政府の代表に対して複数の委員から疑問が投げかけられた。韓国出身のシン・ヘースー副議長は、強盗に対する刑罰と比較して、レイプや人身売買への刑罰の軽さを指摘し、人身売買に関する立法の必要性を主張した
注2。
質問に対して、坂東眞理子・男女共同参画社会局長をはじめ警察庁、厚生労働省からの日本政府代表は、現行の法制度で対処しうる課題だとして、「法律がないからといってトラフィッキングに寛容であるということではない」と答弁した。
しかし、委員会の審査の結果採択された最終コメントにおいて、「委員会は、日本政府が女性と少女の人身売買と闘うためにさらなる努力をすることを勧告する。委員会は、日本政府に対し、この問題に取り組むための包括的な戦略を策定し、加害者に対する適切な処罰を確実にするために、この現象を体系的に監視し、被害者の年齢や出身国を反映する詳細なデータを収集することを求める」(28パラグラフ抄)として、次回レポート時でのデータ提出およびとられた措置の情報提供を求める勧告を行ったのである。
国際社会での取り組み
近年、国連機関やNGOなどによる国際社会における人身売買撤廃に向けた取り組みが活発になってきた。その推進力として、03年9月に40カ国が批准して12月に発効する「国連国際組織犯罪防止条約」(03年9月発効)の3議定書のひとつである「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を補足する人、特に女性及び児童の取引を防止し、抑止し及び処罰するための議定書」(外務省仮訳)があげられる。
この議定書では、「人身売買」(外務省訳は「人身取引」と表現)を「搾取の目的で、暴力若しくはその他の形態の強制力による脅迫若しくはこれらの行使、誘拐、詐欺、欺もう、権力の濫用若しくは弱い立場の悪用又は他人を支配下に置く者の同意を得る目的で行う金銭若しくは利益の授受の手段を用いて、人を採用し、運搬し、移送し、蔵匿し又は収受することをいう」(第3条)と定義している。
同議定書は、(1)人身売買を防止し、これと闘うこと、(2)被害者の人権を尊重しつつ保護し、支援すること、(3)締約国間の協力推進という3つの目的(第2条)をあげている。
日本は02年12月に署名しているが、本体の「国際組織犯罪防止条約」が未批准であることから、批准及び国内法の整備が今後の国際的な課題となっている。
日本で「人身売買禁止ネットワーク」が発足
そうしたなか、これまで女性や外国人の人権擁護に取り組んできた日本のNGOや法律家、研究者などが連携して、03年10月に東京で開催した「人身売買禁止法実現のための国際ワークショップ」を契機に、「人身売買禁止ネットワーク」(JNATIP)
注3が発足した。
同ネットワークは、日本における人身売買の実態を明らかにし、防止するとともに、被害者の救済・保護、加害者の処罰を盛り込んだ「人身売買禁止法」制定のための活動、および市民社会における啓発活動などを行う計画である。
共同代表のひとりである弁護士の吉田容子
注4さんは、「人身売買防止議定書では、人身売買を、採用から収受までの段階と定義しているが、その後の強制売春などの搾取をも課題としなければならないし、被害者の救済プロセスで、加害者からの脅迫や復讐などから守ることも視野に入れなければならない」と述べている。
フィリピンで人身売買禁止法が成立
アジア地域において、人身売買禁止法を持つ国は少ない。そのなかで、国内および国外への人身売買の送出国という現実を抱えてきたフィリピンでは03年5月、「人身売買禁止法」(共和国法9208)を制定した。
同法第4条では、売春、ポルノ、性的搾取、強制労働、奴隷、非自発的労役、債務奴隷の目的で、国内あるいは海外雇用に従事させたり、そうしたことを目的とするフィリピン女性と外国人との結婚の斡旋を禁止している。また、買春ツアーを企画することも禁じている。
加害者は、最高終身刑および最大500万ペソ(1,250万円)以下の罰金が科せられる一方で、被害者に対しては被害事項に直接関わる行為を理由に処罰されないといった法的保護や、カウンセリング、リハビリ、シェルター運営などをNGOと協力してコミュニティでも行うよう定めている。
マニラで活動する「女性の人身売買撤廃連合」(CATW-AP)を筆者が03年9月に訪問したとき、「被害者の人権を重視したこの法律制定は、NGOネットワークによる8年に及ぶロビー活動の成果なのです」と同連合代表で、ミリアム大学のオーロラ・J・デディオス教授が長い道のりを振り返った。同法は、施行規則の整備を経て、まもなく実施されるもようだ。
この法律の他の優れた点として、実施を促進し、モニターを行うために、法務省、外務省、労働雇用省、入国管理局、警察などの長官クラスからなる人身売買撤廃関係機関評議会を組織するとし、そのなかに女性、海外フィリピン人労働者、子どもの分野に関わる3つのNGO代表もメンバーとして加わると定めていることがあげられる。
「海外パフォーミング・アーティスト」という呼称で、歌手やダンサーとして勧誘されたにもかかわらず(日本では「興行ビザ」)、日本のクラブでホステスの仕事や、性的搾取を含む契約外の「労働」を強要されている多数の女性にとっても同法の効力が期待されている。また、日本のNGOもフィリピンのNGOによるこうした取り組みから受ける示唆も大きいはずである。
求められる国際協力
人身売買の解決には、加害者を厳格に取り締まることが必要である。同時に、被害者の権利が回復され、本人や家族が安全に暮らすことができるよう保障されなければならない。そのためには、政府間だけの協力でなく、NGOレベルでもこれまで以上に国際的に連携していく必要がある。
そして、なによりも市民社会は、とりわけ男性は、そもそも買春の高い需要があるからこそ人身売買を引き起こしているのだということを見つめ直すべきではなかろうか。
注1:田中恭子「国連女性差別撤廃委員会による日本政府に対する勧告-選択議定書の早期批准を!」(本誌)
注2:女性差別撤廃委員会における質疑応答、および最終コメントは、IMADR-JCマイノリティ女性に対する複合差別プロジェクトチーム編『マイノリティ女性の視点を政策に!社会に!』(解放出版社)
注3:ネットワークの事務局は、京都YWCA APT気付。(Tel:075-431-0351,E-mail:jnatip@pg8.so-net.ne.jp)
注4:吉田容子「日本への人身売買と法的課題」『ヒューライツ大阪ニュースレター2002年3月号』参照