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国際人権ひろば No.53(2004年01月発行号)
特集 日本における「外国人労働者」の雇用と人権を考える Part2
人口減少社会の日本の外国人受け入れ政策
坂中 英徳 (さかなか ひでのり) 東京入国管理局長
■ はじめに
まもなく日本は人口減少期に入る。2006年の1億2,800万人をピークに、日本人口は急ピッチで減ってゆく。出生率がこのままの低い水準で推移すれば、50年後は1億人を切り、2100年には6,400万人へと半減すると推計されている(国立社会保障・人口問題研究所「将来推計人口」2002年1月)。
人口減少社会をどのように生きるのか。それと密接に関連する外国人受け入れ政策はいかにあるべきか。まさに日本国の100年の計を立てる重要課題について、国民の態度を決めるべき時が迫ってきた。国民的な議論の高まることを期待して問題を提起したいと思う。
■ 「小さな日本」か「大きな日本」か
人口減少社会への対応のあり方として、理論上は、次のような両極論のシナリオが考えられる。人口の自然減に全面的に従って縮小してゆく「小さな日本」への道と、人口の自然減を外国人の人口で補って現在の経済大国の地位を守る「大きな日本」の道である。
「小さな日本」は、人口の自然減をそのままの形で受け入れて、少なくなった人口に合った「ゆとりある日本」を目的とするものである。このシナリオと不可分の関係にある入国管理政策は、人口の国際移動が日本の総人口に影響を及ぼさないようにするもの、すなわち日本への人口移入を厳しく制限するものとなる。
人口は経済と社会を構成する基本的要素であるから、人口の減少が続けば、経済は低迷し、社会は衰退する可能性が高い。それは承知の上で、人口の自然減を日本社会が成熟段階に入ったことに伴う必然的な社会現象であると認めて、国民の生き方・生活様式から社会制度、産業構造に至るすべてを、人口増を前提とするものから人口減を前提とするものに改めるものである。
「小さな日本」へ移行できるか否かは、就労目的の外国人の入国を的確に管理できるかどうかにかかっている。日本人の人口が減っても、減った分を補う形で外国人の人口が増えれば、小さな日本は実現しないからだ。人口増の続く開発途上国からの人口流出の勢いが強まる中で、ひとり日本国が人口減に対応して小さくなってゆく「縮小社会」をめざすためには、海外からの人口流入を阻止するに足りる強力な入国管理体制の構築が不可欠である。
「大きな日本」は、人口の自然減に見合う人口を外国人の人口で補充し、経済成長の続く「活力ある日本」を目的とするものである。このシナリオの成否は、日本人が外国人に対する寛容の精神をどれだけ高められるかにかかる。
「大きな日本」を指向する場合には、50年間で3,000万人近い数の外国人を移民として受け入れる必要がある。これは日本がかつて経験したことのない規模の他民族の受け入れである。
未曾有の数の外国人を迎え入れるためには、まず外国人を「友人」として歓迎する国民世論が形成されていることが前提である。その上で、世界中の人たちが進んで移住したいと希望する「外国人に夢を与える日本」へ変わらなければならない。すなわち、国籍、民族的出身を問わず、すべての人の機会均等を保障し、実績をあげた人が評価され、社会的地位を得ることができる開放社会を作る必要がある。それとともに、多様な価値観と文化が尊重される社会、いわゆる多文化共生社会を築かなければならない。
■ 「縮小社会」の外国人受け入れ政策
日本の歴史と現実を踏まえ人口減少社会の将来を展望すると、年間60万人もの外国人を移民として受け入れる能力は日本社会にないし、それだけの度量の大きさを日本人に期待できないと予想されるから、人口の大幅減が続く日本は、基本的な方向としては、構成員が激減してゆく「縮小社会」へ向かわざるを得ないと考えられる。
もっとも、「小さな社会」とは言っても、たとえ日本人口がこれから50年間で3,000万人ほど減って1億人前後の人口になっても、まだ今のフランス(6,000万人)やドイツ(8,300万人)の人口よりも相当に多い「人口大国」であることに変わりはない。
実は、現在の日本は人口密度の高さが世界でも有数の超過密社会なのである。われわれ日本人は、大変な人口過密社会で生活している現実を直視し、過剰人口が自然環境の破壊、生活環境の悪化などの弊害を生む要因ともなっていることを認めなければならない。
50年ないし100年後の日本国民に美しい自然環境と安定した生活環境を遺すことを重視する立場からすると、少なくとも2000年代の前半期は人口が減少してゆく社会こそ望ましいのであって、「小さいながらも美しい日本」を目標にする国民的合意を期待するものである。
ところで、縮小社会を国の基本方針とする場合の日本は、人口動態の急激な変化に対応できない国の基幹部門や国民生活を支える中枢分野の人材不足にどう対処するかという重大問題に直面することになろう。
この問題については、まず先決問題として国内において、人口減少社会に対応するための徹底した産業構造改革による人材の再配置と、高齢者及び女性の雇用の拡大などによって必要な労働力を最大限に確保するよう努めなければならない。あらゆる努力を尽くした上で、なお人材が足りないと認められるときに、縮小社会の実現に不可欠の厳しい入国管理政策の例外として、国民の生活基盤の維持に必要な最小限の外国人を受け入れるという選択肢はありうるであろう。
例えば、これから少子高齢化が一層進行するので、高齢者の面倒を見る人が絶対的に不足する可能性が高い。介護要員のすべてを日本人でまかなうことが困難な状況に至り、本来は日本文化をよく理解する人でなければうまくやれない介護の仕事を、あえて外国人にお願いしようという国民世論が高まるかもしれない。
また、深刻な後継者難で日本の歴史遺産とも言うべき水田・森林が荒廃する事態を放置し、人口激減で存亡の危機にある農山村社会を見放すというわけにはゆかないであろう。食糧・資源の確保の必要のみならず国土・環境を保全し、地域社会の存続を図る見地から農林業の分野に外国人を入れることについては、国民の理解が得られるかもしれない。
■ 多民族共生社会を作る覚悟があるのか
最近、来るべき人口減少時代においては、労働力不足への対応、国民年金制度等の担い手の確保などの理由から、多数の外国人を受け入れる必要があるという意見が産業界の一部から出ている。しかし、大規模な他民族の渡来に遭遇し、民族の異なる人たちと渡り合った経験の少ない日本人と日本国が、十分な心構えも備えもなしに大量の外国人を入れるのは危険だ。
仮に、外国人の大きな力を借りて人口減少社会を乗り切るという方針をとる場合には、社会の多数者の日本人と少数者の外国人の融和の度合、多民族の国民統合の進み具合などを勘案して、日本社会の健全な発展との調和を取りながら漸進的に外国人を入れてゆくべきである。
また、日本民族と他の民族がお互いの立場を尊重し合って生きる社会、すなわち「多民族共生社会」を作るという日本人の覚悟が必要である。その時、日本人に求められるのは、自らの民族的アイデンティティを確認するとともに、アジアの諸民族その他すべての民族を対等の存在と認めて待遇する姿勢を確立することである。
民族や文化の異なる人たちと共に生きるという姿勢と、外国人に対する偏見と差別のない社会を作ろうという気概が日本人に見られないのであれば、外国人の全面的な協力を得て経済大国の地位と高福祉社会を維持してゆくという生き方はあきらめなければならない。その場合には、人口減少の流れに従って、小さな日本への道をまっすぐ歩むしかない。
〔編集注:03年11月11日大阪において、ドイツやフランス、米国、中国などから7人の研究者や専門家をパネリストとして招いたシンポジウム「日本における外国人雇用について-展望と課題」(主催:アジア財団、フリードリヒ・エーベルト財団、スタンフォード日本センター、共催:関西経済連合会、ヒューライツ大阪)が開催されましたが、丹羽雅雄さんと坂中英徳さんにはパネリストとして報告していただきました。〕