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国際人権ひろば No.53(2004年01月発行号)
肌で感じたアジア・太平洋
変わりゆくほほえみの国タイの学校より
雑賀 友佳子 (さいか ゆかこ) タイ国立コンケン大学付属サーティット中学・高等学校英語科教員
偶然の出会いから
朝8時、国歌プレンチャート斉唱。遅刻して走ってくる生徒もみな国旗に向かって一時静止。国歌が終わるとまたあたふたと走り出す。続けて朝礼台の横に備えられた仏像に手を合わせ、代表の生徒の後に続いて皆でお経を唱える。この朝礼で一日が始まる。
タイ国立コンケン大学付属サーティット中学・高等学校。ここが私の職場だ。あいさつ程度のタイ語しか知らずに飛び込んで、もうすぐ2年が経とうとしている。
私の担当は中学1・2年生の7クラス。文法・読解が中心の英語の授業をタイ人の先生達と一緒に担当している。タイ語が話せなくては授業が進まないと、必死に言葉を覚えた。といっても、タイ語の訳は生徒の方が上手だったりする。毎日が勉強。周りの先生、そして何より生徒達に言葉以上の多くのことを学ばされる。
実は、私は教員免許を持っていない。大学の専攻は教育学でも英文学でもない。そんな日本人の私が、タイで英語の教員になるなんて考えたこともなかった。学校にとっても、前例のない採用であった。
新しい教員を補充するまでの超短期採用として、私の教員生活は始まった。新学期直前に急な欠員があり、偶然コンケンに居合わせた私に知り合いを通じて話が回ってきたのだ。3週間の契約だった。その後、一般公募による採用試験はあったものの、タイ人とは違う授業方法や発想が評価され、私が仕事を続けることに決まったのである。
そもそものきっかけはというと、話は7年も前にさかのぼる。大学1年生の夏休み、幼い頃からの夢であった国際協力の現場を見たいと、バック一つ背負ってアジアに飛び出た。タイとベトナムを約1ヵ月半回った中で、一番親しくなったのがタイ東北部コンケンの中学・高校の先生達。安宿は危ないからと出会ってすぐに私を家に泊めてくれたのも、今回学校に私を推薦してくれたのも、その先生達であった。NGO年鑑で偶然見つけたコンケンという地名、そこで偶然出会った人々。私がここで教員になれたのはたくさんの出会いと偶然のおかげなのである。
ほほえみの国の学校風景
私の給料は6,300バーツ(約18,000円)。これがタイの大学卒の教員の初任給だ。ここからアパートの家賃、光熱費、食費、交通費と払っていくと、よほど切りつめない限りは赤字だ。例えば民間企業に就職すると、初任給が15,000バーツ前後なので、教員の給料が非常に安いことがわかる。多くの先生は塾や家庭教師などのアルバイトで収入を補う。それほど給料が低いのに職業として人気があるのは、昔から「教師」が人々から尊敬される立場にあったからだろう。
8時から30分の朝礼の後、授業開始。驚くことに、マイクを使って授業を進める。1クラスの生徒数は50人近く、授業態度の悪いクラスだとまるで動物園のよう。とはいえ大学の大講義室であるまいし、マイクを使わなければ授業にならないなんておかしな話だが、そこはマイ・ペン・ライ(気にするな)なのだ。
このマイ・ペン・ライという言葉は、タイ人らしさを最も象徴していると言ってよい。私の出会うタイ人は時間や約束事にルーズだ。約束の時間に平気で遅れて来たり、断りもなく来なかったりもする。コンケンでは時間がゆったり流れている。そんな訳で授業はなかなか時間通りに始まらない。宿題も平気で遅れて持ってくる。そんな国で、私はマイ・ペン・ライが通用しない国から来た先生として頑張っているのだが、正直そんなことにいちいち腹を立てる自分の方が小さい人間のような気がしてくる。
また、生徒は怒られてもニコニコしている。先生が真剣に怒っているのに何事だと思っていたが、これも物事を深刻にさせないタイ人らしさということだ。微笑みの国の人々は、歓迎の時も、うれしい時も、そしてごめんなさいの代わりにも微笑むのだ。
タイの学校では、どのクラスにもたいてい2、3人はゲイの男の子がいる。いつも女の子たちのグループにいて、とても仲良しだ。目立ちたがり屋の子、おとなしい子、人気者などいろんなタイプがいるのだが、外国人である私に対して最初からものおじせずに話しかけてくる子が多い。細かい文法はさておき、英語で話すのが好きだ。一般的にタイも日本同様、読み書きができても会話能力がない子がほとんどなのだが、ゲイの子ども達は英語教育のホープだと言ってよいかもしれない。
社会の中でも、彼らは美容室、郵便局、デパート、ホテルなどあらゆる所で普通に働いている。ちなみに私の同僚にもゲイの先生がいる。タイではゲイであることでいじめられたりはしない。タイ人は人間の多様性を自然に受け入れているのだ。いろんな人がいて、皆それぞれ違うということ。私が一番好きなタイ人らしさである。
教室は日本とさして変わりなく見えるが、どこのクラスにも必ず国王の写真が掲げられている。クラスによれば、王妃、国王の母、子ども、さらには歴史上有名なラマ5世の写真なども飾られている。
タイ人の王室崇拝はものすごい。現在の国王は1946年に18歳で王位を継承して以来、自ら開発事業を立ち上げ国の発展に尽くしてきた。タイ人なら誰でも国王のすばらしい業績について誇らしげに語ってくれる。
また国立大学の卒業式には必ず王族の誰かが赴き卒業証書を一人ひとりに手渡すのだが、これは卒業生とその家族にとって最高の栄誉である。ビデオの早送りのように手渡される一瞬をうまく収めた写真が、どこの家にも一番目につく場所にある。
「豊か」になっていく陰で
国が発展し、人々の暮らしは豊かになった。バンコク中心部に建ち並ぶ高層ビル、その間を抜けるように走る高速道路。その狭い空の下を忙しく行き交う人々の様は、日本と変わらない。一方、農村では、青くぬける空の下で子どもたちが裸足で走り回り、水牛の一団が道路をのんびり横切るような光景が広がる。二層式の社会構造。
経済発展に伴い、都心部では教育熱が高まってきている。放課後と週末は個別指導や塾通い、夏休みは夏期講習と、休みなく机に向かう(あるいは、向かわされている)子どもが多い。大学付属校はとても人気が高く、名門校に子どもを通わせたい親が、たくさんの寄付金を積んで入学させたり、車で1時間以上の道のりを送り迎えして通わせたりする。中には、実家が遠く親元を離れて暮らす子もいる。
農村の方では机も揃っていない学校もあるが、大学付属の施設設備はとてもいい。クーラーのきいた図書室、清潔なベッドが並んだ保健室、視聴覚教室やコンピューター教室まである。そんな学校に公立学校の何倍もの授業料を払って通ってくるのは、ほとんどが医者や大学教授などの子ども達。真っ白な糊のきいた制服、最新式の携帯電話、真新しい自転車やバイクと、金銭的にとても豊かなのは一目瞭然だ。だが何か満たされないような、さえない表情の子が多い。受験戦争、偏差値競争、それについていけない子ども達。ストレス、非行、いじめ、不登校。日本の教育がたどってきた問題がここにはある。
同じコンケンの中でも、公立学校に行くとずいぶん様子が違う。さらに足をのばしてのどかな農村地帯にある学校に行けば、同じ国とは思えないほどだ。大学付属の子ども達にはないキラキラと輝く瞳。色あせた制服を着た子ども達は携帯電話も自転車も持っていないが、満面の笑顔はとても幸せそうだ。いじめも不登校もない。不登校の子ども達の話をすれば、「学校に行きたくないなんて信じられない。なんて怠けものなんだ」といった感想が返ってくる。学校に行きたくても家の仕事があったり、わずかなバス代が払えなかったりして、毎日学校に通えない子どももいるのだ。
大学付属は経済的に非常に豊かな家庭の子どもが集まっているので、急速に経済発展を続けるタイの近い将来の縮図であると言ってもよいだろう。その縮図は、物質的に豊かになるにつれ、こころのゆとりや豊かさを失ってきた日本と同じ道を追いかけている。
新しく出てきた問題に、教員側もまだ認識・対応できずにいるのが現状だ。例えばいじめをたわいない子どものけんかとして片付けてしまう。非行に走る子ども達は力で押さえつけてしまう。
こういった状況はバンコクなどの大都市ではもっと深刻であろうし、いずれ農村部にも訪れるだろう。国の発展に伴い、良くも悪くも変わりつつある教育の現場。その変化にいかに対応していくかが、タイの学校において今一番の課題だろう。